第15話

何時間くらい飲んだんだろうか。二人で十個以上のグラスを空にしたとき、


「海に行こう。」


突然わかなが言い出した。


「うみ?」

「そう、大洗にでも行こうか。」

「行こうかって、時間何時だと思ってんの?」

「まだ、十時前だし、電車あるでしょ、ほら、十時ちょっと過ぎの電車が最終だって。行くよ。」


まだ残っている緑ハイをのどに流し込んでいるうちに、わかながせかせかとお会計を済ませていた。水戸線の駅のホームまで走る。餃子のニンニク、ビール、口直しの甘いデザート、さっきまで口に入れていた食べ物が上がってくる感じがする。どうしてわかなはこんな急いでるんだろう。電車は空いていた。空いていた席に座ると一気に疲れと気持ち悪さが来た。


「疲れたね。」

息を切らしながらも、私の何百倍も生き生きとした顔のわかながこっちを見る。

「すっごい気持ち悪い。」

背中をさすってくれるが、そんな優しさがあるなら、急いで電車に乗らなくても良かったんじゃないか。海だって別のタイミングで行けばいいじゃないか。

小山を出ると、一気に明かりが少なくなった。窓硝子に反射して、自分たちの顔が映る。こんなことなら、わざわざ福島から来なくても、水戸で待ち合わせにしたら良かったんじゃ、少しわかなをにらむ。目線に気付いたのか、「なんかあった?」なんてのんきなことを言うわかな。

「なんで海に行こうなんて言ったの?」

「思いつき。」

「今から行って向こうに何時に着くの。」  

「十二時くらい。それで今日は水戸に泊まって、次の日勝田から電車で向かうよ」  

「水戸に泊まるって、宿あんの?」

「さすがにあるでしょ。最悪カラオケに泊まればいいじゃん。」

「そこまでして海に行きたい?」

「海で見る朝日はきっと綺麗だよ。」

電車の乗り換えのアナウンスで起こされた。三十分ほど、水戸行きの電車を待つ必要があるらしい。電車の中で寝ていたおかげか、幾分気分は良くなった。行き方を調べようとスマートフォンを取り出す。真くんから「楽しんでいる?おやすみ」とLINEが入っていた。あえて返信はしなかった。グーグルマップで大洗までの道順を調べる。

「え、三十五分も歩くの?」

「それだったら、阿字ヶ浦にする?十二分でつくっぽいよ。」

「どっちでもいいや。」

「いざとなったらタクシー使えばいいかなって。」

「そんな朝早くに捕まるかなぁ。」

「それか走るか」

わかなも私も大学を推薦で入学した元長距離の選手だった。

水戸行きの電車はさっきの電車よりも乗客が多かった。わかなが調べてくれた水戸駅近くのホテルは、すんなりと入れた。湯につかるのが苦手なわかなに先に湯を貸したあと、ゆっくりとユニットバスにお湯をためる。たまっていくをお湯を見ているのもつまらなくなり、ベットルームに戻ると、ホテルに入る前に買ったアイスをくわえながら、わかながテレビを見ていた。

「何見てんの?」

「愛の交差点。こういうのってさ、ダメだってわかるけど見ちゃうんだよね。」

『愛の交差点』はよくある不倫もののドラマで、大学時代に愛し合った二人が就職を機に離れて、別々の結婚生活を送っているが、偶然街で出会ってしまう。そんなとき、ヒロインの旦那が単身赴任になる。そして、大学時代愛し合った二人は逢瀬を重ねていくが、それが互いのパートナーにバレてしまう。テレビでは男女四人が映っている。

「わかんないよね。今付き合っている人がいたとして、それ以上に好きな人が現われたら、どうする?」

「そのときは、付き合っている人と別れるんじゃない?」

「じゃあさ、結婚してたら?」

「それは、その好きな人を諦めるしかないよ。」

「タイミングってさ、難しいよね。」

「でも、そういう自分の感情を制御するところも、大人になるってことじゃないの。」

「好きな人なんてさ、そんなすぐ諦められるかなぁ。」

「世の中には仕方のないことだってあるんだよ。」

画面の中で、ヒロインと主人公がキスをする。そのまま、次回予告が流れる。

「お風呂、お湯止めたら?」

すっかり忘れてた。足ふきマットがお湯でぐしゃぐしゃになっている。湯に入って考える。あのとき、「別れよう」って言った、真くんの顔。いつも誰かのことばかりを考えている真くんが目の前にいない誰かを想っていった言葉。でもね、悲しみは悲しみしか呼ばないんだ。だから、どこかで断ち切ってあげなきゃいけない。優しくて、ほんとうのことが言えない弱い君を私はずっと待っていてあげる。君がちゃんとさよならを言うときまで。ちゃんと自分に向き合って、自分を大事にして、自分の思いで別れを告げるときまで。

風呂を出るとわかなは寝ていた。テレビは通販番組になっていた。モニターの声に出てくるようなお母さんになりたかった。普通のよくあるお母さん。小さいころ、大人になれば自然とそうなれると思っていた。歳をとって、人生には諦めと後悔がついてくることを知った。人に言えるようなまっとうな気持ちだけじゃ、生きていけないんだと知った。私が真くんに言わせなかったんだろうか。真くんの本当の気持ちを。

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