第29話 神々を襲う試練 (4)
「今回は中々に気味が悪い世界だったな。そう思わないか?」
「まぁ……割と」
初の人殺しとでも言えようか。あんな感覚は二度と味わいたくない。
「オーヴェルはどんな試練を与えられたんだ?」
「カインを見つけて、間違いを正せば現実に帰れるって言われて」
ふーん、と小さな声で呟いで複雑な表情をした。困惑、疑問、憐れみを順に感じ取って、押し込めたように見えた。
返り血まみれのカインはその場に座る。ああ、そういえば僕も、まだ血がべったりとついた状態だった。気味が悪いから早く洗い流したい。精神世界から出るまでの間だから、と我慢できるかどうか微妙だった。
「私は、目に入った人間をすべて殺せ、だった。かなり体力を持っていかれた、おかげで血だらけだし、本当に面倒だった」
僕のいた会場には一切の人間が居なかった。惨劇の跡のようなものも一切残っていなかった。カインは別の場所で命令を聞いていたのか?
「あのオークション会場、本館と別館に分かれていてな。私は本館で命令に従っていた。君たちを買った会場は別館だ。最後にオーヴェルに出会った場所も、別館の関係者専用の部屋だ」
結構大型の会場だったのか。いくら探してもカインが居ない訳だ、そもそも居る建物が違うのだから。それでも結構……怖かったな。
「本館にいる人の数が多すぎる。全員分かりやすい場所に集まっていたとは言え、殺しだすと人は逃げ惑うだろう? それのせいで余計に時間がかかってだな……」
向こうは向こうで色々大変だったようだ。
「最初に殺したのは若い女性でな……」
生々しく人を殺した時の感覚を説明しだすものだから、僕は必至で止めた。
「い、一旦その話やめよう……?」
「ん? 苦手か。ならやめておこう」
一難去ってまた一難、という言葉が似合いそうなほどにカインはまた口を開く。
「詳しくは言わないから、ちょっとくらい話させてくれよ」
「聞きたくないかな」
「ちぇー」
僕が苦笑いをしながらそう言うと、文句は言うものの大人しく引き下がってくれた。
風景は変わらず、僕もカインも特に目立った動作をすることはない。それが余計に僕の思考を捗らせる。
「そういえば、どうしてオーヴェルは血で汚れているんだ? 私のような面倒臭いミッションを課せられたわけじゃないだろう? 私を見つけて間違いを正せばいいだけなのだから」
「その間違いを正すっていうのでこうなったんだよ……はぁ」
思い出すだけで疲れてくる。どうしてだが、僕はこの疲労を彼女に押し付けて、自分の持つものを軽くしたいと思っていた。相談すれば心が軽くなると、よく聞くから。
「カインの偽物が居て、気が付いたらナイフを持ってたから、本人かどうか確かめて偽物だったら殺そう……、みたいなね? 結局、僕が無茶しても止めようとしなかったから偽物って判断して殺したんだよ。……辛かったけど」
「中々に興味深いな。それで? 無茶とは?」
「ああ……。僕の仮の名前を決めた時にカインが唱えてたオリジナルの魔法を唱えようと——」
「は?」
僕が全てを説明する前にカインがキレた。とても不機嫌な顔をして、怒っているように見る。いや実際、怒っているのだろう。しかし、小動物が威嚇しているようにも見えて、それほど怖くない。
「偽物カインが止めなかったから自分でやめたよ。何が起こるかわからないし」
「な、なら良かったが……。本当に大変なことになるからやめておけ」
おでこに手を当てて、やれやれとして見せられる。
「例えばどんなことが?」
「……例を挙げるとしたら、返しを食らう。強力な返しをな」
返し。前に受けたことがあるが、あれもかなり痛かった。それ以上となると耐えるのは少し厳しいかもしれない。それはちょっと嫌だな。
「ああ、そうだ思い出した。もう一つ不思議なことがあって……」
「……まだあるのか」
カインは聞き飽きたようで、それが少し態度に出ている。しかし僕はお構いなしで話す。別にいいじゃないか、変なことが起きたんだから。
「偽物カインを殺した後に気がおかしくなってさ」
