第33話 混沌と蛇のスープ (1)

 死神やオーヴェルに勝てるかどうかを問われたら、それはもちろん「無理」と答える。しかし混ざり者のカインに勝てるかと言われたら……、「七十パーセントくらいの確率で勝てる」と答える。


 いくら神とは言えど、人間と混ざれば造作ないのだ。私にとっては。


 まず相手に敵意があるかどうか、自分を失っているかどうかを確認するために徐々に近づいている。一歩ずつ確実に距離は縮まっているが化け物は気に留めることは無い。


 ……さらっとカインのことを化け物呼びしたが、今は仕方ないだろう。自我を失った混ざり者なんて、化け物に等しい。


 するとカインは私に気付いたのか、くるっと回って私の方に身体を向けた。一瞬身構えたが、それはすぐに解かれた。


 絵画の中の人物のように涙を流していた。頬を伝い、地面に落ちることを気に留めることなく涙を流し続けていた。そこに浮かべる表情は「哀しい」ではなく「無」だったが。


 これだから面倒臭い。「無」でいられると敵意の判断のしようがない。逆に言えば、戦闘において優位に立てるのはカインだということ。それは彼女自身の武器にもなる。神様が表に出ているときにそれができるとは限らないが。


「……ねぇカイン」


 私が少し距離を置いて話しかける。するとそれに反応して、私に焦点を合わせてくれた。涙が止まらないのが気持ち悪いが、こればかりは我慢するしかなさそうだ。


「……」


 この無言にも慣れた。何も返ってこないことがカインの返事であることも、何となくわかる。


 グリフル、万が一を考えてすぐに攻撃できるように待機しておいて。


 大精霊と脳内で会話することはできない。だけれど、大精霊の方は察しが良いようで、私の少し前まで来て、待機してくれている。ある意味、不思議。


「ほ……のお」


 僅かにカインが話したと思ったら、単語だった。炎? 精神世界で炎に関係する攻撃でも受けているのか? というか、何故それがわかる?


 言葉の意味を考えている間に涙は止まっていた。ああ、ようやく落ち着いた。面倒だったからよかった。あとはカインがどう動くか……。


「……サクヤ、アクレイ。オーヴェルを遠くに」

「え? まぁええけど」


 ひとまず、飛び火を食らうかもしれないオーヴェルを避難させておく。サクヤがオーヴェルの両腕を持ち、アクレイが両足を持って運ぶ。結構雑に運んでいたが、当の本人は気を失っているので大丈夫だろう。


 そのままサクヤとアクレイを避難させたかったが、あの二人は単体でもそこそこ戦える力を持っている。サクヤに関しては、死神一体を一定時間怯ませる程度にはある。アクレイも心臓無しとは言えど、街一つを駄目にするほどの実力者。


 自分の目測が間違っていたことは大いに残念だが、各々の能力が高いのは本当に助かる。万が一私が……としても、それをカバーしてくれるのだから。


「っ⁉」


 いきなり視界を手で塞がれた。突然のこと過ぎて何が起こったかわからなくなり、全力でその原因を取り除こうと叩く。


「壊れるからやめとけ」


 払いのけた手を目で追うように顔を上げる。そこには私を見下ろすアクレイがいた。私が叩いた手が若干赤くなっている。反射なのだ。申し訳ない。


「……何が」

「お前が」


 その発言が気に食わなかった。私は無意識のうちにアクレイを睨む。それを全く気にせず、ただ私の行動を止める彼が本当に気に食わなかった。心底怒っているけれど、その熱はすぐに冷めてしまう。


「……どうして」

「別に? 壊れると思ったから止めただけ」


 どうして壊れると思ったのかを問いたかったのだが、自らの言葉足らずによって聞き出すことはできなかった。知っても知らなくてもどっちでもいいのだけど、何か府にを落ちない。


