第7話 僕の記憶を (1)

 淡い緑色の家具の数々。木材と緑色で揃えられた部屋の中は随分と落ち着いた雰囲気が出来上がっていた。

 二階は日当たりがよく、ふかふかのソファの上に座っているだけで眠ってしまいそうな心地良さだった。喧嘩というか、口論が終わった後だからか、余計に気が緩んで本当に寝てしまいそうだった。


「寝かけている……ような、というか寝てない?」

「……、んぅ? 寝てないよ……」


 ロミィの無表情具合にも慣れてきたところだった。僕はまだ寝ていないが、もう寝そうである。彼女の言っていることはだいたいあっている……。


「この家の中から無事な食料品を探すのに苦労するとは。まぁ所詮は食い荒らされた他人の家だし、場所も何も理解してないから予想はしていたけれど」


 え? 別荘じゃなかったの?


「え? カイン、お前ここ別荘ちゃうん?」


 サクヤの発言と僕が思ったことがリンクした。僕も初耳だ。ここはカインの別荘だと聞いてやってきたのに、嘘をつかれていたとは。別に、どうとも思わないけれど。


「他国に別荘なんて持てる訳が無い。この世界じゃ、そういうことはどこの国も認めてない。冒険職であっても国籍はどこかの国に持っている、その国に家を持つのが当たり前だ」

「国籍とかの概念あってんな」

「使う場面はほとんど無い。警備のしっかりした国に入るときくらいしか使わないな、基本的にどこの国も自由に行き来できる。というか、異世界に国籍があったとはな」


 異文化交流と言ったら、異文化交流の定義には当てはまるのだろうけれど、世界同士の関わり合いをこの耳で直接聞く機会はそうそう無い。


「ほら、《乙草茶ウリリトン》だ。とびきり甘いお菓子が合うんだが……無いな、この家には」

「《乙草茶ウリリトン》?」


 すかさず聞いたのはやはりサクヤだった。僕の記憶にこのお茶は残っていないが、ついでだ。聞いておこう。


「《乙草ウリリー》っていう春によく生える草だ。それを干して、干して、温めて、干して茶葉にする。元の草の……先端が微妙に桃色だから、年頃の女を思ってウリリーなんて名にしたんじゃないか? うろ覚えの知識じゃ、何も誇れるものが無いな」


 ティーカップに注がれた僅かに桃色に見える透明なお茶。香りは特になく、そのまま口にする。

 液体が舌の上を通っていく。初めに感じたのは爽やかな甘み、後から下を刺激する僅かな辛みに驚く。ピリピリとした感覚が残るが、不快にならない辛さだった。

 これにとびきり甘い菓子が合うのもわからなくはない。この辛みを、菓子の甘みで塗りかえるのだ。それはもうきっと、美味しいはず。


「うわっ、何この味」

「そっちの世界にこんな茶は無いのか?」

「コーヒー……あー、むっちゃ苦いお茶ならあるけど、こんな変に辛いお茶は飲んだこと無いわ」

「苦いお茶か。それもそれで気になるな。いつか飲めたらいいのだが」

「飲む機会は……どーだろな、無い確率の方が高そうだけど」


 始めのうちは僕も驚いたものの、他の人はそれが当たり前かのように飲んでいる。


「ああ、そうそう。この家の話でもしておこうか。気を失っていた名無しくんのためにも。私の暇つぶしのためにもね」


 知りたくも無い、興味の無い話を聞かされそうで、僕はそれを止めようと身を前に動かした。ロミィの視線に耐えられず、そのままソファに深く座った。


「この家は私の別荘じゃない。だからといって犯罪じゃないぞ? 私が初めてこの家を訪れた時にはもう既にこの家の主は死んでいたからな。老婆だったよ」


 各々がティーカップに口を付けながら話を静かに聞いている。珍しい、誰かが反応したり、反抗したりしてもおかしくないのに。


「ひとまず老婆を近くの墓場に埋めた。その後はまぁ……私の使用人を住まわしていた。建前は使用人だが、実際は私の魔法で操っていた意志を持った死人だ」

「死人⁉」


 僕は思わず大きな声を出してしまって、慌てて口を塞ぐ素振りをする。


「ああ、死人だ。魂はたくさんストックできるが、肉体は持ち歩けないからな。新鮮な死体を探すのに苦労したが、まぁ二人確保できてな。この家に置いていたんだが、《闇獣霊スペクター》に食われていたよ」


