想封街 デルリム

第10話 想封街へ (1)

 僕が行った頃にはアクレイ以外の人が集まっていた。


「……アクレイは?」


 痺れを切らしたロミィがカインに向かって聞く。カインはどこか遠いところを見ながら返事をする。


「行方不明だな。夜のうちに消えた。きっと逃げたんだろうな」

「本当に?」


 食い気味に問う。身体も自然と前のめりになっているが、気づくことなどない。


「確証は無い、だから逃げていないかもしれない。けれどよくよく考えてみろ。不運にもオークションで売られてしまった誇り高き吸血鬼が、いつまで経っても誰かの下にいるはず無い」


 言葉を失くした僕の代わりにサクヤが他の可能性を問う。


「元おった世界では吸血鬼って血を吸う化け物なんやけど、普通に血を吸いに行ったとか無いん?」


「そっちとこっちの吸血鬼の解釈は合っているようだな。……まぁそれも無くは無いが、これだけ近くに人間がいるのに何故わざわざ遠くに……?」


「カインって、なんかちょーっと抜けてるところあるよな」


「ん? そうか?」


 サクヤが立ち上がってカインの目の前まで移動する。そして低い位置にある頭めがけてチョップする。


「痛っ!? 何で⁉」

「もしかしたら、コイツらのことは攻撃したくない、ってなって遠くまで血を吸いに行ってるかもしれへんやん。心が無い奴じゃないねんから」


「……本当にそうだと思えるのか?」


 震えた声でカインが聞き返すことに驚いた。恐怖とはまた違う怯えた声で、何かを確認し、確信を得たいかのように。


「じゃあ信じろよ。俺か、アイツを」

「……」


 信じる、という言葉が彼女の中では何かに引っかかっている。強いのに、賢いのに、一番重要な部分が欠けている。例えば、神以外信じられないあの心には信頼という文字が。


「誰も信じられないような家で育ってきたのよ、カインは。だからこうでも仕方がない……」


 ロミィがカインを庇うように、何かを隠すように見えない言葉で覆い隠す。


「まー毒親育ちとか普通におるからなぁ……、あんまりそういうのには触れへんけど、なんかあったら言いや? 少なくとも俺は味方になるからな!」


 ど、毒親? 子供にとって毒になるような親……、ということだろうか? 少しも想像がつかないところを客観的に捉えるに、僕の親はおそらく普通の親だったのだろう。


 全く客観的ではないことに気付くのは、だいぶ後の方だ。


「ここで待つか、予定通り出発するか。どちらがいい?」


 カインの切り替えようは別人のようにも感じられる。分が悪くなると入れ替わって、都合よくことを進めようとする。嫌いではないが、少し冷める。


 誰かに意見を無言で求めるが、誰もそれに応えようとする者はいない。ロミィに至っては、話を振った本人なのにもかかわらず別方向を向いて、よくわからないことをしている。


 ぶつぶつと独り言を話しているようにも思えたので、静寂に紛れて彼女の声を聞き取ろうとする。だが、あまりにも小さい声で聴きとれない。



「何の魔法だ? ロミィ」



 カインが尋ねる。あの小さい声は魔法の呪文だったらしい。


「血を代償に、アクレイの居場所を突き止めようとしたの……まぁ、無理だったけど」


 よくよく見ると左手首に薄くナイフで切ったような痕が横に一本、線のように刻まれて、血が流れていた。


「無理? どうしてだ?」


「無理なものは無理。拒絶魔法でも使っているんじゃないの?」


 ロミィは赤い線の入った腕を見ながらそう言う。空いた右手で耳たぶを触っているのはおそらく癖だろう。


「こうなったらお手上げ。私より彼のほうが強かったということ。諦めて、次行くべき場所に行った方が絶対良い」


「次か。私の祖国へ向かうならば、次行くべきは《想封街デルリム》だな。一番近い街だ」


「そう、じゃあそこに」


「ちょ、ちょっと……。まだ逃げたって決まったわけじゃないし、勝手に次々進んでいくのはあんまり良くないと……」


 トントン拍子に進んでいく話に恐れを抱いて、彼女らを引き留める。


「いいじゃないか。私としては二億五千万の金を失ったことになるが、後悔はしていない。それに、ついてきたいのならば自分から来るだろう」


「流石にそれはあんまりちゃう?」


 サクヤも僕の味方となって議論に参加してくれる。心強い。


「……ここで待っていたら、ユキナを救えなくなってしまうかもしれないぞ」

「ハッ⁉ そ、そうやな……うーん」


 サクヤには救うべき人物がいる。おそらく優先順位はそちらの方が高い。

 彼は目をつぶって唸りながら考えている。深くソファに座って上を仰ぐように。


「あ、そうだ。忘れていたな。これをやろう、ヴェル」


 いつの間にか僕のあだ名がヴェルになっている……というか、ヴェルというあだ名が広がっていることは置いておこう。


 カインがそう言って乱暴に投げてきたのは、どこかで見たことのあるような青緑色の丈の長い上着だった。夏用、冬用というよりも、春秋両用といった生地の分厚さだった。背丈も僕に合っていて、逆に不気味に思える品だった。


