第5話

「丽、何か知ってるの? 」

 美玲は彼の顔をそっと覗き込む。ドス黒く濁り、彼はただ爪を噛むのみだ。それでも尚、彼の脳裏には過去の記憶が鮮明に蘇る。

 遠い昔、自分と同じ境遇の少年が一人……少年の名前は置いてきた。しかし、彼の夢は覚えている、話したところで、問題が解決するわけではない。それは理解していた。

 だからこそ、丽は何も言わなかった。ただの憶測だと美玲には伝え、拠点に戻ると有無を言わず、資料にも目を通さず、自室へ足を運んだ。

 作り上げられたその性格とは裏腹に、多彩なものが散らばっている。それは布であったり、宝石であったりする。ゴタゴタに塗れた寝床こそが、彼にとって居心地の良い場所である。

 彼の頭の中にあるシナリオは、観客向けのものではない。彼自身に向けたものだった。

 ――一人の奴隷を餌にする、それに罹った愚かな偽善者を潰し、その拠点を自分達の手駒に置く。あの辺りにあるスラムの人間に、品を売る。最初は安く、いつか高く、払えないなら中身を貰う、それを別の場所で売り、軈て縁を描くように全てが成り立つ。

「……馬鹿らしい、は商人になりたいわけじゃないのに」

 そう呟いた彼の目には、忘れたはずの涙がうっすら滲んでいた。


 美玲は彼の気持ちを知ることはできなかった。それでも、彼が涙を流している。その事実だけは理解できた。

 ピアスを外し、片付けると丽の側にそっと寄り添う。グルグルと渦巻きのように黒く澱む瞳孔が彼の姿を捉えていた。

「丽が嫌なモノ、アタシが壊すヨ」

 その言葉を聞いても、丽は返事をしなかった。美玲を手招き、横になった彼女をそっと抱きしめた。

「丽はアタシに全部くれた、カラダも、バショも、全部……全部、全部……丽、アタシご褒美は我慢スル、全部、全部……丽の嫌なモノ、全部ぜんぶゼンブ……――」

 彼は唐突に、荒れ狂いそうな彼女の口を塞いだ。優しく、強く、舌を入れ、美玲が目を閉じるまで……。

「ご褒美やるよ、お前今日頑張ったから」

 丽は席を外し、小箱から小さな塊を取り出すとそっと彼女の舌に乗せた。

 二人の間で交わされる褒美、それはお金でもなければ身体でもない。わかりやすく言うならばそれは、違法的なものである。

「……小生がいなくても、自分で調整できるようにならないとね」

 丽はアヘンを吸いながら、美玲の頭を優しく撫で続けるのだった。

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