第34話 混沌と蛇のスープ (2)

 グリフル・シャンティ。彼は《蛇血痕レルトーカーの呪い》を受けて精霊になってしまった哀れな貴族の三男。呪いの名の通り、それには吸血鬼の一族、トーカー一族が関わってくるものだ。


 そもそもトーカー一族は本家と分家に分かれ、分家は合計七つあるという。あくまでこれは、「歴史上七つあるが、今も同数あるとは限らない」という忠告の上で七つあると言われている。


 由緒正しき家が家紋を持つように、その七つある分家はそれぞれ象徴を持つ。


 [幻聴]と[鯨]の……。

 [覚醒]と[熊]の……。

 [時計]と[椿]の……。

 [反転]と[狼]の……。

 [汚染]と[鮫]の……。

 [監視]と[梟]の……。

 ……そして、[呪術]と[蛇]のレルトーカー。


 家に居たころはどうにか認められたくて、図書室なんかに行ったりして読み漁っていた。その頃はこういう無駄な知識も全部頭の中に入っていたのだけれど、流石に忘れているようで、肝心の苗字が思い出せなかった。


 滅びたのか、まだ存在しているのか。人間として生きていればそんな情報手に入らない。吸血鬼側のアクレイならまだ知っているかもしれないけれど、自分としては知っても知らなくてもどうでもいいし、どっちでもいい。基本的に興味が無い。


 けれど、グリフルとの関わりがある以上は気にせずに生きては良くないのだ。無論、アクレイとも行動しているため気にせざるを得ないのだが。


 他の一族の話は一旦置いておいて、ここで重要なのはトーカー一族それぞれについた二つ名だ。その一族の得意分野を表すように、あるいは嫌味でその二つ名は付けられる。レルトーカーなんかはわかりやすいだろう。


 呪いと蛇。レルトーカーの一族が呪い系の術を得意としていることから[呪術]、何から始まったか知らないが何故か[蛇]。[蛇]に至っては、武器や衣服に装飾品として描かれていることが多々。直接見たわけでは無いが、アクレイが持っていた武器に蛇の装飾品がくっつけてあったとか。


 ああ、どうしてグリフルと呪いと、吸血鬼の話をしだしたかって?


 どうでもいいけど、敵対しているのだから思い出した方が案外これから起こる状況を楽しめるんじゃないかと思っただけ。感情が表に出にくいけれど、それなりの感情は持っているつもりだから、少しでも楽しみたいという欲はある。多分。


 カインの腕にかぶりついた蛇の姿のグリフル。まだ変身が完全じゃないようで、今の姿のサイズはどこにでもいるような野生の蛇と変わりない。


 それもあってか、暴走したカインによってすぐに振り払われてしまう。これでもグリフルは「狙った獲物は逃がさない」を座右の銘にしていたはず。彼が諦めるなんてことは無い。


 グリフルの変身は例え振り払われようとも、完全な姿になるまでは変身し続けるものだ。グリフルという名の赤い蛇は、みるみるうちに大きく変化していく。牙は鋭く、長くなっていき、その身体も徐々に大きくなっていく。


 最終的にグリフルは塒を巻いたとしても、人を二倍はありそうなくらいの大きな蛇になっていた。私は過去に一度だけ、今の状況と変わらない姿を見たことがあるが、その時から何も変わらず、ただ「大きいな……」以上の感想を抱かなかった。


 グリフル自身はこれを「不服だがカッコイイ」と言っていた。それを思い出して、少し思い出し笑いをしてしまった。偶然見られていたのか、私の笑みに気付いた、少し離れた場所にいるサクヤがちょっと引いている。


