第37話 絡み合う黄色

◆◆


 人間、たった一日で壊される。

 それを、身をもって知った二月二十日。


 何度も重ねた出会いじゃない。偶然それに遭遇したとか、居合わせる場所が悪かったとか、何も知らない奴らが飛ばす言葉に腹立たしさまで感じる始末。


 思い出すだけでも胸が苦しい。

 生きながらにして死んだ彼女を、忘れることなどできない。








 高校一年の二月二十日、昼休み。友達と喧嘩した。


 本当に些細でしょうもないことで喧嘩した。ただ、今人気沸騰中のゲームで俺が友達よりも先にガチャでレアキャラを当ててしまった、ただそれだけのこと。俺はそれを友達に報告し、少しだけ煽った。いつもの冗談のつもりだったのだが、そのキャラが友人にとっての推しなこともあって、ガチギレされた。


 それでちょっと合わす顔が無いと感じて、今立ち入り禁止の屋上に続く階段を上ったところに座っている。丁度死角になって、一つ下のフロアから俺の居る場所は見えない。しかも立ち入り禁止エリアだから、余程の事が無い限りここには誰も来ない。

 誰も来ない、と思っていた。


 俺は昔から耳が良い、そして勘が良い。本人は隠しているであろう足音が、俺の耳に捕まった。普通の人間では気づかなくても仕方がない、それぐらい小さな音で、普段の俺だったら気にも留めないだろう。


 やはり気分が落ち込んでいる時だからこそ、周りに敏感になるのだろうか。


「……」


 階段を上ってくる足音が徐々に近づいて、音の主が視界に捉えられる。


 背の高い女性だった。自分たち生徒と同じ制服に身を包んで、上靴の色が違うことから他学年であることがわかる。俺ら一年生の上靴の色は赤、あの女子生徒は青、つまり彼女は三年生……なはず。


 必死に記憶を呼び起こす。まだ自分が陸上部にいたころ、三年生の先輩が何色の上靴を履いていたか……たまにジュースを奢ってくれた二年の先輩は緑色の上靴だった。じゃあ、やっぱり目の前の女子生徒は三年生か。


「……!」


 何もしゃべらないが、確かに俺の方を見て驚いた表情を見せている。

 しかし、その表情も一瞬で消えて無表情になる。その変わらない表情のまま彼女は話し出した。


「キミ、足の調子はどう? この前ギプスしていたの、見たけど」


 記憶の中で俺はこの女子生徒と話したり、関わったりしたことは一切ないはずだ。なのに、彼女はあたかも俺と自らが親しいかのように話しかけてくる。不気味に感じたが、ここで何も返さないのは失礼にあたると判断し、返す。


「一応治りましたよ、歩けるくらいには」


 少し前、と言っても三か月ほど前の十一月十四日に交通事後に遭った。ちゃんと交通ルールを守って帰宅していたはずなのに、なぜか気が付いたら突然道路のど真ん中を歩いていた。それに走ってくる車は対応しきれず、そのまま衝突。


 当たりどころが悪かったようで、俺は足に大きな怪我を負った。それで完全に心が折れた俺は所属していた陸上部を辞めた。先輩には止められたが、それを振り切って退部届を押し付けて逃げた。


 過去を思い出して苦い思いをしている俺を置いてけぼりにして、目の前の女子生徒は質問を投げかけた。


「そうかそうか、ところでキミ、名前は?」

「港ノ岬朔也です、一年の」


 名前を聞くと今度は腕を組んで、無表情のまま俺を見つめた。


「私は白鳥海未しらとりうみ、三年。最期の興味がキミになるとは、これも運命か」

「はい?」


「キミは、興味を失うという現象に遭遇したことはあるか? まぁ誰しもあるよな?」

「まぁ……多少は」


 好きだった子がそうでもなくなった、昔はよく食べていたお菓子を最近食べなくなった、四六時中やっていたゲームを手放した。中には「興味を失う」という枠に当てはまらないものもあるかもしれないが、今の俺が思いついた「興味を失う」はこれくらいだった。


