第9話 紫水晶の密談
そのまま何をするでもなく、夜が来てしまった。
今日という一日は非常に情報量の多い。大雑把な魔法の仕組みとか、記憶喪失のこととか、そういうことで頭の容量のほとんどを埋め尽くした。
今日は早く寝たい。一階では人が死んだというのに、僕を含めた彼らは平気な顔をして二階のベッドで眠る。死体への恐怖よりも身体への負担のほうが、上回っていたのはわかりきっていた。
「ふぅ……」
あまり生活した跡を残したくないと言っていた割には、がっつり入浴していたし、簡単な料理も食べた。カインにとって見つかることなど、些細なことに過ぎないのだろう。
まぁ、そう言っている本人が一番矛盾しているのだ。彼女自身が矛盾しているのだから、僕らはそれに従う必要は無いだろう。
白いベッドに腰掛けていた。そのまま横になる。
目をつぶったら、一瞬で眠りにつけてしまう。うとうと。
記憶喪失者は何の夢を見る?
◆
「……寝た、よね」
僅かに空いた扉の隙間からロミィが覗き見ていた。ベッドの主はそれに気づくことなく寝息をたてている。
実際のところを言うと、寝ていない最後の一人がオーヴェルだった。カインはもちろん、最初から除外されている。あのカインが易々と眠るはずがない、ロミィはそう確信づいていた。
ロミィは足音を立てずに廊下を進んでいく。ティータイムを楽しんだ大部屋にたどり着くと、そこを通り抜けてベランダの窓を開ける。そして、夜風が吹き抜ける。
自らの心音しか聞こえない。時々強く風が吹いて、窓やら扉を刺激するがそんなもの音ともとらえなかった。
「カイン、居るでしょ」
「寝ないのか?」
ロミィはベランダへと足を踏み入れる。そこには藍色の髪をなびかせる少女がいた。
「どうしても気になったことがあったの。あの子たちの前で話すわけにもいかないし、タイミングを見計らっていたの……」
「気になっていたこと、ね。聞きたくないが、信頼を得るためならば仕方がない」
カインの顔からも、ロミィの顔からも表情が消えていた。完全に壁を作った彼女らに、信頼などという概念は無いようにも思えるが、カインなりの気遣いだろう。
「単刀直入に本題を聞く。あなたは誰?」
「誰、とは。私はカイン・レフローディ。どこにでもいる魔法使いだぞ」
「こんなこと聞きたくないのだけれど。きっと私と話しているあなたはカインじゃない。カインじゃないなら、カインが信じて身体を共有している神様しかいないの」
最初からロミィは気づいていた。
オークション会場で、彼女と出会った時から。
コレはカイン・レフローディではないと。
「時にその察しの良さは不利に働くぞ。ロミィ嬢」
「やめて。それ」
「悪い、こういう嫌がらせは癖なんだ」
ロミィ・アメリスという人間はただの少女ではない。
貴族であり、優秀であり、魔法の才能もある。しかしそれ故に、親戚一同から嫌われた本家の四女。姉より、親より、当主より優秀だと居場所が無くなる。自分より下の人間が、自分より上の才能を持つことが許されない、息苦しい家の令嬢。
彼女は結局のところ、家族全員から嫌われたせいでオークションに出品されたのだ。
「あなたがわざわざ苗字を名乗るからいけないんですよ」
「この苗字はなぁ……、わかりやすくて嫌になるよ」
ロミィはオークション会場で出会うより前に、カインに出会ったことがある。そのおかげで気づいたとも言えるし、より深くを知りたいとも思えたのだ。
「ちゃっかり敬語になっているのは、嫌がらせだな?」
「もちろん。《
「やめろ。冗談抜きでやめろ」
正確な年齢は覚えていないが、隣国主催の舞踏会のような催しがあった。それに招かれたのは各地の貴族や皇族、王族。その中にはカインもいた。あの時のことは脳裏に張り付くくらいに衝撃的で、鮮明に覚えている。
あれは確か——。
「思い出すことも禁ずる」
「あれ? バレた?」
「……それで、何の話だっけな」
「今のあなたがカイン・レフローディではない誰かなの。おそらく、カオスという名の神様だと思う。あなたの行動には矛盾点が多すぎて、すぐにわかる……」
「祖国に行くとなったら泣き出した少女が、突然泣き止みそれを了承する。とかね」
「そうよ、それよ」
一瞬だけカインの表情が気になって、横目で見る。やはり彼女は無表情だった。
「数多くの宗教で『カオス』の名のついた神が存在する。あなたはどれ?」
「多分君は知らない宗教だ。信仰の足りない廃れている宗教でね、信者はカインしかいない。それ以上は言えないし、言うことを許されていない。神にも制限はあるのだぞ?」
信者はカインしかいない……か。
「まぁいいや……。それで? 本当に《
「私は行くぞ。面白そうなことになりそうだからな」
「その好奇心が人を殺さぬことを願うよ……」
第二皇女。あなたの意図が本当に読めない。
ワケありの少年少女を破格で購入、しかも奴隷扱いされてもおかしくない私たちをこき使うのではなく、自分のやりたいことをやらせてもらえる。
それがカインの意図なのか、カオスの意図なのかはわからない。
「カイン、言っておきたいことが……、いや、いい。何でもない」
「どうせ「左目に気をつけろ」とかそんなのだろ。安心しろ、わかっている」
「そう、ならいい」
ロミィはそのままベランダを去って、自分の部屋とは言えない他人の部屋に戻っていった。ただ一人、ベランダに取り残されたカインが呟く。
「初日にバレるとはなぁ……。身分も神様も、ヒントを渡しすぎたか」
◆
何もしていなくとも目に入ってくる太陽の光。こうやって昔にも自然に目覚めたことがあったのだろうか、心のどこかに引っかかる。
一言で言ってしまえばきっと寝起きが良い方なのだろう。不安か、恐怖か、杞憂にも化けそうな不穏な感情が横切る。
よく眠れたが、結局夢は見なかった。昨日一日で得た情報は適切に処理されなかったようにも思える。下手に悪夢を見るよりマシだが、期待していた手前少々がっかりしていた。
寝転んでいた体を起こし、窓の近くに移動する。そこで伸びをして体をほぐす。まるでそれが日課だったかのように行動しているのだ。
ちゃんと閉めていたはずの扉が半開きになっていた。この家、外見は綺麗だったがやはり建付けが悪くなってきている。いつここを発つかは知らないが、どうせ去る場所だ。気にすることはきっと無い。
半分開いた扉から覗き込む人がちょうど現れた。
「あ、おはよう。ヴェル」
若干寝癖のついたサクヤがそこで覗き込んでいた。
昨日とは服装が違っていた。どこかの貴族の次期当主あたりが着ていそうな、正装を身にまとっていた。昨日聞いた話だと、この家の人がそういう服を着れる身分とは思えない。出所のわからない衣装に困惑するしかなかった。
それと、もう一つ。
「おはよう、サクヤ。……ヴェルって?」
オーヴェル、それが僕の仮の名前。ヴェル? 聞いたことないな。
「オーヴェルって名前を少々略したあだ名やな、嫌なら普通に呼ぶけど」
あだ名、あだ名か。確かにロミィやサクヤに比べれば長いかもしれない。
「いや、大丈夫だよ。気に入ったから」
「ああ、そう? ならこれからそう呼ぶわ!」
息継ぎの間を置いてまたサクヤが話し出す。
「準備終わったら昨日集まったところに集合やって。今日ここ出発するらしいから」
「わかった、すぐ行くよ」
急いで顔を洗いに行って、大きな寝癖を直してからこの部屋を出た。
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