第6話

文房具やでレターセットを買おう。とても綺麗な柄のもの。3通。それぞれ相手に合わせて異なるもの。言葉があふれ出して、整理がつかなくなるけど、一番大事なお手紙だから、修正テープは使わず、書き損じが出たら思い切り破いて、書き直した。綺麗な便せんのままでいて欲しかったから、鉛筆で下書きなんてしなかった。東京湾までの行き方を調べた。今住んでいる県の海でも良かったが、工場が多いらしくロマンチックじゃないし、故郷の海も生まれたところに還りたいと思ったけど、日本海の海は年中黒くて冷たい感じがしていやだった。東京は、田舎町に住んでいたころからずっと憧れだった。ドラマの撮影でお台場を見る度に心をときめかせた。そういえば、観覧車にも乗った。高いところから落ちるのも、人体を傷つけるのも痛いからいやだった。何より、最後まで誰かのためでいたかったから、私の身体が海に還って何かの生物の栄養になってくれたらうれしいと感じた。それに、泳げない私は諦めがつくと思った。決行は、仕事が早く終わる来週の金曜日。本当は仕事がない日が良かったけど、わざわざ休むのも気が引けた。土日が休みなので、そんなすぐに疑われることもない。餌になる前に引き上げられては困るし、捜索という誰かの手を煩わせることもいやだった。決めてから、毎日ちゃんと生きようと思って、彼氏にたくさん好きだと言った。毎日外食した。海に戻れる。そう思うと精一杯栄養を蓄えていこうと思った。とうとうその日が来た。仕事が終わると、シャワーを浴びた。トリートメントも丁寧にした。化粧水、美容液、肌にしみこんでいくことを感じながら、丁寧に下地を作っていく。一番好きなアイシャドウパレットを出す。口紅ももう売られていない資生堂の赤いもの。マスカラで睫毛一本一本に命を宿していく。一番好きで、綺麗で、かわいい私で迎えるの。きっと、王子様を殺せなかった人魚姫もそう。靴も一番ヒールが高い靴。歩くのだって最後ならきっと辛くない。声で伝えられない代わりに、郵便局に三通手紙を出す。ポストじゃない。ちゃんと窓口で。高速バスで東京に向かう。通り過ぎていく灯、訪れたことのある飲食店、ちゃんと目に焼き付けよう、スマートフォンの電源は切った。使う駅は間違えないように、名前の聞いたことのあるところにした。涙が出そうだったけど、化粧が崩れると思ってこらえた。バスと電車を乗り継いで、波の音が聞こえる。二十時を過ぎても東京は明るくて、思っていたとおりだった。その明かりを背にして、海に向かう。慣れないヒールに足の痛みを感じたがそんなのは関係ない。東京の海は、思っていたより綺麗じゃなかった。生臭くて、まだ夏が終わっていなくて生暖かった。一歩一歩、淵へと向かっていく。誰も止めには来ない。いっそのこと、慣れないヒールで足を滑らせてしまえたら。その思いとは裏腹に足はしっかりと地面を踏みしめている。最後の足の感覚を伝えるように。水面に顔が映っては、波に消えていく。遠くで船の明かりが見える。海辺でも場所によっては明るい。でも邪魔が入らないように、あえて人のいないようなところを選んだのだ。波の音がまくしたてる。海が呼んでいるようだった。いかなきゃ。そう思うのに、足が進まなくって、その場に座り込んだ。磯の匂いが一気にした。肩で息をする。思っていたより緊張していたのか、汗ばんだ背中を一気に恐怖と夜風が冷やす。急いで、スマートフォンの携帯をつける。彼氏からも家族からもLINEが入っていた。それよりも早く郵便局に電話した。手紙、止めなくちゃ。手紙は無事回収されたらしく、夜が遅いので次の日回収しに来て欲しいと伝えられた。帰ろう。今ならまだ最終で間に合う。波を背に引き返した。心地よいリズムを波が刻む。来るときは優しかった海が、さらに優しく私を呼ぶ。

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