第39話

――女神エウポリア様、どうか我々の想いにお応えください――


 二人の声が重なった。

 しかし、虹水晶が変わらず淡く光るのみ。


――一刻。


 二人はそのままだ。

 まるで、出てくるまで止めない。

 そう言わんばかりに。


 しかし、顔を焦りも不安も苛立ちもなかった。

 柔らかく穏やか。

 自然体、そうした感じだ。


 やがて、虹水晶が反応する。

 瞬く間に辺りは光に包まれる。

 先ほどの誓約の儀の時の光よりも強烈だと思われた。


 そして、二人の目の前。

 微笑みを湛えた女性が浮かんでいた。

 揺らめくような光そのものといった存在だ。


 二人は目を開けた。

 そして、アティアは、両膝を。

 ヒーロスは片膝をついてかしずいた。


 二人の頭の中に直接声が聞えて来る。


――二人とも、顔をお上げなさい――


 二人は、顔を上げる。

 そして、アティアがさっそくと願い出た。


「エウポリア様、厚かましい事は重々に承知しております。ですがどうか、どうか、願いをお聞き届けいただけないでしょうか?」


――その願いは聞き届けられません――


「な、何故でございますか!?」

「アティア、少し落ち着こう」


 ヒーロスは、アティアの肩に手を置いた。

 それから、女神に顔を戻す。


「既に天界から見られていた事と思います。我々の願いもご存じの事と。わざわざ、ご降臨なされたのは、断りを入れるためとは思えません」


――では、何故とお思いですか? 若きアノイトスの王ヒーロスよ―― 


「……提案と条件……でしょうか?」

「どういう事?」


 アティアは、ヒーロスに尋ねる。

 ヒーロスは答えない。

 女神を見詰めている。


 やや間があって。


――よろしいでしょう。聖女アティアの力を返上させます。そ……――


 アティアには、その言葉が青天の霹靂だったのだろう。

 仰天して、すぐさま申し出る。


「お待ちください!? それではっ……!」

「アティア。最後までエウポリア様の話しを聞こう」 

「……も、申し訳ございません……」


――良いのです。驚くのも無理からぬことでしょう。全知全能の大御神様が、わたくしをここへ、お使わしになられたのです。その時に、一つの提案と条件を受け入れるかを、お示しくださいました――


 黙して聞く二人に、女神は続ける。

 二か国に四季を与える。

 代わりにアティアの力をエウポリアへ召し上げる、と。 

 アティアは、不思議そうに聞いた。


「シキ、でございますか?」


――春、夏、秋、冬。一年が四つの季節になるという事です――


 夏と冬があるだなんて。

 それが、アティアの顔にありありと現れていた。


「お、お言葉ですが、それでは人は暮らして行けません!」


――自らに考えるのです――


 考える。その言葉の意味をアティアは理解できていないようだった。

 冬はヒエムスに来た時に、夏は本などで高温が続き、干ばつに苦しんでいると知っている。

 そんな季節が二つもある。

 とても生きて行けるはずがない。

 そう思ったのだろう。

 

