第17話コロナの冒険


 世界すれば、ほんの僅かな一部に、帰らずの森と呼ばれる森が存在していた。

 一度入ったなら、この森から出られることは無い、とされる森であるけれど、実は脱出方法があった。

 森の原住民とも言うべき神獣、コロナには、頭を悩ませる問題があった。

(外に出たい)

 コロナは生まれて以来、一度たりとも森の外に出たことはない。

 母と呼ばれる存在にも、外の世界を少しだけ教わっていたが、実際に、外の地を駆けたことは無い。

(にーちゃんだけずるい)

 寝太郎は、何度も外に出ている。

 だが、結局コロナは外に出られなかった。

 その理由として、開かれた穴のサイズでは、通れなかった、というのもある。

 さらに言うと、外の住人は、コロナの見た目を恐れるからだ、という。

 コロナにしてみればさっぱり理解できない。

 多少の違いはあっても、同じ生き物であると思っているからだ。

 穴を開けるには、寝太郎の目が必要とされている。

 寝太郎には、穴を開ける場所が理解できるようだった。

 空間に、穴を開けられる脆弱点があり、これをコロナの一撃によって引き裂くことで、外に通じる穴が開く。

 何も無い中空をコロナは引っ掻いた。

 当然、何も起きない。

 位置を変え、場所を変え、引っ掻きまわったが、当然のごとく、穴は開かない。

 寝太郎の力を借りることで、穴は、あっさりと開いた。

 その穴が、もっと開かれないと、出ることはできない。

 2つの悩ましい問題に、コロナのムカムカとした気持ちは高まっていた。

(飽きちゃった)

 もういいや、と思いながらも、投げやりに前足一本を上から下に振り落とす。

 すると、前足の一本の爪が、空間に入り込んで止まった。

『あ……ああ!』

 感じたことのある手応えから、更に、コロナは上から下に空間を引き裂いた。

 まるで、空間が紙切れにでもなったように、破けて、ふわりと開く。

 外の景色が見える。

『やった!』

 コロナは急いで穴に右手を突っ込んだ。

 が、手しか突っ込めなかった。

 穴が小さすぎたのだ。

 何とか穴を広げようとしたが、広がらない。

 どういう理由か、穴はどうしてもコロナが通れるサイズにまで広がってくれないのだ。

『なんでなんでなんで?』

 ジタバタと藻掻くが、穴は決して広がらないし、コロナを通そうともしない。

 それどころか、穴は段々と小さくなっていた。 

『あれ? 抜けない?』

 コロナが気づいた頃には、穴は、すっかりコロナの腕を捕まえて離さなかった。

『あ、あわわ。離して、離してよ!』

 慌てて引き抜こうとするも、穴は無慈悲に閉ざされていった。

 思いっきり引っ張ったところ、急に、手放されたことで、コロナは背後に転がり、どしんと大木にぶつかった。

『びっくりし……ああああああ!』

 コロナは自分の体の異変に気づいて仰天した。

『コロナのオテテが、オテテが無くなってる!?』

 コロナの右手の先が、綺麗さっぱり消えていた。

 あまりに驚き過ぎて、血が吹き出ていないとか、痛くもないことの違和感に少しも気づかなかった。

 とは言え、コロナの喫驚は長続きしなかった。まるで何事も無かったかのように、手が戻ってきたからである。

 落ち着いたものの、コロナにとっては、希望が潰えたようで、落ち込んでしまった。

 これではまるで、森が、彼を出したくないかのようである。

 コロナは、その場にうずくまった。

『ぐすん』

 何かを希望すると、辛くなる。最初から外に出たいと思わなければよかったと思った。

 せめて自分が人間の大きさであれば、外に出られたことだろう。

 人間。

 この単語にコロナの記憶の奥深くにあった、母の言葉を想起させた。


――コロナ、よく聞きなさい。

――あなたは、人間じゃありません。

『それぐらいわかってるよ?』

――でも、獣でもありません。

『コロナは、なんなの?』

――(しかし、見方によっては、人でもあり獣でもある、とも言えます)

(うーん、わかんないよぉ…) 

――この意味が分かれば、あなたは”どちら”にでもなれるのです。


 コロナの母と呼ばれた人は、説明が回りくどく、下手くそであった。

 結局母は死んでから、この話を思い出すまで、一つとしてコロナは自分が獣であり、人間であることを意識したこともなかった。

(コロナは人間になれるの?)

 目をつむっている中で、コロナは意識が混濁しつつあった。

 眠りについてしまいそうになっていたからだ。

 ふいに、意識が閉ざされてから、いくばくかの時間が空いた。

 コロナは目を開くと、起き上がり、手で目をこする。

(あれ?)

 コロナは違和感に気がついて、自分の手を見た。

 いつもなら、ごわごわの大きな手が、小さく細い。

 毛もない、爪も短い。

 コロナは全身を見た。

 全身は、半身ほどが毛で覆われているが、もう半分が人間の肌である。

 この体型は、普段の大きな獣型ではなく、人間そのものであった。

「なんで?」

 誰が答えるはずもなく、コロナはふいに空中を見た。

 コロナには、自分が一度開けた穴の場所に、破れた切れ端のようなものが見えた。

 この欠片に手をかけると、幕を引き下ろすように、先程と同じような穴を開くことができた。

 穴はまだ完全には閉ざされていなかった。

 しかし、今度この穴が完全に塞がれると、また手当たり次第に当てなければ出られないだろう。

 思考するよりも、コロナは体が動いていた。

 憧れの世界に降り立つことを、その意味を、彼の頭では大して考えられることもなかった。



 * *



 一方その頃、寝太郎はコロナを探し回っていた。

「おーいコロナー! どこ行ったんだー?」

 いつもなら食事時になると頼まれなくても出てくるやつが、今日に限ってはどこにも居ない。

 妙な胸騒ぎがする。

 寝太郎は、くまなく探そうと、声を上げ続けた。

「もし、貴殿は、勇者様では無いか?」

 声のする方に振り向くと、そこには、立派で整った口ひげと、あまりにも豪奢な服装をまとった中肉中背の男性が立っていた。

 寝太郎は、また迷い子がやって来たのかと思いつつ尋ねた。

「どちら様?」

「我が名は、タンス・エンプティ3世である」

 なるほど彼の頭上には、金の王冠が讃えられている。

 寝太郎は、特段、気にしないでいた。

「あー…それで何か?」

「うむ。出口はどこであるか?」

 目はキリリッとして、威厳があるのに、言葉は間抜けだった。

 

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