 いくら暴走状態のカインでも、大蛇となったグリフルを無視できやしない。姿見は大蛇だとしても中身は大精霊。大きさなら余裕で勝っている。力だって申し分ないはずだ。


 ……だからこそ余裕で、突っ立っていた訳だが。







 先行はグリフルだった。身体は大きいため小回りが利かないが、その分突進した時の威力は大きい。それは彼本人が一番わかっている。


 戦闘中だというのに呆然と立ったまま遠くを見つめているカインに向かって、そのまま突進した。あわよくば噛んで、毒でも流し込みたいと考えていそうだった。


 相手が動かないのだから、距離はどんどん縮まっていく。あと一歩(蛇だから足は無い)でぶつかるという瞬間に、カインの目が見開かれた。


 カインは不気味に嗤って、黒く変化した鋭い手で迎え撃つ。身体の大きいグリフルは急には止まれない。が、それを逆手に取ったカインの攻撃が彼を襲った。


 そのままグリフルの頭をカインの右手で握り潰そうとしたのだ。鱗と鱗の間に鋭くとがった爪が食い込み、血が溢れていく。


 何かがおかしい。それは自分自身に対してもだし、グリフルに対しても抱いた。


 その「おかしい」原因についてはっきりさせようと思考を捗らせるが何も思いつかない。それに加え、ただグリフルがやられ続けているのを見るのも嫌だったため思考が乱される。ここに正常な考えをしてくれる脳みそは残ってくれない。


 握力も強くなっているのだろう、先ほどからグリフルが左右に身体を大きく動かしているが、頭部に食い込みつつある手は離れてくれない。それどころか、逆に傷口を広げていっているように見える。


 何で? どうして事が上手くいかないの? どうして?


「……」


 私の方をアクレイが物言いたげに見つめていた。


「……何」

「お前……もしかして、本気の出し方がわからない?」


 本気の、出し方。


「ああ、そうか。お前あれか」


 やめて。


「ずっと優位に立ってきたから、ずっと下の奴らと一緒にいたから手加減の仕方だけ覚えてたのか。通りで、変な戦い方をする訳だ」


 違う、そうじゃない。私は……。


「ああ、別に責めてる訳じゃないよ? でもさ、本気が出せないってことは……」


 私は知らないうちにしゃがんで下を向いていた。少し遠くでグリフルの声が聞こえたような気がするけれど、私の脳は言葉を受け付けてくれない。


 それなのに、私の中でアクレイの声だけが大きく響いた。


「他の無能と何ら変わりないっていうことだよね、はは」


 乾いた笑いが余計に首を絞める。頭の中で何か反論を練ろうとするが、何も思いつかないし実際図星だし、打つ手なしとは正にこのことだった。


 私の背後に赤い気配を感じる。ふとカインの方に目を向けると、自分の右腕についた血を眺めていた。グリフルは、自分の魂が壊れる前に変身を解除して逃げてきたようだ。あのままだと頭をつぶされてもおかしくなかったし、逃げたことを責める気はない。


「もうお前はそこで休め。俺が行く」


 顔を上げて彼を引き留めようとする。必死に言葉を探したが、彼の後姿は遠ざかっていくばかり。


「あ……」


 結局、何も反論できずに彼を行かせてしまった。


 どうしようもなく暗い気持ちになり、グリフルに声をかける。私はまた、無意識のうちに顔を下に向けていた。


「グリフル……ごめん……」

「……」


 私だけに見えるグリフルを撫でる。実際、指に伝わる感覚は全くない。それでも何故か心が安らぐ。


 ずっと下ばかり見てきた。ずっと下の人と一緒にいた。よくよく考えてみれば、カインも、アクレイも、オーヴェルも、サクヤも、出会った頃からずっと「自分より実力は下だ」と思い込んで行動していたような気がする。


 だからこそ、サクヤの拳銃とやらにも驚いたし、カインにだって勝てると思ってしまったんだ。よくよく考えれば、ろくに戦ったことのない相手の実力を最初から下だと決めつけるなんて、最低な考えだ。


 どうして今までそれに気づけなかったのだ。これだけ長い時間おかしな思想をしていたのに……。「育った環境が悪かった、これから気を付けよう」なんていうくらい単純な話では無いはずだ。


 こんな自分だったっけ。結局はその一言に尽きる。


 そうやって「自分」を疑っても、「前の自分」が思い出せないのだ。変化したかどうかなんて私にはもう、判断しようがない。けれど、どこかで確実に「自分」は変わっている。矛盾を抱えて、何故か生きている。


「もういいじゃないか、ロミィ。結局は神に勝てなかったってだけだろう。次はもっと戦略を練ってから戦えば良い話だ」


「……まぁ、別にどうでもいいけれど」


 精神状況が不安定なのは昔から何も変わらない。「わからない」を相手にすることが少々苦手なのだ。今だって自分と戦っているようなもの。思考を放棄して、いっそのこと死んでしまいたい。























 ……死んで、しまいたい?

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