第14話
リコルは逸れぬようにとゼンと腕を組み、洒落た街並みを歩み出した。これと言った、特に大きな目的は伝えられていない、調査と言えども何を調査するのかまではわからない。
「どこに行くの? 」
リコルは微笑んで、ゼンに何処か行きたい場所はないかと質問で返す。ゼンはあまり欲を出さない子であった、故に今回も「特に何も」と曖昧に答えていた。
「遠慮はしなくて良いのですよ」
「だって、本当に……何も思いつかない。どこに行きたいとか、何をしたいとか……こうしてるので、良いなぁって……」
そう言うと、ゼンは彼の腕に頬をピッタリとくっつけた。彼はそれを見て、満足そうに笑った。
「では庭園にでも向かいますか」
そっと指が鳴る音が聞こえると、辺りの風景が白く淡く光り輝く。二人は先ほどの閑静な市場ではなく、色彩豊かな庭園に降り立った。
「にぃに、にぃに……見て。花」
「花ですね」
「花は、えーと……生きる……よな? 」
花は生きるかと聞かれ、リコルは少し苦笑しながらも生きているのではないか、と答えた。
相手を洗脳する彼の能力は、特定対象にしか使用できない。そしてその反動として、ごく稀に、彼女の様に基礎的な事柄すらあやふやになる者も出てくる。排泄や食事、言語、そう言った日常的な事柄はしっかりと覚えている。しかしながら、地元の名前、自分の名前、動物と植物の区別、そう言った物がわからなくなる場合がある。それは、発動前に酷く自分に対し反発してきた者であり、以前は自分に酷く懐いていた者ほど確率が上がる。
ゼンはリコルに酷く懐き、心の奥底では怪しんでいた。だからこそ一度トリガーを引かれたら今までの不安感が全て確証となる。それは夢であったり、誰かの言葉であったりする。
その分、リコルに能力をかけられた今の彼女は、まるで園児のように花の色や名前、形を彼に聞き回っていた。リコルにとっての楽しみの一つは、こうして一度壊した人間に再教育を施すことだった。
「……ん? にぃに、見て」
ゼンは何かを見つけ、彼に語りかける。
「捕まってる。蝶」
「おや……蜘蛛の巣に囚われたみたいですね」
「外したらダメ? 蝶、小さいのに」
その大人らしい顔つきには似合わない子供らしい純粋な質問を投げかけた。現に、ゼンはまだ十四歳。そのような質問が出てくるのは当たり前だろう。
「ダメですよラウロ、可哀想ですがあの蝶は蜘蛛の餌なのですから……」
「でもさ、弱者には優しくしないとだろ? 蝶は綺麗だし、それなのに蜘蛛に食べられちゃってさ、折角の羽も全部無くなるのは……」
「確かに蝶は美しいですね。ただ、世界には守るべき弱者とそうではない愚物があるのですよ」
蝶は愚物なのかと、ゼンは少し拗ねたように声を出した。
「確かに美しいですよ、ただ……儚いからこその美しさもあるのですよ」
カサカサと音がした。蜘蛛は囚われた蝶に糸を巻きつけた。ゼンはその光景をチラリと見ると、ひっしりとリコルに抱きついた。
「美しいは儚い? 」
「そうですね。美しいものは全て儚く終わってしまいます」
「……にぃに、俺はジェノのにぃにも、そうじゃない時のにぃにも綺麗と思うよ。でも、綺麗は美しいってことだよね? 」
「ええ」
「それじゃ……にぃにも、いつかは終わるの? 終わるって、いなくなる? 」
ふと、彼の頭の中には三十年以上も昔の光景が映し出された。賑やかな繁華街を窓から眺めては、彼はいつも孤立した世界で瞼を閉じていた。いつかは自分も終わるのだろう、早く終われば良い、こんな忌々しい力と世界しか視界に映らないのだから……いつもそう思っていた。
「にぃにがいなくなったら、俺は一人……? 」
リコルは視界の端で蠢く悪霊の残骸から目を逸らし、悲しそうに呟く彼女の頭を撫でた。
「別れというものは必ず訪れるのですよ。いつまでも貴女のお世話をしていられるほど、私も若くはありません。三十八年も生きてきたのですから……貴女は私がいなくなったら、私の三十八年分と、先代方の何十年分もの人生を歩むのですよ。私たちはそうやって、今まで交代してきたのですから」
「俺の性別も、見た目も、にぃにが受け入れてくれたって聞いた……他の人、俺を俺として見てくれないって……それでも? 」
彼は少し顔を曇らせた。それは彼女が過去の記憶を思い出したわけではない、寧ろ彼本人が無理やり思い込ませていた偽りの情報を本気で信じているようだった。
リコルは、自分が朽ち果てない限り彼女に座を譲ることはできないという現実を理解していた。彼の目標――……過去に、ボスからの使命である「龍蘇会の殲滅」を行うことができなかった。その失態を、自分の手で拭うことのみだった。
愛を自分勝手に理解しようとした彼は、ゼンからの「無意識下の愛」を生まれて初めて得てしまったのだ。
「……ラウロ、私は目的を果たすまで貴女の前から消えません。それは約束致しましょう、ですが、永続の生命は無いのです。不老不死は作品の中だけの世界、私たちはどんなに傷ついても治りますが、消える時は消えてしまうのですよ。それだけは覚えていてくださいね、そうしないと……貴女の見る世界は全て残酷に映ってしまう」
ゼンは、頷くことも返事をすることもなかった。ただ、力強く彼の服を握りしめた。
「……にぃに、あのね」
ゼンは海辺を眺めながら、ふとリコルの裾を引っ張った。
「俺もにぃにといれて楽しい……と、思う」
ゼンはただ、海を見つめるだけ。視線は離れることなく、静かに言葉を紡いだ。
「にぃにがさ、俺に色々教えてくれたから……だから、にぃには俺が立派になるまで、いなくならないで」
ゼンは言い終えると、その場に小さな花を咲かせた。彼女が今まで制御できずにいた、物体を錬成させる能力が少しずつ、少しずつ開花している証拠だった。
「――誓いましょう、貴女が私の椅子に座るその日が来るまで見守ると」
リコルはゼンの頬にそっとキスを落とした。
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