第28話 神々を襲う試練 (3)
忠実に再現されたオークション会場で今から処刑が開始される。アクレイの処刑よりも現実味が無く、それほど恐怖は無い。
もしこれが現実の通りなら、様々な人が僕たちの値段を言い合った後、カインが破格で購入するはずだ。しかしここは精神世界、僕たちの予想通り、または現実通りになることは無いだろう。
だいたい、僕以外の三人がいない。もうこの時点で現実通りじゃない。ここから先は何が起こるかわからない。
でも、裏を返せば何をしてもいいということ。……でもちょっと怖い。
ここから見ても観客席のところにカインの姿は見えない。カインの状況もわからないから、あまり救助に期待しない方が良さそうだ。
「さァ! 始めようじゃないカ!」
司会者が立っていた場所に死神が立っている。奴はこちらを見て一言。
「もう一人の愚者と、合流したいカ?」
「まぁ……もちろん」
一人より二人の方が心強い。が、死神が言葉通りのことをするとは限らない。きっと、何か裏が有るか、そもそもこの言葉自体が嘘かのどちらかだ。
「間違いを正せ。どれだけ残酷でもナ」
「何を……」
「見つけられたら現実に戻してヤル。見つける前に死ななかったらいいナ。幸運ヲ」
全く幸運なんて祈る気がないようだった。死神はそのまま姿を消してしまったが、何かが変だった。奴が立っていた場所から煙が見える。疑問に思った僕はそのままステージを下りてそちらに向かった。
驚くことにそこには小さな火柱があった。そう、燃えているのだ。今も徐々に燃え広がっており、時間が経てばこの会場全てが燃えるだろう。水も何もない状況で消化の方法は思いつかなかった。
きっとこれも魔法か何かの類だろう。仮に消す方法を思いついたとしても消せないことは目に見えていた。だったら早く、カインを見つけ出した方が良い。
僕はその場を離れて観客席を歩き回った。一階席、二階席、三階席、どこを探してもカインの姿は無かった。というか、人影すらない。三か所を探すのにかなりの時間を要したようで、一階席の半分は火の海だった。
火、そのものも熱さで苦しかったが、何より厄介だったのが煙だった。出来るだけ煙を吸わないようにしていたけれど、それでも吸ってしまうものは吸ってしまう。その度に咳き込んで、体力を奪われていく。
僕は会場の外に出た。紅いふかふかのカーペットが一面に敷かれたホールらしき場所だった。こんな風にもう一度踏むことになるとは思ってもいなかった。少しだけ懐かしいが、今はそれどころではない。
派手な花や水槽が配置されているホールも隅々まで探す。どこにもいない。この建物の構造を詳しく知らないから、行き当たりばったりで探していくしかないのが苦しい点の一つだった。
自分でもわかるくらいには、疲弊していた。探し始めたころと比べて明らかに足が遅い。それでも内心は焦っている。ここまま見つけられなかったらどうしようと、不安で胸が苦しい。
自身の記憶を頼りに、カインが契約書を書いていた部屋に続く廊下に辿り着いた。小部屋が数多くあり、これを一つ一つ探すのは大変そうだと思ったが、探さなくてはいけない。僕は一つ一つ開けて確かめていった。
どの部屋も家具が無いことが不思議だった。何もないからすぐにカインの存在の有無を確認できてよかったが、何故か心に引っかかった。
最後にカインと僕たちが、ハッキリとお互いの姿を確認したあの部屋を探す。確かあの時、カインはオークションを運営する人に叱られていたよな。
「やあ、遅かったな。待っていたぞ」
カインが椅子に座って、優雅に紅茶を飲んでいた。ぶん殴りたくなるが、一旦置いておいて火のことを伝える。
「この会場燃えてて……もうすぐそこまで火が来てるから早く逃げよう」
「別にいいじゃないか、燃えてても」
「え?」
おかしい。何かがおかしい。見た目はカインなのに何かが違う。
「このまま死ぬのも悪くないなと思ってな、どうだ? 一緒に」
カインはこんなことを言わない。押しつけがましいことは十分に承知しているが、カインは生きることに執着してほしい。死にたいだなんて言うような、神じゃないでほしい。
気が付くと自分の左手には四十センチほどの刃渡りの大型のナイフが握られていた。そうか、ここは精神世界。不思議なことが突然起こってもおかしくない。今こうやって、ナイフが自分の手に握られていても……おかしくない。
不思議なことに、このナイフは僕の上着の色と同じ色のラインが、刃の部分に丁寧に塗られていた。まるで僕専用とでも言っているかのように。
「どうした? オーヴェル。ゆっくりお茶でも飲もうじゃないか」
気色の悪い笑みで僕を茶に誘う。しかし僕はその誘いには乗らずに、ただ呆然と立ち尽くしていた。
死神は「間違いを正せ」と言っていた。もしかして、と嫌な考えが脳裏を過る。
目の前のカインが間違いなのだとしたら、それはカインを殺せという意味では無いか?
