第5話 残酷な建国祭 (1)
寝ている間に夢を見るのは、人間は普段の生活で起きた出来事や脳に蓄積したあらゆる情報を整理するため、らしい。残念ながら僕には何もなく、ただ寝ていたという感覚だけが残されて、目覚めた。
身体を預けているモノが柔らかかった。窓から差し込む日がやけに眩しく思えた。見知らぬ天井、温度、感覚、運び込まれたという事実に気づくまで、随分と時間がかかった。
服装は気を失う前と何も変わっていないが、ベールが取られていた。寝る上で邪魔だと判断したのか、もういらないから取って捨てたのかはわからないが、何故か雑にゴミ箱の中に放り込まれていた。
見事に切り取られた記憶。オークション以前の記憶が一切ない。
「はぁ……」
涙も何も無いが、ただ悲しかった。誰かと過ごした記憶を、誰かに知られることなく失う。好きなものとか、人とか、嫌いなものとか、音とか。僕が僕として作り上げられるまでの工程全てが消されてしまった。
今いる僕が僕なのかさえ、定かではない。
「はぁ……」
頭を抱えずにはいられなかった。
「落ち込んでいるところ悪いけれど、君にはそんな暇無いと思うよ」
「えぇと……確か名前が、ロミィさん、だっけ?」
「うん。ロミィさんだよ」
ベールはその人の外見的特徴のほとんどを隠す。意味的には違うけれど、初対面という言葉が似合いそうだった。顔を合わせるのは初めてだったからだ。
深海のように暗い青色の瞳。艶やかな紫の長い髪が、一つに束ねられて揺れている。
オークションで見た時とは服装が違う、気を失っている間に着替えたようだ。
少し暗めの青色を基調としたワンピースドレスに、足元から丈の短いズボンが見え隠れしている。胸元には金色に輝く十字架がアクセサリーとして着けてある。上品なデザインの白の靴下に、服と同じ色のお洒落な靴。
高貴なお嬢様。それがロミィ・アメリスという人物。
「ここは?」
「《
つまりは運び込まれたということか。迷惑をかけてしまった、申し訳ない、と思いつつ僕はいくつか質問をする気だった。気の変わりようが、かえって心を締め付ける。
「他の……人たちは?」
ロミィは少しだけ間をおいて、目を逸らしながら話す。
「揉めている。喧嘩かな、多分」
「喧嘩?」
「ほら、サクヤが紋章について色々聞いていたでしょ? それで」
そういえば、親友を攫われたんだっけ。可哀想、と思う割には自業自得という言葉が脳裏を過る。自分の力で守れないくせに、他人に当たるなよ。
自分の記憶さえ持っていない僕が言うのは少し違う気がした。誰も心の中までは咎めないから、いいけれど。
「でも多分、君が行くことで一時休戦するんじゃないかな。彼の問題よりも、君の問題の方が重要で、重大だから」
ロミィは表情一つ変えることなく、淡々と話し続ける。
「止める必要ある? 結論が出るまで話し合えば……」
「カインが泣く」
「え?」
「カインが泣く。ていうか今泣きかけ」
強気で、実際強くて、態度が悪い、あのカインが泣く?
