第21話コロナの冒険5
王宮内の厨房では、騒がしくなっていた。
客人に出す、料理にてんやわんやとしているのだが、残念ながら極めて深刻な問題に直面していた。
厨房の中心で、料理も作らずに下っ端の料理人たちが集まり、悩んでいた。
「料理長は、まだ帰ってこないのか」
「このままではやつが来てしまいます」
「分かっている! わかっているが」
がたんっと厨房の扉が開かれた。
一同、その扉の先に現れた人物を見て、絶望を一層深めた。
鋭い切れ目を持った男、ウィスパーである。
「何をしている? 料理を準備せぬか」
下っ端料理人の一人が、青ざめながらも、勇気を持った一言を述べた。
「ええもちろん。できればわたしたちにこの場は預けていただきたく」
「いーや。そうもいくまい、やはりこのわたしが出ねば」
ウィスパーは、すでにエプロンを着ており、準備万端であった。
彼は、厨房に立つなり、材料を手にして、包丁を手に、まな板の上でものの見事に材料を捌いてみせる。
彼の腕前に文句を言う人間はこの場にはいなかった。
しかし、彼の調理には、決定的に欠けているものがあった。
見事な手さばきで、煮込み料理をいつの間にか一部完成した彼は、ぺろりと舐める。
「このようなものか……おいそこの、こっちへ来い」
「え、え、俺! ですか!?」
ただ近くに立っていただけで選ばれた側は、酷く狼狽する。
「そうだとも、しかし厨房では落ち着きたまえ」
ウィスパーは、執事であるので、礼儀作法に関しても非情にうるさい。
小皿にスープがあり、これを受け取った下っ端の料理人は、喉の奥を鳴らした。
「どうしたのかね? 早く」
ウィスパーが、ぐいぐい、と、顔を近づけ迫ってくる。
目つきが鋭いため酷く怖く、無意味なほどに圧力がある。
小皿を受け取った彼は、周囲を伺うも、目を閉ざして、下にうつむいている者さえいる。
助けはないと悟り、彼は覚悟を決めた。
「で、ではいただきたいと思われます」
ごくっと飲んだ。
「どうだね?」
「うまいです」真顔で答える
「うまそうに見えぬが」
「うまいです!」にっこりと笑顔になった。
「ふむ。そうだろうとも。さぁ! まだ料理を作るぞ。今度のお客様は、腹をすかせていらっしゃるからな!」
ウィスパーはバリバリと料理を作り始めた。
他方、ウィスパーの料理を食べた料理人は、彼から遠ざかると、影の方までフラフラと歩いてから、流しに吐いた。
ウィスパーは一流の執事であるが、王のそばでアドバイスを囁く、実質的な補佐大臣の役割も担っていた。
彼は、政治にも、掃除にも、料理にも、完璧さを求めた。
しかしそんな彼にも1点だけ、弱点があった。料理好きでありながら、極度の味音痴であることを自覚していなかったのである。
普段は多忙なため、あまり料理をしないが、たまに料理をするときがあるのだ。料理長が居ないこの時期には特にである。
下っ端料理人ごときでは、彼の権力にも、料理にかける情熱ならぬ狂気にも、逆らえない。
自分たちよりも立場が上の人間が、ウィスパーの料理を口にしてまずい、と言ってくれないと、逆らうことができないのだ。
なぜ、まずいと言われないのか、彼らにも、理解できないところであった。
――約1時間半後
料理は運ばれ、やたら長いテーブルの上に並べられた。
見た目としては、野菜と魚のマリネに近いものである。見た目には間違いはなかった。
唯一、間違っていたのは、ウィスパーが作っていたことであった。
そのウィスパーは、長いテーブルの先に座る王の隣に、澄ました顔で立っている。
テーブルの向かいの遠くの方にはコロナがいて、近くの横にはルーチェが居た。
ルーチェはすぐさま食器には手をつけなかった。
ちらりと見ているが、王が食しているが、まったく動じていない。
(あれは偽物ですわ)
偽物は平気な顔をしているが、ルーチェは偽物には味覚が無いものと見ている。
ウィスパーは、ふーん、と鼻息を持って自信満々に立っていた。
彼のプランは実にシンプルであった。
(不確定要素である彼がわたしの料理に満足し、帰っていただく。我ながら完璧なプランだ)
ウィスパーの思いとは裏腹に、ルーチェは、今、目の前の危機的状態に対処する方法を考えていた。
思わずコロナを引き連れたのは、危機を教えたかったからである。
自分でも対処できないでいることを、彼なら何か解決できるのではないか、と勝手に思ってしまったからだ。
コロナは、皿を持ち上げると、これを大口を開いてすべて飲みこんだ。
ぐちゃぐちゃと食べて、飲み込む。
「足らない、それくれ」
ルーチェの料理を見て言っている。
「ど、どうぞ」と言って、コロナに皿を渡した。
同じようにしてコロナはすべて平らげる。
一つも動じておらず、物足りないのか、皿をぺろぺろしている。
「コロナ様。味はいかがですか?」
ルーチェに言われて、コロナは顔を上げ、考えてから言った。
「お腹がピリピリして面白いぞ?」
(それは料理の感想では無い…)
ルーチェの、複雑な胸中とは裏腹に、コロナはまだまだ食べられる余裕を残していた。
これを見ていたのはウィスパーも同じであった。
(なんと。ほとんどの人間は一食で満足されるというのに)
