第22話 燃えた額縁 (3)

 僕の身体はボロボロだった。歩くことすら辛い、息をするのにも痛みを伴う、常に全身を襲う痛みを受け止めなければならない。その全てが僕の体力を奪っていった。


 確認しなければ休めない、今ももしかしたら助けを待っているかもしれない。僕を待っているかもしれない。早く彼らを安心させなければ、ならない。


「あっちだ! 犯罪者を見つけたぞ!」

「行け! 捕まえるんだ!」


 僕の方を指さす人間ども。ああ、僕の知らないうちに僕が犯罪者になっていたのか。そりゃそうだ、吸血鬼として処刑する予定をぶち壊し、ろくに行えなくしたのだから。


 このままじゃ捕まるというのに、僕の足は走ってくれない。痛みで、何もできないとは正にこのこと。僕、この短期間で耐えられそうにない痛みを何度も経験している。一般人じゃ、滅多に経験しないはずなのに、どうして?


 僕に不運が集まっているとしか思えない。何もない人生より遥かにマシかもしれないが、苦痛は嫌だ。



「……チッ」



 場を切り裂くような鋭い風が僕の隣で吹いたかと思うと、そこにはアクレイが立っていた。


「アクレイ……⁉」


 助かったのか、本当に良かった。その言葉は出てこなかった。


 大きな翼を広げたアクレイが戦闘態勢に入る。どこからともなく赤黒い、細身で先端の鋭く尖った刺突用の片手剣……レイピアを手に持つ。持つ部分が蛇のような装飾がされているのが特徴的だった。


「マジ本当……面倒臭いのに」


 レイピアにぐるぐると螺旋状に循環している血液。不覚にもそれに見とれてしまう。循環している血液のスピードは速い。これは恐らく、当たるだけでもかなり痛いのかもしれない。


「吸血鬼ごと殺してしまえ!」


 兵士、屈強な男どもが様々な武器を持ってこちらに走ってきた。ざっと見ただけでも三十人以上はいる。この数を、アクレイ一人で? そんなの無理に決まっている。アクレイは本調子じゃないのに……。


「コイツらマジ……数多いし。っつ……、一か八かやってみるか……」


 レイピアを構えて、そのまま群衆に突っ込んでいった。レイピアに触れた武器は砕けていき、人に触れるとその部分が抉れる。見ている分には本当に吐きそうだったが、次々に人を倒していくので、その剣捌きに衝撃を受けた。


 倒れた人々は微かに息をしているし、動いている。地面を這いつくばって、血液で彩っていく。どこかの裏路地は悲惨な景色を常に作り出していた。


 地面に落ちた血さえも、アクレイの操作の対象となる。細い糸のように形を変えていき、それでさらに奥の方にいる人を倒していく。気が付くころには誰も動かなくなり、死体を蹴りながら戻ってくるアクレイを呆然と眺めていた。


 その数、おおよそ七十は下らない。


「あー……オーヴェル?」


「……あっ、えっと、大丈夫?」


「俺は大丈夫だけど、オーヴェルの方は?」


「あんまりかな……」


 死体のカーペットを見て気分の良い人なんて狂人しかいない。惨劇の場から漂う血の臭いが鼻を殺しにかかっている。僕は思わず、口と鼻を手で覆う。


「ああ、さっきはありがとうな。助けてくれて」


「うん……、生きてて良かった」


「何をしたかは知らないけど……、あー、聞かない方が良いね。気にしないで」


 わざとらしい笑顔。僕も何が起きたか理解していなかったから、ひとまず聞かれなかったのは相手の気遣いとして捉えることにした。裏が有ろうと無かろうと。


「そういえば、カインは?」



「え? 会ってないけど」



「え?」


「え?」


 アクレイの次は、カインが行方不明? そんな訳無いと思い聴いてみる。


「まさかカインも……」


 僕が質問を終える前にアクレイが答えた。


「いなくなったらしい。俺は見てないから知らないけど、急にどっか……。まぁいいか、オーヴェル、サクヤのところに戻るぞ」


「ロミィは?」

「サクヤと同じところにいるはず」


 バッ……と翼を広げる。いくら僕があの時空を飛べたからと言って、今の僕は飛べないよ? それに全身が痛くて、歩くことすら厳しいのに……。


 そんなことを思っていたら、突然アクレイが僕を担ぐ。


「え⁉」


「こうするしかないから、暴れるな! これで我慢してくれ、な?」


 僕は反論することなく、彼に担がれたまま空を飛んだ。死体のカーペットは街の彼方此方に存在していた。その全てをアクレイが作り出したとは思えないが、この街の住人の半分はカーペットの材料にされていそうだった。


