第9話

 公爵一行がこの地に着て以来、次々と起きる奇跡は、王都で知らぬものが居ないまでに広がっている。

 アティアは、いつの間にか人々から教女様と呼ばれるようになっていた。


 人々は、作物や果物の採取、狩りなどの合間に、一度は必ず聖楼の近くに膝をつき手を組んで感謝を捧げている。


 王や重臣たちも、以前の国では公爵であったことから、侯爵への叙爵が話し合われるなど、いろいろな動きが出ていた。


 ヒエムスの人々にとって、一行がこの地を訪れるまで、身を寄せ合い、ひもじく暮らしていたのだ。

 パン一つで殺人が起きるなどの物騒な事件すらあった。


 それが、今やどうだろう。

 気候は温暖。食物に困ることもない。

 痩せ細った鉱夫たちは、見違えるようにたくましくなった。

 女性たちも、衣装を買う余裕ができ、化粧をするなど、日々を楽しむことを覚えた。

 まさに劇的な変化である。

  

 国は、子供育成のための教育機関の設置を決め、六歳以上の少年少女は必ず入校することが決定された。

 今までは、子供も働き手だったというのに、その必要がなくなったのだ。

 新しく建てられた時計塔。その昼を知らせるベルは、王も臣下も人々にも、文明開化の鐘の音に聞こえている事だろう。


 そんな鐘が鳴り響く中、ただいま、公爵が住む家には、次から次へと人がやって来ては、食材などを置いて行っている。


 アティアが祈り出してからニヶ月。

 ついに、彼女は倒れてしまったのだ。


 見舞いに来るものが後を絶たず、執事のセバスチャンが応対に苦慮するほどだった。

 

「ねえ、きょじょしゃま、だいじょうぶ?」


 幼い女の子が、花冠を手に見舞いに来ていた。

 アティアが、清めの儀式の時に覗き見していた女の子。

 時間を取ることは難しかったが、この地に住む人々は花冠の作り方など知らない。

 そう思ったアティアが、母に教えてもらった思い出の花冠の作り方を、何度か時間を分けて教えてあげたのだ。


 この幼女は、自分で作れるようになったことに、大変感激していた。

 それを作って来たのだろう花冠をセバスチャンに渡すと、良くなるように祈っていると言って去って行った。


 セバスチャンは応対し終わると、ちょうど水の替えを持って行こうとしている下女に、花冠を渡し丁重に扱うようにと指示した。


――アティアの寝室。

 

「あれほど、無茶はいけないと言っておいたというのに、お前は……」 

「……ご、ごめんなさい。お父様。……で、でも、これでしばらくは持つと思います」


 アティアは、ベッドと呼ぶに少々、いやだいぶ粗末な木の板の上に、薄いせんべい布団を二枚重ねにしたところで寝ていた。

 掛け布団にはあちこち縫い繕った後がある。


 顔や耳が赤くなるほどの熱を出しているようだ。

 声を途切れさせながら、辛そうに答えた。


「話さなくていい。今はしっかり休みなさい。医者も時期に来るだろう。薬はしっかり飲むのだよ」


 アティアは小さく頷き、目を瞑った。


 この後、アティアは数日で復活し意気揚々と、役目に励む。

 生来、身体の弱かった母と違い、彼女は思っていた以上に健康であった。

 美貌を少し失ったかもしれないが、父である公爵が病気一つしたことがない男であった影響だろう。

 悪い事ばかりではないというものだ。

 そんな彼女の頭には、可愛らしい花冠が乗っていた。


 この数か月後には、王都の周囲のみならず、国境近くまで聖女の力が行き渡り、ヒエムスは繁栄を謳歌し始めた。

 隣接する国々には、噂が広がり、移り住む者が多くやってくるようになった。


 王は、一年間、免税した上で、移り住んだ者たちが村となってきた場所は、自治させると宣言した。

 自由な交易。行楽。歓楽も許可した。


 色事を扱う店に関しては、公序良俗に反しない事。

 違反者は厳しく処罰する。

 と下知するのみに留めた。


 人々は日々活き活きとし、諍いもほとんどなくなった。


――ヒエムスはユートピア。


 その言葉は、ついにアノイトスの王プププートの耳に入ることになる。


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