もちろん、お腹いっぱいであったのではない、人として限界に達し、食べられなかっただけである。
食べてしまった犠牲者がたまたま地位として下の部類であったので発覚しなかったのだ。
そうとは思わないウィスパーは鋭い目を更に細めた。
(これは、いよいよ本腰を入れねば)
控えにいた下っ端料理人に言った。
「メインディッシュを持ってきなさい」
(これでとどめを刺してごらんに入れよう)
わずかにウィスパーの漏れる不敵な笑いを、ルーチェは、不気味な企みとして捉えていた。
ガラガラと料理台に乗せられてやって来た料理は、テーブルの上に並べられる。
それは見事な焼色のついた肉料理であった。加えて、赤色のソース塗られている。
コロナは、すぐさまかぶりつくのかと思えば、肉を見つめているだけであった。
コロナは思い出した。
母に言われていたことがある。
――コロナ。あなたは、お肉を食べてはいけません。
『なんで?』
――大変なことになってしまいます。
「大変なことってなんだ?」
――それは……
『母?』
――す、すげーことです。
『すげー?』
――そう、すげーです。
『すげーかー。そっかぁ』
――ふぅ……
コロナの母は、自分でもよくわからないときは、適当に投げっぱなしにする人であった。
コロナは肉を食べられないわけではないが、森の中では、話し相手が動物であったせいもあって、お友達である動物を食べることはなかった。
死んだ動物に対し、手を合わせる祈り方を教わっている。
「にゃむにゃむ」
祈りを捧げ、コロナは手づかみで肉を取ると、啜るように飲み込んでしまった。
「うっ」
コロナは、一言漏らし、座っている椅子の上で跳ねた。
「コロナ様?」
ルーチェが心配そうに見つめる。
「あ、う、お、は」
一言一言だけを述べながら、様々な大勢になり、ロボットダンスを踊るかのようにビクビクと反応する。
これにはルーチェも我慢ならなかった。
「ウィスパーあなたはやはり! 毒を盛っていたのですわね!」
「毒!?」
ウィスパーはショックで、オールバックの髪の毛一本が跳ねた。
真心を込めて作ったはずの料理が毒呼ばわりされ、彼のプライドを砕くような一撃である。
「ふ、ふふ。姫様はご冗談がお上手ですね」
「もう騙されませんわ。ご覧なさい! コロナ様の姿を見て、どう言い訳をされるおつもりですか!!」
ルーチェは、コロナを手で指し示すのだが、ウィスパーと王は、空いた口が塞がらないほど、驚嘆の表情を浮かべていた。
彼女もコロナの方をようやく見るのだが、目の前にいたはずの少年は消え、ふさふさの毛並みの壁がそこにある。
見上げると、白銀の虎のような存在が、そこに座っていた。
白銀の虎は当然、コロナである。
コロナは自分の手を見て理解した。
『でっかくなっちゃった!?』
と言っても、戻っただけであるが、任意ではない形で戻されてしまっては、さすがにコロナも驚く。
ウィスパーの額から滝のような汗が噴出する。
「神獣ハクス? いやまさか」
コロナも状況として、自分の姿に対し、怯えている姿を認識していた。
寝太郎の言っていたとおり、この姿であると、人はびっくり仰天してしまうのだと理解する。
空気をまったく読まないコロナであるが、居座ることができないことは理解できた。
『コロナ。お腹いっぱいになったから、帰る』
「お待ち下さい! コロナ様!」
ルーチェが、コロナに向かって叫んでいた。
コロナは見下ろしながらこたえる。
『なんだ?』
「わたくしも、連れて行ってください!」
「それはいけません! 姫様!!」
「黙りなさい。わたくしはもうあなたの正体を見破りました! あのような毒物をたまに食べさせて、わたくしを弱らせていたのは、やはり、あなただったのですね!」
「ぐぐぐ。それは誤解でございます姫様」
「誤解なものですか。コロナ様お願いです。森にはわたくしの、本当のお父様が居るのです。そこまで運んでください」
コロナは例のごとく相手の目を見て真剣味を理解する。
『じゃぁ乗れ』
体を落として乗りやすくする。
「姫様! わたしが悪うございました! お願いですからお戻りを!!」
ルーチェはすっかりコロナにまたがりながら、心の奥底にためていた思いを吐き出した。
「死んでも嫌ですわ! このような汚物を食べさせ続けた、変態め!!」
よほど嫌だったのか、目端には涙すら浮かんでいた。
神経に来る言葉に、ウィスパーの髪の毛が、ぴょんぴょんと跳ねて怯んだ。
その隙に、コロナの体が持ち上がり、大勢を整えた。
『伏せて掴まってろ』
ルーチェにしっかり毛を掴ませると、コロナは、大きな窓がある場所に向かって突っ走った。
窓をぶち破り、ベランダから、空中へとジャンプする。
城の外に出るや否や、町の中にも入ったが、人家の屋根をつたい壁をつたい、重力など関係まま、城壁で囲われた壁面を乗り越えて、ゴーカの国の外に出ていってしまった。
残されたウィスパーは、髪の毛を押さえながらも兵士らに命令を下した。
「今すぐ兵士を集めよ! 姫様を連れ戻せ!!」
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