 生き残った人たちが弓矢を構えて僕たちを狙ってくる。それに対しても苦しい顔一つもせず、血液を鋭く固めたナイフのようなものを地上に降らせて反撃をする。悲鳴、叫び声が聞こえる。


 アクレイの表情や、僕の心からわかったことがあった。



 この殺戮に、罪悪感を持っていない。



 自分たちの利益と命を守るために殺している、と言えばまだマシに聞こえるが、殺す必要のない人まで殺しているのは明確だった。殺すことに快感を覚えていないだけマシだが、やっていることはただの狂人。


 そして何より、自分を刺し殺したくなることがあった。この人殺しを認めて、止めない。そうしなかったことを後悔していない。今も、するつもりが無いように思える。


 アクレイを助けられなかったら……、このことに関する後悔はあれほどしたというのに、天と地ほどの差がある。これが僕か、これが僕か?


 いつの間にか、真下は街じゃなくなっていた。《想封街デルリム》を出たのだ。街に留まる方が愚策と判断したのだろう。その考えには僕も賛同する。







想封街デルリム》の先には平原が広がっていた。所々に生えた大きな木が道しるべになりそうな場所。そのうちの一つの大きな木に、二人の影が見えた。そこにゆっくりアクレイが降りていく。僕は担がれたままだ。



 華麗に地面に降り立つと少し乱暴に僕は降ろされる。転ばなかったからまだいいものの、これで怪我していたらアクレイを殴るところだった。まぁ、冗談だけど。


「おかえりー。オーヴェル凄かったなぁ。まさかあんな技を隠してたなんて思わんかったわ」


「隠してたわけじゃないけどね……」


 僕だってあんな力が使えると思っていなかった。使えると知っていたならば、もっと早くから使っていたはずだ。それにしても全身が痛い。


「でも……これでハッキリわかったね……。ヴェル……」


「え?」


「近くにいたから聞いていたけれど、あの魔法の最初の詞は……」


 少しだけ間を置いて、ロミィが息を整える。言っていいのか、どうなのか、悩んでいるようにも見えたが、彼女は口を開いた。



「IFから始まる魔法は、神様しか使えないもの……。時々聖書とかにIFから始まる魔法が記されているけれど、それを人間が使おうとすると身体が内側から破裂する……。でも、生きているっていうことは、もうあなたは神以外の何者でもないの」



 僕を神だと、ハッキリと、彼女は言った。


 そんな記憶無い。だからわからない。それ以上のことは何も言えない。


 こんな言葉を思いついたけれど、これは真実から逃げる言い訳にしか聞こえない。それに、どうしてかわからないけれど、僕は自分が神だということを認めたくないみたいだ。


「……別に、神様だったとしても、私は逃げたりしない」


 一番欲しかった言葉を言ってくれたことが本当に嬉しかった。自分がそんなよくわからない存在だと知ってしまった仲間たちは、僕の元を離れてしまうのではないかという恐怖に駆られていたのだ。


「神って誇らしいことちゃうん? だって、最強! みたいな感じなんやろ?」


「神様だから最強とはならないけれど、大概の人間は太刀打ちできない……と思うよ。カインとかは例外として」


「吸血鬼を悪者にしない神なら大歓迎」


 誇らしいかどうかなんてわからない。自分が最強とは言えない。吸血鬼を悪者扱いはしない。彼らの言葉は僕が思っているよりも温かいものだった。ただ一人の意見を聞けていないが、カインは神と身体を共有しているのだからきっと僕を受け入れてくれるだろう。



 ……っていうか、神って全知全能じゃないの? 何で僕は記憶を失っているの?



「まぁ……珍しい神様だと、思う……」


 神と聞いて思い浮かべるイメージは、空の上にいる感じ。何なら僕は地上で生きているし、オークションにも出品された。多分、この世界で一番雑な扱いをされている神だと思う。これだけは自信を持って思う。


「え~、超最強な味方やん! これからよろしくな!」


 僕は少しだけ考えて、答えた。


「頼りないかもしれないけど、よろしくね」


 なんとなく、良い感じの雰囲気になってはいるが、僕たちの心の中には大きな問題が一つ残っていた。これを心配していない人もいれば、別にどうでもいいという人もいる。それでも僕は、カインが生きてくれていることを願う。


 君は、どこに行ったの?

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