どく、どくと自分でも心拍数が上がったのを感じられる。ナイフを握る手により力が入る。もし間違っていたらどうしよう、不穏な考えまで過る。集中するあまり遮断された嗅覚。恐らく火はすぐそばまで迫っているはずだ。息が苦しい。
殺す? 殺さない? 死ぬ? 生きる? 殺す? 生かす? 殺す? 殺す?
嫌だ、殺したくない。いくらカインじゃないからって、それでも痛いものは痛いじゃないか。そもそもこれがカインじゃない証拠はどこにもない。本物のカインが死を望んでいるかもしれない。
だから僕は、確信を得るために唱えた。記憶を辿って、カインなら絶対に……るだろう。
『
カインはこのことに対して何も発しない、なら目の前にいる彼女は……。
偽物。
なら、きっと。それでも。どうしよう。迷っている暇はない。
僕はナイフをしっかりと握って、カイン目掛けて走り出す。どこがいいだろう、楽に死ねるような、一撃で死んでしまえるような場所。
首か。
肉と肉が離れ離れになり、裂ける感覚が直に伝わってきた。首には太い血管があったから、多くの血が周辺に飛び散る。勿論それは、僕の手にもべったりとついてしまう。
カインは何も発することなく、椅子に座ったまま前方に倒れた。ガラスのローテーブルをも真っ赤に染めていく。悲しいことに、それがとても美しく見えた。
僕はふと自分の手を見る。犯した罪をこの目で確認するように、じっくりと長い時間をかけて手を見た。次第に悲しみが憎しみに変わり、哀しみになって灰となる。熱は冷めた。
いくら精神世界とはいえ、こうやって仲間を殺すのは苦しい。偽物だとわかっていても、だ。人を殺した感覚がずっと手に残っている。気味が悪い。
残った偽物の遺体に触れてみた。冷たい、冷たいけど、氷のような冷たさとはまた違う。死体特有の虚しさを詰めた温度。触れた部分に血の汚れがついてしまうが、もう気にすることは無い。
無意識のうちに僕は足から崩れ落ちていた。その衝撃で自分が膝をついていることに気付くくらいには、精神的に疲弊しているのだろう。そして同様に、周りの火にも気づけないくらいには、何も考えられていないのだろう。
あんな無茶な方法で魔法を使おうとしたら、カインなら絶対に止めるはずだと自信があった。どこか心の奥で絶対的な確信があった。でもそれはもしかしたら、過信だったかもしれない。
さっき殺したカインは本物だったかもしれない。そんな考えが張り付いて離れない。どうしよう、中途半端な自信で殺すなんてこと、しなければよかった。
大火事の中、僕は無意識で立ち上がる。この際どうでもいい。この際どうでもいい。
どうにでもなれ。
どうにでも、なれ。
「あはは……」
笑いまで込み上げてくるんだ。本当にどうかしている。
何を間違えたんだろうね。僕。
『IF:
するとその瞬間、僕が世界の変化を確認する前にもう一つの声が響く。
——夢の中に来るのは良いけれど、そんな姿で来てほしくないの。身勝手なお願いだけれど、もう少しだけそっちでゆっくりしていて。おやすみなさい。
聞いたことのない、おしとやかで落ち着いた声。聞いているだけで眠くなりそうなくらい、安心できる声だった。
結局のところ、世界は何も変化していない。燃え盛る火は目の前まで迫ってきている。ふと顔を上げると偽物の遺体が無かった。これは……もしや。
「そんなところにいたのか、死ぬぞ。オーヴェル」
「……カイン」
何故か血まみれになったカインが背後に立っていた。当の本人は全く痛そうにしていないから、きっと何かの返り血だろう。
「アー、やっぱり帰っちゃうカ」
爆音で死神の声が響いた後、世界が崩れ始め、また元通りの真っ暗闇にぽつんと残された。
「約束を守ってくれることだけは感謝するよ、死神兄弟」
「ドーモー。んじゃ、現実で生きてればいいネ」
そういって姿を消した死神。僕らにできることは、ただ待つことだけだった。
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