第21話 燃えた額縁 (2)
息が上がっている。人を押しのけるのにもかなりの体力を使う、更には急いでアクレイの元へ行かなければならない。体力の消耗無しでは、絶対に辿り着けない場所。
この間、一度も後ろを振り向いていない。きっとロミィやカイン、サクヤは離れ離れになっている。これだけの人の数だ、一緒に急いで動くことなんてかなり難しい。いっそ僕はバラバラでもいいと思えた。
徐々にアクレイの姿がはっきりと見えてくる。その表情は虚ろで、どこも見ていない。目は開いているのに、何にも焦点を当てていない。呆然として、縛られている。
僕がこうやって進んでいる間にも、処刑の準備は終わっていく。
「皆様! 本日はお集まりいただき本当にありがとうございます!」
処刑台に乗って、拡声器を使って話し出した女性がいた。
その女性は青色の髪で、後ろで一つに括っている。細目で目の色は分からない。ただ一つ言えるのは、聖職者のような服を着ていることから、宗教関係者ということだ。
「私は、ネイラル教の司教、シューレル・エムマーローと申します!」
ネイラル教……。カインは何教だろう? ああ、それとも狂う方かな?
冗談はさておき、この女性が何かを話している間は殺されないだろう。あの人が意図せずとも時間を稼いでくれている間に、近づこうと努力する。
そこで新たに見えたのは、兵士のような恰好をした男どもだ。処刑台から円を描くように警備している彼らが思っている以上に邪魔なのだ。その数はかなり多く、僕一人の力じゃどうにもできない人数だと、パッと見でもわかる。
でも、アクレイを助けなければいけないのだ。
「本日は、あの忌々しい吸血鬼を処刑する日となっております! 見てください、この愚かな吸血鬼を。日の光を浴びても灰にならない、新種かもしれません。ですが、そんな新種の吸血鬼でも磔にして、燃やしてしまえば灰になるでしょう!」
アクレイに恐怖の感情は無いように思える。無いというより、上手く隠せているだけなのかもしれないけれど。
「では、早速処刑してしまいましょうか? うふふ」
今から人を殺すというのにその爽やかな笑顔は何なんだ。気味が悪い。
それよりも不味いのは、そもそも僕が処刑台に辿り着けていないことと、周りの警備が厳重すぎること、それと何もアクレイを救う方法を思いついていないこと。無計画に動き出した自分を呪いたい。
この街に着いた時からアクレイを助ける計画をしておけばよかった、もっとロミィの信用を高めておけばアクレイの情報をより早くしれたかもしれない。自分たちだけのんびりしていないで、もっと事の重大さに気付けばよかった。
していればよかった。後悔ばかりが溢れて、自分がいかに何も考えずに生きていたか、惨めに思えてくる。こんな後悔でさえも無駄なのだ。彼を失っては。
もう外の世界の音を遮断していた。ただ目の前に流れる映像を無音で眺めているような感覚。司教が何かを話しているようにも見えるが、何も聞こえない。けれど、それが終わりの合図なのだと気づくのは数秒後。
何かの魔法を唱えて、魔法陣が表れる。それは火を灯している。
司教が口を動かす。話しているようだ。複雑な会話は分からないが、おそらく最後の言葉は「サヨウナラ」だろう。そういう、口の動きをしていた。
司教が死刑台から降りて、火を操る。それは急にスピードを上げて、アクレイの方向へ一直線に突っ込んでいった。
視界の情報さえも遮断され、思考だけがただただ働く。
ただこの状況に、何かしらのデジャヴを感じた。何も思い出せないけれど、絶対にどこかで見たことのある、このようなことをしたことがある、そんな気がした。
デジャヴを感じるなら、その時の僕はどうしたのだろう。助けた? 助けられなかった? 何をした? 人を殺した? 殺された? 僕は……僕は……僕は。
全く記憶に無いのだ。思い出せない。
どんなことがあったとか、そのとき何を思ったかとか、何を見たかとか。
何も、そういった情報は一切無い。
一切無いのに。