「そういえば思ったんだけどさ、カインって何の魔法使いなの?」


 アクレイの疑問は全員思っていたことを代弁しているようだった。


「……それは私の過去にも抵触する。できれば今は追求しないでもらいたい、ね」


「いや、だってさ。《闇獣霊スペクター》は死んでも尚霊界に行かない魂を食らう狼の形をした化け物。あの家に寄ってくることは前から分かっていたんじゃないの?」

「危ない橋を渡っている感覚が無いのか、アクレイ……」


 何気に初めて聞いた、カインのアクレイ呼び。あれ? 気のせいだっけ?


「あ! 助言ありがとう。何であの時僕らに寄って来たか、つまりは僕らの中に死んだ魂が紛れ込んでいるから! でしょう?」

「危ない橋を破壊したな、貴様」


「えー、だってそうとしか考えられないし?」

「でもな、私が複数の魂をストックしているとさっき話した。残り香を追っていたら偶然、君たちの元に行ったなんてことも普通にあるぞ」


 あー、それかもね。と軽くアクレイは言って、ティーカップに手をかける。


「そもそも《闇獣霊スペクター》って何?」


 サクヤが問う。そういう生物だとありのまま受け入れていた僕からしたら、有難い。

 ……というか、結局のところ僕の話が流されているような気がするけど。


「ん? 霊界に住む魔物だ。基本的にこちら側にはやってこないが、さっき言った通り、死んでも尚この世に留まり続ける魂に寄って来る。それでその魂を食らったら気が済んで霊界に帰る。そういう生き物」


「へー。何か死神みたいやな」

「死神ねぇ……。まぁ流石文化の違いというか、異世界との文化の違いには驚かされるね」


「え?」


「まぁ滅多に死神になんて会えないからね、知らない方が人生得していると私は思うよ。多分、君が思っているような平和な死神じゃないからね」


 空になったティーカップをテーブルの上に戻す。カタン、と上品な音が響いたと思えば、僕の予想する以上に注目を浴びたらしい。


「さて、雑談はここまでにして彼の話に戻ろうか。きっと私たちがどうでもいい会話をしている時から、ソワソワしていただろうし」

「そんなことは……」


 否定する素振りをするが、実際のところは半分正解半分不正解だ。僕はカインたちが話していたことに興味があったし、ソワソワはしていたけれど聞いていて楽しかった。


「正直言って、魔法で記憶を取り戻す方法などいくらでもある。手書きの魔法陣でどうにかするだの、記憶を司る魔物に手を借りるとか、それこそ記憶と取り戻す薬を飲むだとか、色々とね」


「じゃあそれを全部試していけば……」

「そうだ、全て試せばいい。その分、準備に時間がかかるものも多いし、身体に負担がかかるものがほとんどだ。残りの人生で三つ、いや、せいぜい二つ、試せたら良い方だろう」


「え?」


 カイン、ロミィが続いてティーカップをテーブルに戻す。カインは僕と目線を合わせて、真剣な眼差しで語った。


「この世界には魔法使いが少ない。何故だと思う?」


「はい! 少子高齢化!」


 サクヤが手を上げて堂々と発言する。自信満々と言わんばかりの笑みを添えて。


「爺や婆の魔法使いこそ、いないぞ」

「え⁉ 偉大な魔法使いって年老いたイメージがあったんやけどな……」


 目を伏せたままロミィが口を開く。


「魔法を使うのには代償が必要……って本に書いてあった」

「ではその代償とは?」

「肉、信仰、そして生命」

「よくできました。百点満点の解答だ。さぁ名無しくん、本題に戻るぞ。どうして二回しか試せないと思う?」


 僕は思わず息を呑む。信仰はともかくとして、肉と命は何も言われなくとも分かるような気がした。実際これが答えなのだろうけれど、それが現実だとしたらゾッとする。


「……寿命を削って、魔法を使ったり使われたりするから?」


 カインのにやけ顔、何回見ても慣れないし、良からぬことしかない。


「正解。一般的な魔法使いは自分の命を削って、世界に影響を与えるんだ」

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