 そもそも異種族だ。種族が違うからと言って差別はしたくないが、人間と吸血鬼じゃ理解できるものも、できないことだってあるかもしれない。これがそれかもしれない。


 ……こうやって自分を正当化したくて、無い理由なんかを探して、後に何が残るのだろう。


 本当に意味が、無い。

 意味が、無い。


「人殺しの経験は?」

「……何で、あなたに話さないといけないの」

「早く」


 何を考えてその質問をしているかわからないからこそ、答えるのに抵抗がある。だからこそ、彼にその質問の答えを言うつもりはない。


「……ま、言わないか。ある程度わかってたけど。まぁいいよ」


 ようやく私の手を放して、アクレイは私の数歩前に出る。かなり強く握られていたせいで、赤くなっている。その部分をさすりながら彼を見る。


 すると、カインの形をしたカインではない何かがまた、とても小さな、今にも消えそうな声で呟いた。


「ひとり……いや、だって」


 先ほどよりは単語の纏まりがあって聞き取りやすかったが、繋がって意味のある文章に聞こえるなんてことは無かった。あの化け物は、何を伝えたいのだろう。

 彼女は左足を前に出し、右手を真っ直ぐに伸ばす。


「……いや、なんだ、よ……」


 ギチギチと妙な音を立ててカインの姿は徐々に変化していく。服に隠れて、どこまでの範囲が浸食されたかわからないが、右半身はほぼ黒い何かに置き換えられていった。恐らくそれは右手のものと同じものだろう。

 顔の右側の部分も浸食されて、右目の部分から赤黒い色のオーラが出ている。


「私だって」


 不意に私の口からこぼれた本音。それを止める資格がある人なんて、いない。


「嫌だよ。ここをアクレイに任せるのも、逃げるのも、何もかも」


 はぁー……と、随分と長い溜息を吐かれたような気がする。呆れられたってどうでもいい。


「俺援護するから、好きに動いて」


「……どうも」



 今のカインを見ていると少しだけ思い出すことがある。私のことでもカインのことでもない、どこかの街で発生した狂った事件。



 確か、浮気性の男が大量殺人で捕まった事件だ。

 地域によっては一夫多妻も認められているが、男の住んでいる地域では認められていなかったそうだ。それでも男は十人以上の女と付き合い、遊び、全員を心の底から愛していた。周りからそれを咎められることもあったが、男は聞く耳を持たなかったという。

 その愛はエスカレートしていく。常に愛する人全員と一緒にいたいと、強く強く願うようになっていった。

 男はもともと愛に飢えていて、狂いやすい体質だったのだろう。彼は最終的に、何の躊躇もなく付き合っていた女性全員を丁寧に殺していった。総勢、十七名。死因はどれも、毒を摂取しての死亡だった。男なりに考えたのだろう。外部に傷を作らない方法で殺すなんて、毒か魔法くらいしかないのだから。

 男は殺した女たちを自分の家に隠した。慎重に慎重に運んで、それぞれの位置に配置した。ある者は椅子に座らせ、ある者は寝具へ、ある者はキッチンに立てかけ、ある者を暖炉の側に。

 それが男の求めた理想だったのだろう。


 自分の大好きな人たちを、常に自分の側に置きたい。

 自分の大好きな人たちを、自分のモノにしたい。

 自分の大好きな人たちを、永遠に……。


「っ! 前見ろ! ロミィ!」


 全く共感のできない事件だ。私は被害者遺族の感情を想像することくらいしかできない。


 ただ、理性も何もなく、自分の手元に置いておきたいから殺す、なんていう意図も見えなくもない。だからこの事件を思い出した。まぁ今の彼女とは少しかけ離れている、けれど、どこか似た雰囲気を纏っていたのだ。


「……別に、彼と同じになって欲しくないだけ」


 この場の誰よりも先に異変に気付いたグリフルが何もしない訳が無い。大精霊までなれば、どんな姿にも変化することができる。今まで見たことがあるのは二種類だけだが、この場ではどんな姿で現れるのだろう。


 見聞きが出来て、喋れるけれど、相手の考えることまではわからない。所詮は人間と大精霊だ。どれだけ私個人の力が強かろうが、流石にレベルが違う。


 急に前進しだしたカイン。その鋭い手を高く上げて、覆いかぶさるように攻撃をしようとした瞬間に、薄い赤色の蛇が横切る。その大きな黒い目を細めて、大きく口を開ける。その勢いで、カインの変化した方の腕に食らいつく。



 私はゆっくりアクレイの方を向いて、告げた。


「……あなたの一族の、罪よ」

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