押しつぶされそうになりながら、走りながら、何を思ったのか。
僕の口から、知らないはずの言葉が何にも邪魔されずに出てきた。
『
その魔法を唱えた途端に世界が広がる。音も視界も、全てが復活した完全な状態で、僕は処刑台よりも、そこらの屋根よりも高い場所で、停止していた。実質飛んでいるような状態だ。
そして僕は強く白い光を纏いながら、背後に巨大な六角形の精緻な魔法陣を広げていた。背中にあるものだから、あまり僕からは見えなかった。
何をするでもなく、僕はその事象を眺めていた。
街全体を覆いつくすドーム状の黄緑色の光が突如、出現する。そこにありとあらゆる魔法を消滅させる効果が付与される。使用者は勿論、対象外。
アクレイに向かっていた火は消滅し、この街に存在する魔法道具もただの道具に成り代わる。このドームの中にいる限りはその効果は続くだろう。人混みの中に、大きな影の揺らぎが一瞬だけ見えたが、それさえも消えてしまった。
僕は空中に囚われていた。危機を退けたのにアクレイを助けることができないなんて、どうかしている。この間にロミィとサクヤ、そしてカインが助けてくれていると良いのだけれど。
大勢の人の目は僕に集中している。処刑そっちのけで、僕が一番目立っている。
ひとまず、突然起こした騒動でアクレイの死刑を止めることができたが、次が思いつかない。勢いに任せて行動すると、後に引けない状況を作り出してしまうのだ。今みたいに。
というか、地上への戻り方がわからないのと、僕が今一切動けない。
どうしよう、と留まっていると街の奥の方から、先ほど人混みの中に見えた巨大な影が一直線に僕の方に飛んできた。ほんの一瞬、ぎょろりと単眼が影の中から僕を見た。それがあまりにも不気味で、強く、強く、記憶にへばりつきそうだった。
攻撃する手段も、逃れる手段もない僕は痛みを覚悟した。しかし、影は僕と背後の魔法陣を飲み込むように包み込むと、魔法陣を消滅させていく。僕の視界には、例の単眼と影の身が映り込んだ。
怖い! 嫌だ!
とにかく単眼がリアルで気味が悪い。キモチワルイ。不気味。嫌だ。生理的に無理。時々ぐちゃ……ぐちゃ、という謎の音も鳴っている。気持ち悪い。そこにべちゃ、べちゃべちゃという音も加わる。余計に不気味さが増す。もう嫌だ……。
影の中にいるとはいえ、落下していっている感覚はあった。影の中は目玉のせいで気味が悪いと思うが、影自体にはそんなことは全く感じない。ふわふわでもなく、つるつるでもなく、ざらざらでもない。何とも言えない手触りだが何故か居心地は良い。ちなみに言うと、温度も快適。
目玉さえいなければ、目玉さえいなければ、なんてことない空間だった。目玉さえいなければ。
少しの衝撃が、影の中全体に響いた。恐らく地面に着いたものじゃないかと思う。いつになったら陰から解放されるのだろう、と思っていると、それはゆっくりと空間にばらけだした。
「あ……」
あの空高くから、僕は戻ってくることができた。その安心感は大きく、僕は思わずそこに座り込んだ。
「あ、ありがとう。影さん……」
「……ひとり」
「え?」
影から声がする。口や喉は無いはずなのに、どこから声を出しているのかわからない。というか、妙に大きな声で頭に響く。ずっと聞いていたら、頭痛を引き起こしそうだ。
「……ひとり、いっしょ」
もぞもぞと影が動く。単眼は表に出ていない。人の形にもならず、化け物の形にもならず、影として立体になり、そこにいるだけ。少しだけ僕に近づいたかと思うと、また戻ってしまった。
「なかま、だいじに」
徐々に声が耳障りなものへと変化している。これ以上は聞いていられないかもしれない。
「また、あう。どこかで」
影はそのまま、分散して消えていった。追いかける体力も無ければ、その気にもなれなかったので、何もしなかった。
僕は立ち上がる。アクレイがどうなったかを、知りにいかなければならない。
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