第18話コロナの冒険2
コロナは、森から少し外れた場所の崖の上に立っていた。出てきた場所が、森から少し外れた、ここだったのだ。
実は、森の出入り口付近には、どこかよりやって来た人々の姿もあったのだが、コロナの目には止まらなかった。
彼の目にあったのは、これから先自分が向かうであろう、広大な地平線の彼方にあったからだ。
あてどなく、コロナは歩き出した。
すぐに足は早くなり、かけたところで、不慣れな二足歩行ゆえに、前方に身を投げ出してしまった。
これをすぐさま両の手を突き出し、身を立てる。
どう見た目の姿を変えようと、彼の思う走る姿とは、やはり四足にあるのであった。
小さく身軽になった体は、跳躍するだけで数メートルは進み、まるで飛んでいるようである。
ふいに、気配を察知したコロナは、周囲を瞬時に確認した。
すると遠方50メートルぐらい先に、鳥らしき存在を認識する。
鳥は、黒くて丸い体に、細長い首。赤い顔を持ち、太い一本足で立っているようにも見えた。
その黒い鳥もまた、コロナの姿に感づいて見ている。
まっすぐやって来る、小さい生物に対し黒い鳥は、足をばたつかせながら、その場を離れた。
本能的に、コロナは、逃げる相手を追いかけるのをやめられなかった。
『ギェェェギェェェ』とか叫んでいたが、コロナの好奇心を誘うだけである。
しばらくは追いかけ回していたが、残念なことに、コロナの足で黒い鳥に追いつくことはなかった。
その内コロナも気づいて立ち止まる。
黒い鳥も止まっていた。
そう、最初から、適切な距離に保たれていたのだ。
この違和感の正体に気づいても、意図そのものに気づけずコロナは首をかしげる。
『も、も、戻りなさい』
毛先でびんびんと感じる不思議な声。
どう見ても、目の前の黒い鳥から発生しているものである。
『あ、あ、あなたは……あの森以外で、い、生きられない』
言われた言葉よりも、コロナは、目の前の生物が話しかけたことに感動し、目をキラキラと輝かせた。
近づこうとして、じりっと、コロナが足を出すと、相手は一歩下がる。
二歩進むと、相手も二歩下がる。
『は、話を、話を…ああ、ああああああああ!!』
コロナは黒い鳥を追い回した。
話しどころではない、何でか知らないが、逃げていく相手を追い回すのが、楽しかったのだ。
「なんで逃げるの!」
とコロナがようやく話しかけたが、走り回って冷静な返答などあるはずもなく、相手からは『追いかけないでぇ! 追いかけないでええええ!』という悲痛な叫び声が上がるだけである。
コロナも、やめた方がいいんだろうな、と内心思いつつ、やめられなかった。
毛玉を追いかける習性は、コロナにもどうにもならないほど、心を締め付け、喜びに変換される。
この追うもの、追われるものの喜劇は、永遠とすら思われたが、そうでもなかった。
コロナは次第に相手に追いつけなくなる。
黒い鳥が、明らかスピードを上げてきたからだ。
「待って!」
コロナが、ようやくそう叫んだがもう遅く、黒い鳥は、彼方へと消え去っていった。
しゃべる鳥が消えたことに対する寂寥感は、コロナの心に大した意味をもたらさなかった。
世界を知らない獣が、興味を誘うものは多く、価値は等価なのだ。
コロナが周囲をキョロキョロと伺い、先の景色に興味を誘うものが早速見つかる。
大きな壁面が多少遠くに見えたが、その一角が、ちぎれたように裂けていた。
引き裂けた壁面を目標にして、コロナは走った。
到着すると、遠目から見えていた強大な岸壁の傷は、三つに裂け、今にでも崩れて倒れそうでもある。
風が吸い寄せ、先にある光は深淵に飲まれているかのようだ。
コロナの耳がピクピクと動く。
音の反響によって、生物の息遣いを認識した。
先に何か居る。
また面白いものが見つかるのかな、とコロナは、ワクワク感で闇の中に続く光に向かった。
三叉の出入り口の一つに入ったが、一箇所の広らけた空間によって結ばれていた。
空間には複数の存在があった。
牙を向き、尖った耳、赤く光る瞳を盛った犬。血を好む獣と言われることから、「ブラッディハウンド」などと言われている。
ブラッディハウンドは、複数体おり、人間を囲っているようであった。
人間側は、剣を持つ女性が一人いる。
栗色の長い髪と鎧をまといながら、剣を握るも、重たいものを握るように、息を漏らし、キツそうである。
彼女の背後には馬車があり、御者となる中年人間もいるが、握ったナイフはカタカタと揺れるだけで、当然戦力外のようであった。
コロナは、少しばかり、ぽーっと見ていた。
緊迫する空気とか、そんなことはどうでもよく、面白いことが起きないと、どうにも反応できなかったのだ。
ブラッディハウンドの群れは、コロナの気配に気づいた。
同時に、剣を握っていた栗色の髪の女性もコロナの姿に気づく。
「逃げなさい!」
女性が叫ぶよりも早く、ブラッディハウンドはコロナを囲い込んでいた。
「んー?」
状況もわからず、コロナは様子を見ている。
警戒心の欠片もないコロナの背後より、一匹のブラッディハウンドが強襲を仕掛けた。
