第9話ニートと魔人の子5
森のある場所で、ミルヒーが山菜を詰んでいたところ、奥の方から人の気配がした。
最初は、寝太郎ではないかと思ったのだが、違った。
長身の男がフードを被っている。
男がフードを取ると、頭には一本の角と、肌は藍色で、肩までかかる銀髪。つまり魔人がそこに立っていた。
「探したよミルヒー」
「ミリード…」
まずいやつが来た、と思い、ミルヒーは眉をひそめる。
ミリードと呼ばれた彼は、両手を軽く広げながら、やれやれ、といった具合で言った。
「魔王様に言われてね、探しに来たんだ」
彼は、そんな善良な人間ではない。
疑いをかけられるわけにはいかずにミルヒーは答えた。
「そう、あたしは無事よ」
「そのようだね。何をしている?」
「食べ物を採っていたの」
「そうか。ここには他に誰もいないのか?」
「いない。逆に聞くけど、魔王様には他に何か言われなかった?」
「いや何も」
どうせ勇者の話を嗅ぎつけて、最初から手を出すつもりでいたのだ。
助ける、というのは単なる口実で、どうなっているか様子を見に来たに違い無いのである。
ミリードは、ふぁさぁっと髪の毛を片手で書き上げると、睨みをきかせた。
「俺の目は誤魔化せない。この森には何かの気配があるな」
ミリードはすぐ嘘をつく、しかも困ったことに、周囲から自分の嘘が見破られていない、と思っている嘘つきなのだ。
だが、彼の本当の問題はそこではない。
先手を打つしか無いと思い、ミルヒーは言った。
「実はあたしの魔道具が故障してたの。あんたの道具を使えばゲートを開けるでしょ?」
「すまん、俺も故障してるんだ、直るまでもうちょっとかかる」
露骨に嘘とわかっても、口を挟めば、さらなる嘘を重ねるだけになる。
(恐ろしいことになる、気がする)
ミルヒーは直感的に理解していた。この男が動けば、必ず良くないことが起きる。
それはもう、目を覆うようなことのはずだ。
「あんたのためを思って言うけど、よした方がいい」
「はん。お前が勝てない相手だからといって、俺が勝てないわけではない」
(やっぱり勇者狙いなんじゃない)
ミルヒーは食い下がる。
「そういうことじゃなくて」
「これを見ろ」
ミリードは腕に装着した腕輪の装置をみせた。
彼が手を軽く操作すると、ナイフが飛び出る。
「どうだ凄いだろ? 突き刺せる上に、投げナイフもできる」
「ちょっと切れてるわよ?」
ミリードは、ナイフをしまいつつ、自分のマントで、手の甲にできた傷を拭き取った。
そして自信満々に述べた。
「ふ。こんなところだ」
(不安しかないんだってば)
ミルヒーは、説得は最早諦めるしかないと観念する。
一度信じたら直進するところは、ミリードと彼女は似た性質を持っていた。
彼女は認めていないが、それは同族嫌悪というものである。
木々の合間から、寝太郎がぬるっと現れた。
そして彼は、ぼけーっと突っ立って、二人を見ている。
(最悪)
ミルヒーは、立場的に、寝太郎に逃げろとは言えない。
かといってミリードに対し、理由もなく引き下がろう、とも言えない。
もはや彼女は、この状況を見守るよりほか、なくなっていた。
一方で寝太郎は、一見すると何も考えてなさそうだが、実は考えていた。
(妙な空気だな。まさか彼氏か? 修羅場か? まずったなぁ)
空気として膠着する中、ミリードが先に動きを見せた。
彼は、素早く寝太郎の間合いに詰め寄ろうとしたが、足もとで木の根が絡まり、そのまま前のめりに倒れた。
ミルヒーが、近づくも、彼はその前にすぐ立ち上がる。
一筋の血が、鼻から伝って垂れていた。
彼は手の甲で鼻血を拭いつつニヒルな男のごとく振る舞う。
「やるじゃないか」
(何もやってないのよ…)
ミルヒーは、彼が何かをすれば、必ず彼が原因で何かが始まることを、頭が痛くなるほどよく知っていた。
絶望的に失敗を認めない男、それがミリードなのである。
「あんた大丈夫か?」
寝太郎も、さすがに心配している。
ミリードは、ふぁさぁっと髪をかきあげると、笑顔を作った。
「やぁ。俺はミルヒーの親戚でね。是非君に挨拶をしたかったんだ」
寝太郎はここでようやく状況を理解する。
なるほど彼は、ミルヒーを迎えに来た存在なのだと。
「実はね、君に贈り物があるんだ」
「え? はぁそっすか(何だこいつ? どういう反応すればいいんだ)」
