第35話 混沌と蛇のスープ (3)
彼らには感謝しなければならない。こんな感情に気付くことができたのだ。これが自分の本当の願いだと確信しながら、日々を生きて苦しむなんて最高じゃないか。辿り着く先は結局「死にたい」だ。
何も考えたくない、外部の情報を得たくない、自分の中で完結しておきたい、消えてしまった方が楽、苦しみたくない。似たり寄ったりの言葉が溢れては虚無に墜ちていく。
ようやく私は立ち上がる気になれた。「死にたい」という思いが私を立たせているようにも思える。カインはこの「死にたい」という思いをいつか持つことになる、という未来をオークションの時から予測していたのかもしれない。
最初からカインの掌の上だった、そう言っても過言じゃないだろう。あの時、
フラフラとした足取りで、アクレイに背を向けて歩き始めた。進む先には気を失っているオーヴェルと、心配そうな目で私を見るサクヤがいる。
身体も心も不安定なことをサクヤは感じ取ったのだろう。彼は何かを察する能力が高いなぁ、と表面だけで言葉を思いつかせる。きっとこれを発言したところで、心のこもっていないものになる。
最期に家から離れられてよかった。最期に何にも縛られず生きられてよかった。最期に自分の本当の思いに気付けて良かった。
いつの間にかサクヤの目の前で立ち止まっていた。自然に零れた笑みが、彼にはどう映っただろう。
「ねぇサクヤ」
紫色の髪の束が、命を刈り取る死神の鎌のように首の前で風に揺られる。
「私を殺して?」
◆
「は?」
突拍子もない発言をロミィから受けて、真っ先に出た言葉がそれだった。正直言って、マジで意味が分からない。この短時間で、目の前の無気力無口少女は頭がイカれてしまったのかもしれない。いや、イカれてしまっているな。
オーヴェルを避難させて待っていたらカインが暴れだすし、超でかい赤い蛇がカインと戦っているし、負けている。そんでアクレイとロミィがちょっと会話したと思ったら、ロミィが壊れてもうたし……蚊帳の外の俺にとって状況把握なんてこと、一ミリもできなかった。
多分ロミィは、俺の拳銃で一発頭をぶち抜いたら死ねることがわかっているはず。じゃあ何や。そのまま脳天ぶち抜いてええんか?
……俺もそんなにメンタル強くないから、こうなる気持ちもわからんでもないんやけど。
「大丈夫か?」
ようやく絞り出せた声だった。きっとこの声はロミィの心に響いていない。
今までサクヤはロミィの笑顔など見たことが無かった。彼女はずっと無表情で、どこかぼんやりとしていて、掴み所のない人間だった。少なくともサクヤの目にはそう見えていたのだ。
そして、《あの人》に似ていた。
掴み所が無くて、どこか遠くを見て、それでも何かを深く考えている、彼女に。
屋上の扉を開けて、殺しを乞うた彼女に。
そ、の、ま、ま、お、れ、は………………。
◆
暴走したカインを一発で黙らせて、元に戻す方法はいくらでもある。その中でも一番確実で、一番効果のあるものをやってみようと呑気に考えていた。
そしたら、何故かロミィとサクヤの精神がぶっ壊れてしまった。
本人から言葉を聞き出した訳じゃないが、あの有様を見たら誰だって二人が頭のおかしな奴らだとわかる。それくらい、崩壊が外側から見てもわかりやすかったのだ。
正直、俺からしたら心底どうでもいい。
捕まったところを助けてもらったことは普通に感謝をしているけど、あれぐらいの警備だったら俺だけでも抜け出せた。それに俺が今奴らと一緒にいる理由って、心臓をついでに集めてもらおうってだけだったのに、これじゃあ逆にお荷物。
こうなるんだったら、こいつらから離れて一人で心臓を探した方がまだマシとまで思える。見捨てるのは心が痛む? 痛む心があったら今頃死んでいる。
カインだけ正常な状態に戻して、俺はこの人たちの元を離れるのを決めた。
そうなればさっさと離れた方が良い。長居は良くない。今すぐこの頭のおかしい奴らから離れたい。そこまで嫌っては無いけれど、離れたい。それだけ。俺も頭がイカレそう、移るものじゃないけど少し嫌悪感。
さっさと離れたい、さっさと離れたい。それを満たすために俺は知り合いを切る。
どうせカインは、恐怖に弱い。神の人格が表に出ていない今なら、直接心に響かせることができる。これは直感じゃない、経験から言えることだ。
呆然として突っ立っているカインに向かって走り出す。ロミィの二の舞にはならない。
走っている最中に、自らの鋭い八重歯で親指の腹を切る。そこから溢れ出した血液を操り、形を作って固形化していく。傷口が小さいため流れ出す血の量も少ない。作れるものは限られてくる。
《
カインにどんな武器が効くかわからないが、彼女が怯むほどの恐怖を与えられればそれだけでいい。目に見える恐怖でもいい、痛みでもいい、どんな形であれ恐怖さえぶつければ万事解決なのだ。
俺は鋭い小型のナイフを作る。目に見えてわかる刃物、そして小さいから隠すことができる。何もないところから突然、自らの身を傷つけるものが出てきたら驚くだろう。そして、その刃を向けているのが仲間だと知ったら、それこそ立ち直れなくなる。
……目の前にいる彼女は、立ち直れなくなるだろう。それ以外は、知らない。
「カイン、こっち」
俺は平常を装いながら、カインに向かって走る。その距離は徐々に近くなり、あと数歩踏み出せば彼女を切ることができる、という距離まで近づいたところで俺は異変に気付いた。
コレ、カインでも神様でもない。
黒く大きく変化した右腕を硬化させて、そのまま俺の腹部目掛けて殴ってきた。振り払うように左から殴られたのもあって、少し身体に響いたがすぐに受け身を取る体制に入り、なんとか地面にぶつかる衝撃を和らげる。
こんな小さなナイフで、恐怖云々言っている暇なんてない。
本気で殺さないと、他の奴も危害を加えられる。
他の奴?
他の奴のことなんてどうでもいい。どうでもいいのに、死なれるのは嫌だ、という気持ちが確かに存在し、俺の心を揺さぶる。
迷いのある俺の脳裏に突如として聞こえた声があった。
——いいか? この世の全ては「切り捨てるタイミング」が重要だ!
大人たちが歪んだ吸血鬼像を語る中、一人だけ正しい吸血鬼としての在り方を教えてくれた人物。
——見極めろ。自分の仲間を切り捨てるか、信頼を切るか、物品を捨てるか、何であろうと、タイミングを間違えたら全てを失う羽目になる。わかったか? レイ。
姉の、クロス・レルトーカー。
咄嗟にアイデアが一つ思い浮かぶ。ロミィが召喚したよくわからない蛇の血液が俺の操作対象に入っていれば、それなりの武器、並びに打開策を実行できるのではないか、と。
幸いにもカインは自分から攻撃を仕掛けてくることは無い。俺は床に零れ落ちた血液に意識を集中させる。微かにそれが動いたことを確認すると、俺は立ち上がる。
「切り捨てる……か」
人間の血液なら絶対に足りないであろう術式の準備を始める。大蛇が最後まで主人の命令に従ってくれたお陰だ。案外役に立つものだと軽く感心する。
箱入り娘だったクロスが、初めて親族に反抗した時に使った術式を。
「元はと言えば全部カインのせいだよ。まぁどうせ聞こえてないだろうけど」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます