第10話
火曜日、授業中にスマートウォッチに着信が入った。家族や優菜は気を遣って仕事中はかけてこないのだが、この時間に来ると言うことは勧誘か何かだろう。そうおもって、放置していたらメッセージの通知が来た。聖瑋の彼氏からだった。
「先生、点数決まったよ。」
「あっ、ごめんごめん」
「もう、先生ったら。」
聖瑋の彼氏、学内バイト時代の後輩にあたるので一応連絡先は持っていたが、直接連絡したことは記憶の中ではなかった。突然何のようだろう。授業中、気が気でなかった。目の前で走る生徒も、一定のテンポで数を刻むタイマーもすべてわずらわしかった。休憩になり、急いで教官室でスマートフォンを確認すると、「連絡つくときに連絡ください」とだけ書いてあった。こういった日に限って、授業は全て入っていた。今日は部活の指導もあったので、「十九時過ぎに連絡する」とだけ返した。その後は何の連絡もなかった。きっと聖瑋関係だろうなぁ。過去のことを聞かれるのかな。ケンカでもしたんだろうか。気が重くなってきた。そんなことを考えても、時間は過ぎていった。
「先生お疲れ様」
「また明日。」
部活の指導を終えて、体育館の戸締まりを確認して、車内で電話した。三コール目で相手はでた。
「もしもし」
「相川です。ごめん遅くなって。」
どう入るのが正解だっただろうか。電話越しの声は思ったより低かったが、そもそもそんな声だったかもしれない。学生時代も数えるほどしか喋ったことがなかった。そのほとんどは業務連絡だった。彼が聖瑋のことを好きだということは知っていた。後ろめたかったのかもしれない。だから意図的にお互い会話しなかったのかもしれない。そんな彼がわざわざ自分に電話してくるとはどういうことなのだろうか。
「手紙、きました?」
「手紙?」
「聖瑋から」
聖瑋ということをあえて強調している気もした。思いがけない話から入り、びっくりした。
「いや、来てない。」
つい、嘘をついてしまった。とっさに言葉が出たが、もう聖瑋とは深く関わらないと決めたのである。これで良かったのだ。下手なことを言ってこじれてしまうのもいやだった。
「そっか。じゃあ。」
電話越しの彼は電話を切ろうとした。そんなことをわざわざ聞いてどうしようというのだろうか。
「突然電話来たからびっくりしたよ。内容もびっくりしたけど。まぁ、それならいいや、じゃあね。元気で。」
自分に良くない内容について詰問されると思っていたため、ほっとしたのかもしれない。少し饒舌になった。それが良くなかったのかもしれない。
「あんた、知らないの。」
電話越しの声が続く。
「先週、聖瑋は死んだんだよ。」
「えっ。」
「東京で、歩行者用の橋から飛び降りたらしい。」
ブチッ。電話が乱暴に切られる。
嘘だろ。どういうことだ。自殺したって。返事のないトークルームを確認する。そこには既読の文字があった。
「神田の歩行者用道路で二十代女性が飛び降り。遺書のようなものはみつからず。」
検索をかけて得られた結果だ。「東京」「女性」「自殺」「飛び降り」「二十代」様々なワードを入れる。世の中、新聞やテレビのニュースに載らなくても多くの人が死んでいる。自死であれ、不慮の事故であれ、ネットを通して様々な死に出会った。田中聖瑋の名前はなかったが、彼氏からの電話の話から推測するにこのことだろう。どうして、東京で。彼女は自死を選んだんだろう。時折、死にたい。と言うことがあった。しかし、ここ最近はそういうことはなかった。少なくとも大学を卒業してからは。自分も県外の職場で働くようになり、物理的距離が離れてしまったのもあるかもしれないが。
聖瑋に電話をかけようとしてやめた。彼女はほんとうに死んだのか。あの日、届いた手紙は遺書だったのか。黄色の便せんを思い出す。
「ちょっと、真、遅いわよ。遅くなるなら連絡してよ。心配したじゃない。」
居間でマッサージチェアに座りながら母親が言う。壁の時計を見ると十一時を回っていた。
「冷蔵庫にご飯はいっているわよ。何も連絡なかったから用意しちゃった。もう食べてたら、明日の朝に回しなさいね。」
「ありがとう、心配かけてごめん。」
そのまま二階の自室に上がろうとする。
「真、つかれてるのね。ゆっくり寝た方が良いわ。お風呂も一応湯ははったままにしてあるからね。」
「ありがとう。でも今日はもう寝るね。」
部屋に入ると、引き出しから手紙を取り出した。消印は東京からではなく、書かれている住所からになっている。日付はニュースの日の一日前。彼女は明確な意思があってこの手紙を出したのだ。どうして、何も言わず彼女はいってしまったんだろう。
手紙を置いて、ベットに寝転ぶ。
ううん。何でかはわかっている。俺が言わせなかったんだ。
身を縮こめた。感情が溢れ出さないよう。自分の中で押しとどめよう。
彼女が以前「死にたい」って言ったとき、あえて言わなかった。
「君のことが大事だから、特別な存在だから死なないで欲しい。」
口に出すとこれまで騙し騙し続けてきた関係が崩れてしまう気がした。彼女が崩さなくても、きっと世界が許さないだろう。世界を背く勇気が僕にはなかった。彼女さえいれば十分だった。どうしてそう思えなかったんだろう。意気地なしのくせに、彼女の心が離れていってしまうのがいやだった。だから、それっぽい言葉で繋いでいた。きっとそれを彼女も知っていた。昼間は暑かったが、夜は冷える。羽毛布団にくるまる。温い。こんな温かく、大きなもので包んで欲しかった。僕の不安も、後悔も、やるせなさも、ふがいなさも。肯定して欲しかった。彼女が僕にしてくれたように。僕が不器用に君にしたように。
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