「初めての人殺しはそんなもんだろう。絶望と後悔がどっと押し寄せてくる。それにカインも苦しんでいた」
ややこしく感じるが、今は話しているのはカインでは無く、カインの信仰する神「カオス」である。見た目が一緒だからついカインと呼んでしまうが、本当にややこしい。
「『IF』の魔法がふと口から出て……」
「は? ……え?」
「魔法の効果が表れる前に女子の声がして……結局何も起きなかったことがあって。その後にカインが僕を見つけてくれたんだけど……」
そのままカインは後ろに倒れて、真上を見上げる形で寝転ぶ。少し変身が解けてきているのか、顔の頬の部分や指先が黒い靄になりかけていた。
「……君が、ただの迷い神ではないことが証明できたな。おめでとう」
全くめでたい気持ちの無い「おめでとう」をもらっても僕は何も嬉しくないし、どういう思考を持ってそう辿り着いたのかわからないから何も理解できない。
「純粋な神の使用する魔法が遮られることは、まず無い。絶対的な高位に居座る我らに、ちょっかいをかけようとする者など存在しない。……あくまで死神だって、この世界の秩序を守ろうとして攻撃しているのだ」
「死神は悪くなくて……僕らが悪いってこと?」
「そうだ。基本的に人と身体を共有することや、人間の姿形をして人間と直に触れ合うことは禁忌だ。神には神の助け方があり、それに則っていない場合は神であろうとも死神が殺しに来る」
なんだか、存在を否定されたような気がして苦しかった。僕の鼓動が僅かに早くなったのを感じ取る。カインは止まることなく話し続ける。
「君は不可解すぎるんだ。まずそもそも神が記憶喪失で、人間の姿をして生活していることが謎だし、『IF』の魔法でさえ遮られるなんて作り話としか思えない。だからと言って、君の話を信じない訳では無い……が」
自分自身が自分自身のことを全く分かっていない。それだけで他の人より劣っているという考えに至って、気分が落ち込む。
僕の正体について一生懸命考えてくれているカインですら、仮説も立てられないのだ。惨めになって、暗くなって、落ち込んで、ため息が漏れる。
「神は全知全能じゃない。迷うことだってあるし、間違えることだってある。矛盾だってすることもある。重く捉える必要は無い。私だって……」
思わず言葉を濁したカインに、僕は聞き返す。
「……私だって?」
「……たった一人の信者の意思さえ、押さえつけていられない。本来の身体の持ち主は彼女だ、彼女だが……彼女自身が全てを差し出して逃げた。「もう自分は現実を生きていられない、辛い、逃げたい」とな」
確実に、着々とカインの姿は輪郭を持たなくなっていく。
「今表に出て人と係わっているのは私という神だ。こういった場合、意志も思考も何もかもを神に捧げて元居た人格は消え失せる……はずなんだ。でも今はどうだ? 何ならお互いに会話できるし、こうやって分離することもできる」
下半身が闇に溶けて、どこかで見たことのある影となる。どこで見たっけ、この影。
「神と人間が対等なんだ。私は神として不完全なんだよ。何故かわからないけれどね」
カインは少しだけ涙を浮かべながら笑っていた。何を思って悲しくなったのか、自分を恥じて泣いているのか、何も汲み取ることはできなかった。
「私たちは待つことしかできない。外にいる奴らを信じよう。神が言うのも何だがな」
一番誰も信じていなさそうな君が、信じるなんて言葉を使うのか。
どこから出てきたかわからないけれど、そんな言葉が脳裏を過る。そして僕は、その言葉が通り去った後に思い出したことが一つあった。
この影は、僕が『IF』の魔法を使った時に、無理やり地上に下ろしてくれた不気味な化け物の一部分に似ている。あれはカインだったのか。
神に対抗できるのは神だけという言葉も一理あると思った。それ以上に何も思わなかった。自分が何者であるかも、考えるのが嫌になってきたところで僕も横になった。
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