第20話コロナの冒険4
「うまい、あんた本当に料理が上手なんだな」
迷いの森に滞在している一人、寝太郎は、葉の上に並べられた肉と木の実の香ばしい料理を食して、素直にそう述べた。
「料理というほどでは」
タンスは、謙遜気味に言うが、うさぎを狩猟し、捌いたのは紛れもなく彼である。
「でも凄いぞ。塩気があったなんて」
「オシの実は削り出すことで塩気を得ることができます」
「この、ちょっとピリッとした香辛料もいい感じだよな」
「スイスパの葉を細かく砕いて入れました。肉の臭みが和らいで、香り豊かになるんです」
「焼き加減もすげーいいし。火の通りもよくわかってるんだな。フライパンさばきは見事だった」
「はは、それほどでもありません」
タンスは、褒められたことを素直に喜んだのか、屈託無い笑顔を見せる。
そこには、王の威厳も風格もない、ただ料理好きの、一人の中年男性の姿があった。
口も流暢であることから、寝太郎は改めて尋ねた。
「あんた本当に王様なのか?」
タンスは、きゅっと顔を引き締め、けわしくした。
「そうであるが?」
さすがに手遅れに思える王の上塗りであるが、こうも強引に通す限り、複雑な事情を感じさせた。
事情がなかったら、こうして一人でやって来ることも無いだろう。
「そっか」と言って、寝太郎はそれ以上深堀りせず、勝手に納得することにした。
* *
ルーチェは、ハンカチで目元を軽く拭き取って、改めて恥じらいを感じていた。
不意打ちのような感情を抑え込むことすらできなかった。
彼女は思う。
(傷ができたとき、勇者としての覚悟を固めていた)
ルーチェは勇者の器の候補として、王国の騎士として戦ってもいる。
これまで危険なモンスター討伐任務についたこともあるのだが、自身の不覚により顔に傷が入ってしまった。
この国では、女性が顔に傷を負うことは、不吉として忌み嫌う風潮がある。
貴族界隈では、普通の結婚をするような状態に無い、とみなすことすらありえるのだ。
彼女は、女性の生き方を、悩む時期があり、不覚はそのときのものである。
(氷のように固めた感情を、この方は溶かしてしまった)
ちらっと見ると、コロナは、馬車の入り口部分にある窓を見ていた。
そして、まっすぐ手を当て押し開いた。
まだ馬車は止まっていない。
「もう出る、窮屈だし、走る方が早いぞ」
それほど早くは走っていないが、それでも、そこそこの早さで進んでいるので危険である。
「国はまだですか!」
声を上げて馭者に呼びかける。
「もうすぐです!」
馭者も慌てながら答えた。
「あの、コロナ様、もう少しだけ」
聞かずにコロナは外に飛び出してしまった。
ルーチェもすぐに、扉の外を伺った。
すると、コロナが二本の足で駆けている。
草原を颯爽と走る中で、何か草花に引っかかりがあったのか、勢い余っているせいもあって、倒れ込んでしまった。
「と、止まって!」
馭者に命じて、ルーチェは馬車を留めて、転んだコロナのもとに駆けていった。
コロナは、ケラケラと笑っている。
「二足で走るの難しくて、面白いな」
顔の汚れをハンカチで拭い取る。
(なんて自由な方なの)
コロナは、くすぐったそうにしながら、ぱっと立ち上がると、走ろうとした。
「お前も走るか?」
「いえ、わたくしは、走れないので――きゃっ!」
コロナはルーチェを抱きかかえた。
「じゃぁ捕まってろ」
「ま、待ってくださいませ」
「大丈夫だぞ。二足で走るのはもう慣れた。ちゃんと加減する」
「そういうことでは」
コロナはルーチェの話しなど聞かずに走り始めた。
風に乗る葉っぱを追い抜いて、コロナは駆ける。表情にあるのは、喜びそのものであった。
その表情から、ルーチェはようやくコロナを理解した。
(この方は、囚われていないのですね。枠組みも何も無い)
ルーチェにもあったはずの子供のとき、駆けて転んで傷ついても、やはり駆け回ることに喜びを感じることがあった。
本心からしたいことをしているとき、人は笑顔になる。
片鱗と言うべき感情を、コロナを介して感じ、ルーチェも思わず、笑みを浮かべた。
しかし、それもつかの間のことである。
ルーチェは、このままでは事態の混乱を招くことを理解していた。
「コロナ様、どうかわたくしを一旦おろして」
「わかってるぞ? あそこに行くんだろ?」
確かに目指すべき場所に城門がある。もうゴーカの国は目の前にあったのだ。
「いえ。そういうことではなくて」
コロナは走ることに夢中のようで、話を聞いてくれない。
(もし仮にわたくしを降ろしても、この方は、ゴーカの国に走ってしまう。もはや、わたくしがその場で説明をするより無いですわね)
門前では、門を守る兵士の二人が、暇そうに突っ立っていた。
繁忙な時間帯が終わり、一息ついた頃合いである。
半獣の若い兵士は、あくびをしているのだが、コロナたちに目がいくと、慌てふためきながら、槍を構えた。
「待て待てぇ! 貴様何者だ!!」
「は、離せこの野盗が!!」
もう一方の、先輩と思われる獣人の兵士がそう述べる。
コロナは、言われる通り、ルーチェをその場に立たせた。
二人は何とかしてルーチェから離そうとして、槍の切っ先をコロナに向けている。
「姫様から離れろ!」
これもコロナは言われるがまま、ルーチェから離れ、むしろ二人の兵士の前に歩いた。
「お、お待ちをコロナ様!」
「姫様こちらへ」
ルーチェの背後には、いつの間にか、門の兵士とは違う、別の兵士がいる。
「違うの、あの方は野盗では」
「危険でございますので、まずはこちらへ避難を」
ルーチェが説明するより前に、強引にルーチェはその場から引き離された。
コロナは、トコトコと歩いて近づき、槍の先まで近づくと、止まった。
そして、刃に対し物怖じせず、二人の瞳を覗いているのだ。
若い兵士は改めてコロナの容姿を見て困惑していた。
(本当に子供なんてやれるのか?)