「そんなわけ……」
「それを確認するため、喧嘩を中断させるために行けば?」
それはすなわち、行けということだろう。僕のためにも、カインのためにも、サクヤのためにも。
「行かなくても良い気がしてきた」
「……え?」
「行くよ、どこに行けばいい?」
「……気の赴くまま行っても、いいんじゃない?」
結論、逃げてもいいし、行ってもいい。でも行った方が良い。ということだろう。けれど、どうしてここまで遠回しな言い方をするのか。必要以上に僕らを警戒している……? 疑念だけが残った。
僕は部屋の外へ出る。その様子をじっと見つめていたロミィだったが、ドアノブに手を書けるのを確認すると、ついてくるようだ。
仲間とも呼べない、信頼もしていない。けれど何かが僕と彼らを繋ぐ。気味が悪いが逆らえない。
廊下は至って普通だった。荒らされた形跡は無いし、花瓶や額縁に入った絵などが飾られている。緑色のカーペットを踏みながら声のする方へ歩いていく。方向で言うと、左。
「だーかーらー! 何度も言ってるやろ! 俺は雪那を助けに行かなあかんねんって! 今頃雪那が酷い目に遭ってるかもしれへんやん!」
「行ぎたぐない場所に……行ぐわげっ、無いだろ……」
本当に半泣きで抵抗していたとは。このまま放置するのも面白いだろうけれど、この状況を変えるために、ロミィと共に来たのだ。目的は果たさないと。
「あ、あのー」
黒髪短髪、黒眼の青年。恐らくサクヤだ。その真正面にはしゃがんで、紺色の髪を床に垂らすカイン。それに寄り添うように立っているのが、濃い緑色の髪で透明感のある空色の眼の、カッコいいジャケットを着たアクレイが居た。
「あ? ……ああ、名無しくんな、おはよう」
「お、おはよう。ところで今のは……」
少し引き気味に質問する。サクヤは身体をこちらに向けて経緯を話し始める。大きな身振り手振りつきで。
「カインの祖国にうちの雪那が攫われたんやけど、それで俺がその国に行って、雪那を取り戻したいから案内しろって言ったら、泣きながら全力で拒否すんねん。酷いやろ? まるで俺が悪いみたいやんか」
「それは……大変だったね」
「名無しくんも、雪那のこと助けたいって思うやろ?」
「まぁ、一応」
「一応って何や一応って、まぁええけど。ほらな、名無しくんも同意してくれたやろ? あとはカインが連れていってくれるだけやねんって」
僕が割り込んだら話が中断されると言ったのはどこの誰だろうか。全く中断される気がしない。というかいつの間にか僕の仮名称が「名無しくん」になっているのはどうしてだろう。
「ぐすんっ……ぐすんっ……」
カインは下を向いて、ずっと涙を拭っている。涙がどうにも止まらないようだ。
その様子を憐れんでか、カインの傍でアクレイが傍に居てあげている。効果があるかどうかは不明だ。そうこうしているうちにアクレイが口を開く。
「カインにもカインの事情があるっぽいしさ、無理に連れていかなくてもいい……ような気はするけど、サクヤの事情も結構重いし……。せめてカイン側の事情がハッキリしないと、どうとも言えないよね」
全く持ってその通りである。その事情を天秤にかけるのは、あまり良い気分ではないが判断材料になる分には欲しい。
「ぐすっ……。事情は、言わないげど、多分、言っでも、サクヤ側がっ、勝つと思うよっ……んぐすっ」
言わないんだぁ……。
「じゃあ、サクヤの友達助けに行くしかないけど。ていうか泣き止んだら?」
アクレイは少しだけ人を追い詰めるのが上手い。この手口は食らいたくはないと思いつつ、これはカイン本人が悪いと安心していた。
「そのユキナという友人の運命が、わかってしまっているのが余計に、涙が出るんだよ……」
「運命?」
すかさず返したのはサクヤだった。
「二か月と半月後、私の祖国では建国祭が行われる。悪魔的宗教的な、最悪の建国祭がな」
「建国祭って、祝いのお祭りのはずだけど?」
アクレイが素直な疑問をぶつける。はぁ、とため息をついてカインは続きを話す。
「巫女と呼ばれる白髪の美人の女が生贄となり、その生き血を国民全員が一口ずつ飲む。血の量が圧倒的に足りないから、それを飲めた奴はこの一年幸福に過ごせるという言い伝えがある」
その残酷さに全員が言葉を失っていた。それでも気にすることなく真実を告げる。
「この時点で察しろ。巫女は死ぬ、白髪は珍しい、国民に白髪がいないと知った国はどうする? 国外から白髪の女を探す、そして祭りのために準備をする……。建国当時から行われていた祭りだ、今更やめるはずがない」
ぽたっ、ぽたっ。思わずサクヤの方を振り返ると、彼は無言で、カインの方を見つめながら泣いていた。
「サクヤの親友とやらは、生贄にされて確実に死ぬ」
その運命を聞いたサクヤは足から崩れ落ちた。
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