これを見ていた栗色の髪の女性は「あああ!」と悲痛な叫び声を上げてしまう。
コロナは、襲われたほうを見るも、すでに遅く、ブラッディハウンドの牙が目の前に迫り、覆いかぶさってきた。
最早、手のつけられないほど、もみくちゃになった。
「もうダメだ」と、栗色の髪の女性の隣にいる御者が漏らす。
かくいう栗色の髪の女性も、助けることすら叶わないと思った。
が、次の光景を見て、彼女は愕然とする。
ブラッディハウンドは、たかだかと持ち上がり、その四肢を空中で動かしもがいているのだ。
コロナが地面を背景にしながらも、ブラッディハウンドの背中を捕まえ、がっちりとホールドしているのである。
ブラッディハウンドの抵抗を児戯であるかのようにあしらっているのだ。
コロナは、ブラッディハウンドをぽーい、と空中に投げ捨て、思い切り地面に叩きつけられる。
立ち上がると、今度はより一層ブラッディハウンドらの剣呑さはせり上がっているようであった。
今にでも一斉に襲うように見えたが、そうはならない。
この群れには、長(おさ)がいるのだ。
長と思われる一匹が群れの中から現れる。
他の者よりも、一回り大きく見えた。
コロナを中心に、ぐるぐると回るところで、コロナは呼びかけた。
「お前話せるか?」
唸り声ばかりで、言語による意思疎通はできないとみなす。
コロナは獣であることに意識を切り替え、もっともハッキリとしたメッセージを送り出すことにした。
「警戒するな」
腕を前に、ぐっと突き出す。
これをやるから大人しくしろ、と言わんばかりの行為。
長は、ぐるぐる回ることをやめる。
徹底した挑発に、赤く充血した瞳は一層の赤みを増していた。
「ひやあああああ!?」
この叫び声を上げたのは御者である。
コロナの腕は、半分以上が、ブラッディウルフに噛みつかれてしまった。
栗色の髪の女性も、わけも分からず傍観したことを後悔する。
(何をやっているのわたくしは。少年のすることに、思わず見惚れるなんて)
仮に彼女が出たとしても、周囲のブラッディウルフが妨害していたので仕方ないのであるが、放心とも呼べる思考停止をしていたことに対し、自責の念に狩られていた。
しかし、この思考停止は、案外正しかった。
ガーンっ!!
と、大きく鳴り響いて、地面にブラッディウルフが打ち付けられた。
最初、コロナはブラッディウルフを持ち上げ、それから振り落としたのである。
細身のコロナからは、想像できないほどの怪力に、栗色の髪の女性は絶句するよりない。
思わず、手に持っていた剣を、下げてしまうほどであった。
コロナは、長の口から手を引き抜いたが、長はもはや動けなかった。
事態の衝撃は、当然人間以外のブラッディウルフにも伝わっており、長が、完全にピクピクと泡を吹いて沈黙。
これまで発せられていた、唸り声はピタリと消え去る。
コロナは、ぐいっと長の襟首を掴んだ。
「これを持ってどこへなりとも行け」
長を、ぽいと、投げ捨てる。
群れは、長を掴み、もはやコロナたちに目もくれず、走り去っていった。
残された二人の人間の驚きも、次第に落ち着いて来たが、やはり信じがたい光景であった。
「姫様こいつぁ? どういうことでしょう?」
御者が、そんなことを、姫と呼ぶ栗色の髪の女性に対し述べる。
「わかりません。ですが」
助けられた、という事実だけが残された。
何よりも、彼女にとって大事なのは、コロナが光に見えたことにある。
栗色の髪の女性は、コロナに近づいた。
コロナも、相手に気づいて、両者はようやく相対することになる。
(美しい)
半身は獣の毛色で、半獣。白銀の色味は、幻想的で美しい。
少年に見えたが、少女にも見える。
「あの、あなたは」
「コロナ。お前は?」
「わたしは、ルーチェ」
「ふーん、そっかー」
何故か沈黙が流れたところで、ぐー、と鳴り響き、コロナはお腹をさすった。
「腹減ったから、ご飯探す」
一方的に会話を切って、さっさと立ち去ろうとする。
ルーチェは、連れの御者に言って外套を持ってこさせた。
そして、外套をコロナにかぶせるように着させる。
「お?」
「お願いします。お礼をさせてください」
「うまいものくれるのか?」
「は、はい。食事を用意させます」
コロナは、ここで母に言われた言葉を思い出した。
――コロナ。知らない人に、甘いことを言われたからと言って、ついて行ってはいけません。
『なんでだ?』
――なんで、でもです。外の世界には、酷いことをする人がいます。
『コロナ、ぶっ殺すから大丈夫だぞ』
――ぶっ殺してはダメです。
『えーなんで?』
――ぶっ殺すと外の世界にもいられません。あなたが外の世界に出られたとしても、これを忘れずにおきなさい。
コロナは、うーん、と唸って考え、美味しいご飯と、母の言葉を比べた結果、
「わかった。お前について行くぞ」
あっさりと破ることにした。
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