第11話ニートと大賢者
世界のごく、ほんの一部。
神獣大陸の西側に、帰らずの森、と呼ばれる、人が立ち寄らない森が存在していた。
この森の中に、目的を持たず、日々食っちゃ寝して過ごす、寝太郎という男の姿があった。
あまりのやる気の無さ故に、出ることすら放棄したこの男は、あくびをしながら、苔の生えた岩の上で横になっていた。
寝太郎は視界に、怪しげな人の形を捉え、目を細める。
やはり人で、白い頭に髭を生やした、老人のように見えた。
ひょいっと岩の上から降りると、その人物に近づいた。
「爺さん迷子か?」
「……ここはどこですか?」
手をぷるぷると震わせている。
杖をついて、ようやく歩いているという感じだ。
「森だ。すまん、それ以上わからん」
ぷるぷると震えつつ、老人は、焦点を合わせようとしない。
「ご飯はまだですか?」
会話も噛み合わないことで理解する。
(そっか。迷い込んじゃったのか)
困ったものだが入ってしまった以上は仕方ないだろう。
「そろそろご飯にしようと思ってたんだ。いっしょに食べよう」
老人はうなずくでもなく、ただ、ぷるぷると手を震わせていた。
*
白髪の老人をコロナのもとに連れて行くと、コロナはまず老人の匂いをかいでいた。
寝太郎にもやっていたが、匂いで人を覚えているわけだ。
老人はいっさい驚きもせず、座席としての岩場に腰掛けている。
そこで、「大したものは出せないけど」と言って、寝太郎は草を差し出した。
草を出しても老人は、文句一つ言わず、何だったら食べるものすら認識せずに、もしゃもしゃと食い始めた。
その様子を見てから、寝太郎も口にしようとしたのだが、
「うまぁあああい!?」
と、大声で叫ばれて、うっとむせ返りそうになった。
白髪の老人は、先程までとは打って変わって、ハッキリとした目になり、草を見つめる。
「なんじゃこれは」
とか言いながら、草を全部頬張って食べてしまった。
奇怪な現象を目の当たりにして、寝太郎はおずおずと尋ねた。
「じ、爺さん?」
白髪の老人は、寝太郎をしっかり見て、眉間にシワを寄せる。
「お前は、誰じゃ?」
「あんたをこの森で見かけて、ご飯を上げてるんだけど」
「ご飯? あれは神草(しんそう)じゃろう」
「知ってるのか?」
「ワシを誰じゃと思っとる。大賢者フールとはワシのことじゃ」
フールと名乗った老人は、髭を左手で伸ばしながら偉そうに述べた。
でも当然寝太郎は、
「知らんな」
と答えるよりほか無かった。
大賢者は不機嫌になるより前に、寝太郎の容姿を見て気づく。
「東方の……そうか」
東方の、というのは、ミルヒーが口にしたことで覚えていた。
「あんたが賢者なら知ってるか? 東方の勇者って何だ?」
「お前も例に漏れず記憶喪失というやつか」
「は? あ、ああ。そうだな、そうだ」
最初寝太郎は、意味不明だと思ったのだが、もしかしたら、自分と似た境遇の人物が他にもいるんじゃないか、とすぐ理解した。
異世界よりやってきた寝太郎は、自分の出生を尋ねられても、当然答えられない。
記憶喪失は非常に役に立つ設定だ。寝太郎もこの設定を拝借することにした。
フールは口ひげを触りながら答えた。
「東方は、未だ誰も発見したこともない、幻の国と言われておる。その都では刀の達人である侍が住んでいると言う話しじゃ」
確かな知識を披露され、大賢者という名は伊達ではないことを知る。
刀と言えば、寝太郎は例の小太刀を、腰にさして持ち歩いていた。
実はこのとき、フールも視線を落として彼の刀を見ていたが、特に何も言わなかった。
すぐに寝太郎は次の質問をした。
「さっきの神草ってなんだ?」
「神草とは伝説で聞く草のことじゃよ。万病に効く薬草と言われておるな」
(単なるモチモチした甘い草じゃなかったのか)
食べ物としか認識していなかったが、そこまで凄い草だとは知らなかった。それなら光って見えるのも仕方ない。
寝太郎は、これまで疑問だったことを尋ねた。
「光って見えるやつと見えないやつがあるんだが?」
「ほう、お前はそれほどハッキリと魔素が見えるのか」
「魔素? 魔力の源とかか?」
「作用。魔力の源。生命の源でもある。ふむ、神草が育った理由は、この土地の膨大な魔素量によるところが大きいようじゃの」
フールは、あたりを見回したが、ある一点で、「ふがぁ!?」と言って目を見開き驚いた。
視線の先には、コロナが座っている。
今まで大きくて、視界として入り切らなかったようである。
「神獣じゃと」
『違うぞ。コロナだぞ』
答えられたそこには反応せず、フールは冷静に考える。
「ここは…そうか”帰らずの森”じゃったか」
寝太郎は、ここが帰らずの森、と呼ばれていることを初めて知った。
ここまで知識を披露されると、期待が高まってくる。
「爺さん、ここの脱出方法わかるか?」
「なんじゃ、出られないと言うのか?」
まるで普通はできるだろう? と言わんばかりである。
「どうやるんだ?」
「それほどの器を持ちながら何と嘆かわしい。いいじゃろう、ワシが直々に指導してやる」
「マジかよ!」
人間万事塞翁が馬と言うが、寝太郎も期せずしてやってきた幸運に、テンションが上がってしまった。
フールは何やら思い出していた。
(元気なやつじゃな。やつを思い出す)
ここで、さらさらとした穏やかな風が流れ、フールの鼻をむず痒くさせた。
「ふ、ふ、ふぁ――ぶあぁくっしょおおおん!!」
フールは、盛大なくしゃみでもって吹き出すと、「ふが?」と言いながら、焦点の合わない顔になった。
「爺さん、まさか?」
「飯はまだかのぉ?」
終わったかと思ったが、草はまだあることに気づく。
寝太郎は、草を取ってきてから、爺さんの前に差し出すのだが、ほんの少し目を離しただけで、フールはすでに横になっており、目をつむっていた。
満足したかのように、ぐーすかと寝ているのだ。
「そりゃないぜ爺さん」
とは言え、焦らなくとも、解決の道筋は出来上がった。
魔法、冒険、ようやく勇者らしいことができることで期待に胸が膨らむ
果報は寝て待て、ということわざがある通り、寝太郎も横になって寝ることにした。
数十分後。
寝太郎が起きると、爺さんの姿は、こつ然と消えていた。
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