「じゃあキミは、あとどれくらいの物事に興味を持つか、具体的な数がわかるか?」

「それはわかりません」


「それが普通だ。良かったな、被害者にも何らかの影響を与えると踏んでいたが、それはどうやら違ったみたいだ。面倒ごとに巻き込まれないのが一番だ」


 さっきからこの人は何を見据えて話しているのかよくわからなかった。ひどく大人のように見えるのは、白鳥先輩が何にも興味を持っていないからなのかもしれない。ただ、なんとなくそう思っただけだった。


「ついさっきの私は『この人生で持てる興味はあと一つしかない』ってわかっていたんだ。てっきり私はその興味を恋愛にでも使うんじゃないかと思っていたんだが、まさかこんなところで出会った後輩に使ってしまうとは、ね」


「何かすみませんね……」


 静かに怒りを混ぜて返事をする。何を言っているかよくわからないし、帰りたくもなってきた。もうすぐ授業が始まるから、と適当な理由をつけて帰っても良い気がする。


「私が今興味を持っていることは二つ『死ぬこと』と『キミのこと』だ。生きることに興味が無いから、今日ここにやってきたのだけれど、見る?」

「えっ……い、いや、いいです。遠慮し——」


 鍵が閉まっているはずの屋上の扉を、白鳥先輩は開けた。


 そして俺の腕を無理やり掴んで、屋上へと一歩を踏み出した。


「柵が無い屋上なんて、今時珍しいよな。飛び降りろって言っているようなものだし」

「あ、あのー……放してください」

「いーやーだね。私は他人の人生を散々狂わしてきたんだ。最期までやり遂げないと」


 この人は何を、何を言っているのだろう。


「あはは、不思議だね。キミは選ばれたんだ」


 次第に俺の心は恐怖に満たされて浸されていく。何とか抜け出そうと強気に出たいと思うがそれはあくまで願望で、その目で見つめられている間は底なし沼の恐怖に嵌められているような感覚になる。


「生きることに対して興味を失ってから、色んな人に聞いて回ったんだ。『どうして生きているの?』とか『何のために生きているの?』って。中には死ぬことに興味を持つよう誘導したけど、失敗したね」


 白鳥先輩、あなたは何を——。


「不思議だろう。不思議に思うだろう。私にはこれしか残っていなかったんだ」


 強く握って離さない俺の腕を無理やり引っ張って、屋上のギリギリのところに白鳥先輩は立った。


「押して殺した、なんて大層な感覚は無くていい」


 俺の腕を白鳥先輩の胸の真ん中に添えるように動かしていく。何か柔らかいものが当たっているようにも思えたが、今はそれどころじゃなかった。


「殺しに手を貸した、という感覚が君の腕に残ってくれればいい」


 ぐっ、と強く白鳥先輩の胸に当てられた手で押し込まれる。


「キミが『殺すこと』と『生きること』と『死ぬこと』に興味を持つかどうか、最後の実験さ。どうか、受け入れてくれよ。朔也」


 突然名前を呼ばれてドキっとする。これは恋なんかじゃない、そんな綺麗で白くて甘いものじゃない。

 これは——、罪を受け入れる覚悟の……。


「私を、殺して?」


 さらに強く押し込んで、彼女は重力に従って落ちていく。白鳥先輩は俺を殺すつもりはなかったようで、彼女が落ちる寸前で手を離してくれた。


 強く握られていた腕が未だに赤く痛みを訴えている。





 ……そして俺は暗示をかける。


 俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃない。俺は無罪だ。俺は殺していない。俺は悪くない。俺のせいじゃな——。








 その後のことはよく覚えていない。ただ警察の人に保護されて、色々聞かれた。まともな受け答えはできていなかったと思う。俺が警察の人に問い詰められている間に、白鳥先輩の書いた遺書が見つかったようで、自殺だと判断された。


 俺はそこに偶然居合わせて、「自殺を止めようとして止められなかった人」ということになった。


 罪は晴れた。

 ……何で、罪?



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