「エウポリア様、宜しいでしょうか?」


 アティアとは対照的に、ヒーロスは、動揺よりかは興味関心が先立っているように見える。


――何でしょう?――


「ハルとアキとは、どういう季節なのでしょうか?」


――今まで、あなた方が暮らしていた季節を二つに分けたのが、春と秋なのです――


「なるほどねー」


 ヒーロスは、考え込む。


 女神を言う。


 四季を受け入れた場合。

 聖女の力は失われ、年中当たり前に実っていた果物、野菜類はその季節ごとにしか取れなくなる、と。

 しかも、それは今までのように勝ってに実ったり、即座に実ったりもしない。

 一度、採ってしまえば、次の年の、その季節を待たねばならないものも多くあるのだ、と。


 野菜に関して言えば、自らが育てなければならない。

 大地からひょっこりと生えて来ることはないという。

 そして、全ての植物には命が宿り、それぞれの生を全うすれば、人や動物と同じく死を迎える。


「そ、それでは、どうやって生活をしていけば……?」


――考えるのです。知恵を絞り、考えるのです――


 アティアは、とても受け言えられる提案ではないと思ったのだろう。

 ヒーロスと違い、二か国を救う事など出来ないのだと、絶望した表情となっていた。


 女神は続ける。

 冬しかない国がどのように暮らしていたかを知っているはずだ。 

 夏しかない国がどのように暮らしているかを知るべきだ、と。


 大御神は、人を見捨てなかった。

 だからこそ、冬の国も夏の国でも、人は暮らしている。

 そこから、学びなさい、と。


――大御神様は、いずれこのような事になると見通されていたのでしょう――


 アティアは、何かを言おうと口を開こうとする。

 しかし、それより先にヒーロスが声を発した。


「エウポリア様、アノイトスに鉱山はありません。つまり、そういう事なのでしょうか?」


――その通りです。冬の国には冬の国で生きていくための術が与えられているのです――


「ねえ、アティア。この提案と条件を受け入れよう」


 アティアは、まるで自分の愛する男がとち狂ったのか、とでもいった表情だ。


「四つも季節があるだなんて、素敵じゃない? きっと趣を感じるよ」

「……ま、待ってください! 人々の暮らしをどうなさるおつもりですか! わたくしたちの一存で人々を苦しめることに……」

「エウポリア様の話しを聞いてなかったの? 大御神様は生きていくための術を与えてるって。だから、考えろって」

「で、ですけれど……」


 ヒーロスは、力強くアティアの手を握る。


「僕を、信じてくれないかな。僕はね、何とかできると思ってるんだ」

「……どうやって……」


 アティアには悲痛と猜疑心が混じっている。

 アティアには、この提案を受け入れるのは難しい、しかし、受け入れなければヒーロスを失う事になる。

 それが、顔に出ているのだろう。


 ヒーロスは、女神に向き直る。


「受け入れた場合。聖女の力が失われるまでの猶予はどれくらいでしょうか? また、アノイトスも含めての一年でしょうか?」


 アティアは少し驚いている。

 

――アノイトス王ヒーロスよ、そなたの成人の儀。つまり十五歳の誕生日までです。大御神様は二か国をと仰せになられました――


「ほらね、アティア。神様は良くお考えになって下さってるって事さ。約一年。その間に学び、知恵を絞れ。そういう事なんだよ」

「で、できるでしょうか」


 ヒーロスは、胸を叩いて自信満々に言う。


「できる!」


 女神はまた語る。

 四季を受け入れた場合。

 猶予は与えるが、誓約を持って必ず力は召し上げる、と。

 そして、二度と季節と豊穣の力を分け与える事はない。


――条件と提案を受け入れますか?――


 ヒーロスは、逡巡しているアティアの肩を抱く。

 アティアは、その逞しい男の顔を見た。

 そして、自然と声を発した。

 

「わたくし、聖女アティアは、お申し出を謹んでお受けいたします」


――わかりました。では、誓約を――


 虹水晶が輝く。

 二人の胸元へ、その光が吸い込まれていった。


――以前の誓約は、ここに破棄されました――


「と、いうことは、つまり話しても大丈夫と?」


――はい。大御神様は、二人は必ず受け入れるおっしゃっておいででした。新しい誓約も含め、人々に語って聞かせることを許可なさいました――


「それは、つまり、教訓にせよと。そして、今からは己が力で生きて行け。そういう事にございますね」


 それに、女神は答えなかった。


 やがて、女神の光体が揺らめく。

 そして、天上へと昇り始めた。


「あ、お待ってください。お帰りになる前に、僕からも一つ提案があるのでございます」


 ヒーロスが、去ろうとする女神を呼び止めた。


――何でしょう?――


「もし……もし!」


 ヒーロスは、今までに見せた事もない程に、真剣で覚悟を持った表情となっている。


「僕が、魔王を討ち果たした時! どうか、世界の人々が生きる国、全てに四季をお与えいただけないでしょうか?」


 間。


――わかりました。大御神様に、その旨を進言致しましょう――


 女神は、天上へと光の粒子となって去って行った。


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