いきなりプレゼントをくれる人が現れたら困る。
ニートは人と接点が低いので、思わず、人との応答に迷うときがあるのだ。
ミリードは、すぅっと右腕を上げた。
「これを受け取って――くれないか!?」
ミリードは、右手を振り払うようにして、例の装置によってナイフを射出した。
小型のナイフが、寝太郎を襲うが、これに寝太郎は、何やらボケッとして、まったく反応できていなかった。
ミルヒーも、この様子を見て、「まずい」とさすがに漏らす。だがときすでに遅く、寝太郎の頭上目掛けて、ナイフが飛んでいく。
とうの寝太郎は、こう思っていた。
先程、そっけない態度をしてしまったのは、さすがにまずかった。
返礼の形で、「ありがとうございます」と言って頭を下げた。
これが幸いし、彼の頭上をナイフが通り過ぎる。
森の仕組みとして、ある一帯を区分けして、空間の歪みがそこかしこに存在している。
よって、入っていく場所と、出ていく場所とで、一致しないことがしばしばありえるのだ。
ナイフは素晴らしい安定起動で、森の中をまっすぐ通り過ぎていった。
普通ならばナイフはこのまま、この場所の外に出ていくものであるが、驚くべきことに内側に向かって帰ってきた。
帰ってきたナイフに対し、誰もが存在に気づけなかった。
何せナイフが戻ってきた先はミリードの背後にあったのだ。
「おぐぅっ!?」
寝太郎はくぐもった声を聞いてから、顔を上げた。
そこに、ミリードの姿はあったが、余裕の表情である。
(なんかオットセイと似た奇声が聞こえたが、気のせいか?)
ミリードは涼しげに微笑している。
「ふふ。なるほど、さすが勇者だ。油断ならない」
ミリードの額には滝のような汗がある。
何せ彼のケツには、自分で投げたナイフが、ケーキの蝋燭のように突き刺さっていたからである。
もう十分じゃないのか? とミルヒーが思っていたところ、森の奥底より音が聞こえてきた。
とても重々しく、下腹部に響くような、『うぅぅぅぅ』という音である。
ミリードの足がわずかに小刻みに震える。
何か圧倒的な存在が、この森の奥に存在している。
しかも、目の前の勇者は、この存在に対し、何の意にも介していない。
ひょうけた勇者と、森の奥に居る謎の強大な存在、更には、ケツがじんじんと痛くなり始め、ついに彼は、プライドの限界を迎えた。
「さて、挨拶はこれぐらいにして、帰るぞ、ミルヒー」
ミルヒーは、ほっとしたような吐息を漏らしつつ、「そうね」とうなずいた。
ミリードは手のひらにカプセル型の魔道具を持つと、これを起動する。
疑似魔力回路が発動し、ミリードの腕に光の模様が走り、魔道具からは光が溢れ出す。
彼は、魔道具をその場に投げ捨てた。
すると突如として目の前に、外の世界に繋がるゲートが広がった。
「それでは勇者、また会おう」
ミリードは、寝太郎と正面を合わせつつ、かなり不自然なカニ歩きをしながらゲートをくぐっていった。
残されたミルヒーは、すぐにはゲートに向かわない。
「お前、行っちゃうのか?」
寝太郎の質問に、彼女は、曇った顔をしていたが、すぐ眉を吊り上げながら言った。
「うん。そうよ。始めからそういうことだったでしょ?」
「そっか…あいつも寂しがるが、仕方ないな」
寝太郎は頭を掻きつつも、最後に続けていった。
「じゃぁ、またな」
この言葉を聞いて、ミルヒーは、視線を落としていたのだが、寝太郎に合わす。
彼の表情は、本当にまた会えると思っているのか、憂いの一つもなく、ほのかに明るい。
(ずるいじゃない。そんな当たり前みたいに)
ミルヒーもニコリと笑ってから、手を上げ軽く振った。
「うん、またね」
ミルヒーがゲートの先を超えると、これを待っていたかのように、ゲートは収束し、やがて消えていった。
あとあとになって寝太郎は思った。
(俺もいっしょに出ていけば、良かったか? ま、いっか、多分なんか見つかるだろ)
『にーちゃぁん』
森の奥より、甘えた声でコロナが現れたが、どうも具合がよろしくなさそうであった。
『ぐるるるるるるううううう』と、腹の虫の音が長めに鳴っている。
寝太郎は、コロナの体をよしよしと、なでる。
ミルヒーに関しては、あとで説明することにして、いつものごとく振る舞うことにした。
「飯にすっか」
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