「おい!」
若い兵士は、先輩兵士の呼び声で、ようやくコロナが自分のやり先を通り過ぎてることに気がついた。
一瞬の気の迷いによって、その場にいるのにその場にいない感覚に陥っていたのだ。
コロナは、若い兵士の、お腹のあたりに到達すると、ぎゅっと抱きしめる。
「よしよし、偉い偉い」
と言いながら、若い兵士の背中をさする。
優しい包容によって、自然と何かがこみ上がる。彼にも存在する、妻子の姿が一瞬だけ蘇り、目端に涙が浮かんだ。
「く! このぉ!」
先輩の兵士は、コロナに狙いをつけて槍をつき出す。
そのときすでにコロナの顔は突き出される槍に向いており、左手でがしっ刃を捕まえた。
(馬鹿な……)
先輩の兵士もさすがにありえないと考えた。
今、彼が扱っている槍は、単なる槍ではなく魔道具でもある。
魔力を込めれば、岩ですら割って見せるという代物だ。
魔力を増幅させる腕輪の力によって、更に槍の力は増しているはずであった。
なのに、手から血液すら流さず、か細い腕で受け止めている。
一方で、コロナは、相手の殺意があるかないかを理解していた。
目と、匂いによって、相手が殺すか殺さないかを判定できた。
若い兵士は血の匂いもせず、興奮気味であったので、落ち着かせるために撫でた。
先輩の兵士からは、わずかに臭う血と、目の奥にある覚悟とも言うべき火が点って見えていた。
コロナの選択肢として殺すもありえるが、母からは、殺してはいけないと言われている。
よって、
「伏せ」
腕力によって、槍ごと先輩の兵士をその場に転がせた。
ぴくぴくとコロナの耳が動く。
見回すと、すでに自分の周りを兵士たちが囲んでいたのだ。
「お、お待ちなさい!」
ルーチェは、かろうじて自分を引っ張った兵士を振り切って、コロナの前に立つ。
「このお方は大事な客人です。槍を下げなさい」
兵士からは動揺が走るが、そこへ更に人が現れる。
「何やら騒がしいですね」
兵士のあいだより、そんな声がして見ると、兵士があいだを空けて、切れ目の壮年の黒い服の男がやって来た。
ルーチェは、厳しい顔つきで相手の前に立った。
「いつ戻ったのですか? ウィスパー。お父様はどうしたのです?」
ウィスパーという男は、薄笑みを浮かべた。
「はは。何をおっしゃるのですか姫様。タンス様ならば、すでに帰ってきていますよ」
「なんですって?」
「何か勘違いが起きているのでしょうな。お客人、この度は大変失礼いたしました」
ウィスパーはコロナに向かい、うやうやしく一例する。
ルーチェは、何か苦虫を噛み潰したような表情で、奥歯を噛みしめる。
「うんこ」
コロナはウィスパーに対し言った。
「……」
ウィスパー自慢のオールバックの髪の毛が、ピクピクとしたが動かず、重々しい沈黙があった。
再度、コロナは述べた。
「うんこしたい」
コロナにしてみれば、よくわからない場所に排便をしてはならない、という母の躾を守ったに過ぎなかった。
ウィスパーは、眉を多少動かしていたが、笑みを崩さなかった。
「なるほど、面白いお方ですな」
「面白くないぞ。うんこしたいぞ」
「ではトイレまで案内しましょう」
「早くしろ、でないと漏らすぞ」
「もちろん急ぎましょう。さぁ案内しなさい」
ウィスパーは、兵士らにコロナを案内させた。これにルーチェもついていく。
その後ろからウィスパーは、コロナの姿を睨みつつ思った。
(不確定要素……早いところ対処しなければ)
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