第10話
「う……っ」
ゼンは兎に角、目を逸らそうと必死に頭を動かした。然しリコルは、彼女が少しでも視線を逸らそうものなら首を押さえつけたり、胸ぐらを掴んだり、ありとあらゆる方法を使って着実に視線を合わせてくる。
彼は相手と目を合わせている間、その相手を言いなりにさせることができる。ゼンはその能力を理解していた、理解しそうになった、だからこそ彼は彼女から不都合な思考を掻き消すよう試みたのだ。
「……今、ここで貴女の服を無理やりひん剥いて、嬲って、蹂躙してやってもいいのですよ。その方が効果は強いですから……でも、貴女は嫌でしょう? ねぇ、貴女にも羞恥心はあるのでしょう? 私は愛しているのですよ、ですから貴女が嫌なことはしたくないんです。だから視線を逸らしてはいけませんよ、貴女の髪を鷲掴む事も、首を絞めるように押さえつけることも、全てしたくないんです……――」
隙を伺いながら、ゼンは少しでも自分にとって有利になれる状態がないか模索していた。リコルはその心の内を読み取り、彼女が少しでも怪しい動きをしようものなら片方の手で頬を叩いた。
「ゼン、ゼン、良いですか? 貴女は私を愛するのが貴女の存在意義……愛は幸福を生み出すのです。私たちは、世界を幸福に導く、弱者を守るのは世界を幸福に導くため、そして同様に弱者を愛するため……――」
それなら、とゼンは切れた唇からヒューヒューと息を零して問いかける。
「それ、なら……何故、裏切った子を殺した? 昨日、本で見た……あの本の紙切れにあった、行方不明の子供の名前、お前が殺した子供と同じ名前があった……! 」
「何を言っているのです? 私が人を殺す? 私が人を殺すわけないでしょう? それに、行方不明の子供の名前なんて知るはずも無いのに」
「お前が命令した、お前が命令した、お前が全部壊した、お前は俺を壊した、愛が無ければ世界は平和だった! 」
「黙れ」
彼は必死に訴える彼女の心臓に、グリグリと小型の刃物を突き刺してはぐるぐると手先を回していく。臓器が人工的に回転する刃のせいで、ぐちゃぐちゃに切り刻まれる痛みに耐えながらもゼンは話を続ける。
「薄ら、思い出しそうだった……愛が、無ければ……俺はお前の人形にはならなかった……」
ゼンの脳裏には繰り返し同じ言葉が響く。愛しているわ、貴女は生き残ってちょうだい、それは強く儚い声色だった。不思議と、ゼンは普段懐いているこのファミリーの中でもない、あやふやなその声に安心感を感じていた。
「……あっ、ぐぅ……っ」
彼が刃物を一気に抜くと、引きちぎれた心臓だった肉片は体の中から少しずつ溢れ出していく。ゼンは等々、何も言えずぐったりとその場で横になった。
閉ざすことを忘れた瞳、中途半端に開いた口、崩れた髪型……どれもが美しいと、リコルは彼女の頬にキスを落とした。
「いいですか、ゼン。貴女は目が覚めたら私たちファミリーと同じ思想を持つのです。愛があるから世界は平和になる、弱者こそ守るべき存在であると……そして、貴女は最初から最後まで、ずっと私を愛し続けるのです。死ぬまで、ずっと――」
ゼンの心臓はいつの間にか新しいものが構築されていた。リコルは彼女を抱き上げながら、部屋に戻りましょうと優しく囁いた。
「――
裏庭の花を踏み潰しながら、茶髪の少年は小さく呟いた。
「
誰からも見えないその少年は、足元で枯れた花をじっと眺めていた。軈て耳元から聞こえる声に従うように、彼は二人がいなくなるのを見届けると彼女が座っていた噴水に手を触れた。
少年の目にだけ映る、少女の記憶。それはゼンが無意識に発動していた能力の一部、触れた相手に記憶を移すと言う能力の残骸だった。ゼンが見ていた真実を、少年は埃一つ見逃さぬよう味わっていた。
ゼンの体験した、ゼンの見ていた、彼女にとっての真実。彼女は愛のせいで全てを失っていた。彼女は生まれながらにして孤独なわけではない、生まれながらに愛を否定していたわけでもなかった。
ゼンは幼い頃から物分かりが良かった。だからこそ、自分を愛してくれた大切な人は、自分のせいでいなくなったことを彼女は幼いうちに理解してしまった。そしてそれ以降、彼女は何かを覚えることを忘れ、感情を押し殺し、阿呆として生きる道を選んだのだ。
随分と過酷な運命を背負っていたんだなぁと、少年は他人事のように呟いていた。
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