「あとこれも、小さいものだが不満だったらすぐに違うのを渡そう」


 またも乱暴に投げる。キャッチし損ねたものは、薄灰色のショルダーバッグだ。触り心地が良く、丈夫そうだと思った。生地や構造に詳しくないから、丈夫かどうかは素人目線。


 中は単純構造で、大きなものが入る空間と小さなものを入れる空間が三つほど。


「ありがとう」

「そりゃどうも」


 カインはそう返すと、そのままその大部屋を去っていった。


 ……結局、話の結論が出ないままだった。一番主導権を握っているカインがどこかへ行ったのだから、中断せざるを得ないとも言っていいと思う。けれど飼い主とペットのような服従関係は僕らに無い。


 対等である。ならば僕らだけでも結論を出さなければならない。

 もっとも、多数決で決まってしまいそうだが。


「それで……結局どうする?」


 刺激しないように、強い言葉を使わないように。これからの価値を信じて優しく振舞う。


「サクヤの件もあるし、次の街に行きましょう。置手紙くらいはしておく?」

「そうやな……。俺は顔見知りの男よりも親友の雪那が大事やし」


 予想通りの多数決で、僕だけ反対意見を出している状況が作られた。わかってはいたけれど、何だか心がざわつく。


「じゃあ、そうしようか」


 それから十分ほど経った頃にカインが荷物を持って戻ってきた。リュックから僕に渡されたものと同じようなショルダーバッグまで、統一はされていなかった。


 簡易的な食糧も持っていくようで、大きめのリュックに詰めていっていた。


「次の街までそれほど遠くないし、これぐらいあれば大丈夫だろう。それで? 結局どうなったんだ?」


「置手紙だけして、ここを出ることになった……の」


 付け足したような語尾が逆に目立つが、誰も気にする様子は無い。

 ロミィの発言に驚いたのか、目を丸くして固まったカインにサクヤが焦る。やけに大きく手を動かしてあたふたした後に、取り繕う様にサクヤが言葉を口にするのだ。


「ほ、ほら。雪那の件もあるし、俺にとっては雪那のほうが最優先事項やし? だから老いて行くわけじゃないけど、後からちゃんと来てねぇ~みたいな……ね? わかる?」


「馬鹿じゃないから流石に理解できる。本当にそれでいいんだな? 後悔は無いか?」


「多少強引だったかもしれないけれど、一応全員の合意は得たから……大丈夫」


 ならいいんだ、と小声で呟いてそれぞれに必要な荷物を乱暴に渡していく。若干ロミィには優しく投げていた。男女差別か?


「この時間から出発したら明日の昼ぐらいには着くだろうな。一日くらいは野宿だ、それは我慢してくれ」


「おー! 旅っぽい!」


 サクヤが目を輝かせて話を聞く。荷物の詰込みの作業の手を止めてキラキラと輝かせているものだから、その様子を見たカインが目を細めて、若干身も引いていた。


「……旅だからな。旅にはハプニングが付き物だから、きっと嫌になるぞ。知らんぞ」


 周りの皆が水筒に水を入れたり、食料を詰めたり、本格的に旅の準備をしている。僕も後れを取らないように、周りの様子を観察しながら着々と準備を終わらせていった。


 途中でロミィとサクヤがいるもの、いらないもの論争を開始したり、カインがソファに置いてあったクッションを投げ出したりと、まぁひっちゃかめっちゃかだった。

 クッション投げは僕も参加したが、後悔は無い。そんなことばかりやっていたせいで、出発は夕方になってしまった。

 置手紙をテーブルの上に置いて、玄関に向かう。扉を開けると何一つ変わらない美しい平原が目に入ってきた。


「もう一泊してから出発せぇへん?」


 全員が荷物を持って玄関に立っている。出発直前になって空を見た、それで不安になったのだろう。


「この夕焼けこそわれらを歓迎していると思わないか? 行くぞ」


 一言にオレンジ色と言えない美しい夕焼けだった。所々に赤や紫が混ざり合って、パレットの上の絵の具のようにハッキリとしたメリハリのある美しさ。

 幕を下ろすように暗闇がそれを隠していく。もう、夜は近い。

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