第4話ニートと神獣4


 俺の親父が家を出て行ったのは、物心がつく十歳ぐらいころのことだったろうか。

 どうして、親父が戻らなかったのか、母親も周囲も説明してくれず、意味がわから無かった

 けど、最初に親族から説明をされたのは、しっかりする必要性がある、てことだった。

「あなたがしっかりすれば、お父さんは帰ってくる」

 誰だったかまでは覚えていないが、そう言われたのだけは、覚えている。

 親父は、きっと本当に大事なことがあって、出ていった。仕方なかった。という理屈が俺の中に出来ていたんだ。

 最初はそれでも良かったが、成長すると共に、意味がわかってくる。

 頑張れば戻る、ということはありえない、それは単なる大人の勝手な都合だ。

 親父が浮気をして逃げた。

 その子供が、グレたり、手のかかる子供になることで、親族たちは、噂が立つのを嫌がっていた。

 大人は自分たちの都合を、御しやすい相手に押し付けていただけだった。

 その事実を理解すると共に、俺の中で、頑張って成績を良くして、頑張って笑顔を振りまいて人と交流し、頑張って受験して将来を設計していくことは、無意味と化した。 

 最初の引きこもりが始まり、学校から友達と称する、単なる知り合いがやってきて、強制的に学校へ戻そうとしてきたりした。

 俺は合わなかったし、絶対に戻らない、絶対に行かない、と譲らず、ドアの向こう側ですべてを閉ざした。

 みんなは、俺の内面など気にしない。おかしなことをするな、普通に振る舞えよ、と言ってきてるだけだ。

 先生は立場上、俺のことを気にするしかない。

 生徒も、目上の人間に仕向けられて、俺に会いに来るのであって、本気でどうにかしたいわけじゃない。

 この世に、俺を本気で思う人間なんて居ない。 

 母さんだって、自分を思うよりも、世間体を思っているんだ。 

 だから仕方なく、黙って引きこもりを容認している。

 引きこもってニートをしていると、時間はあっという間に過ぎていった。

 無精髭を生やして、散髪もせず、軽く脂肪のついた肉体で、失踪した親父よりもやや年老いた姿になっていた。

 自分の内面の時間だけが止まり、社会は自分を気にせず置いて行った。

 何をみんな、そんなに頑張っているんだ?

 わからなかった。

 世間の人たちが、大事なものを見つけているとは、到底思えなかった。

 その人たちも誰かに言われるがまま生きていることが分かっていたからだ。

 誰かに言われるがまま生きることは、俺には生理的に耐えられない。親族の厚塗りした、偽善的な顔が、俺の頭に今も飛び込んでくる。

 自分にとって、大事なことで生きたい。

 そんなものは簡単に見つかるわけもなかった。 

 大事なものを見失っているのは確実で、それを見つけようとする気力が、そもそも沸かない。

 世間に出て、誰かに利用されるのが、怖かったんだ。

 本心から生きてみたい、そう思える日が来ることは、中年を迎えてもやって来なかった。

 当たり前の話し、時間では何も解決しない。

 俺は今日も引きこもり、パソコンから得られる、限られた情報で世界を止めている。

 心の中で、つっかえ棒が引っかかっている。これを取り払う方法は、自分だけでは、見当たらなかった。

 誰かに助けて欲しいのに、その誰かに関わるのが怖い。

 いつしか、俺が生きてるのか死んでるのか、それすらも、よくわからなくなっていた。



 * *


 寝太郎は目を開けた。

 あたりは暗く、背中に白銀の虎の呼吸が伝わる。

 自分の死因を彼は覚えていない。

 社会は消え去り、生きているが、例えそうであっても、寝太郎の精神構造が変わる感じはなかった。

 しかし、必死ではある。こうも必死に生きようと藻掻く姿勢は、初めてのことであり、獣とは言え、頼りにされることも無かった。

 存在の輪郭とでも言えば良いのだろうか、社会構造がしっかりあった前の世界よりも、よくわからない世界である方が、五里霧中である分、生き方を模索せざるを得ないと言える。

 生きているんだ。、ここで。

 こうも簡単なことが、見えなくなっていたのはどうしてか考えていると、腹の虫が鳴く。

(何か食えるもの) 

 星の光ぐらいしかない暗闇の中、さすがに 食料を見つけるのは難しいと思えたのだが。

 小さい動物の歩く姿が視認できた。

 こっちを見ているような気がしたが、どこかへ向かって走っていく。

 暗闇であるはずの場所で、動物が視認できるほど、光が広がっている場所があるのだ。

(なにか感じる)

 胸の奥底からくる、”感じる”という感性は、五感よりも研ぎ澄まされていた。

 第六感という言葉が思い浮かぶ。自分の体には、確かにこの感性が組み込まれており、確実だと実感できるほど明瞭であった。

 寝太郎は立ち上がり、動物たちがいる方角に向かった。

 昼間は、歩き回っても見つけられなかった動物たちが、そこに居た。

 彼らが群がっていたもの、それは昼間、白銀の虎がくれた草と同一に見えた。

 草の輪郭に沿って、光りが輝いて見える。

 寝太郎が近づくと動物たちは警戒して散っていった。

 引き抜いて持ってみるが、それでも明るい。

 食べてみる。

 味は、昼間食べた草と同じだが、何故か味に豊かさを感じる。

 この草に含まれるエネルギーは、自分を生かすものであると直感的に理解した。

 最初この草を食べたときは空腹感は満たされなかった。

 なぜなら、この光るエネルギーが無かったからだ。

 白銀の虎の腹が膨れないのも、おそらく、このエネルギーが不足していたからだろう。

 おそらく、白銀の虎は、彼らと同一のものを食べていた。

 つまり自然と、エネルギーの含まれる草を食べることが出来ていたのだが、仲間が死んだことで、光りが宿る草を食べられなかった。

 同じ草でも同じエネルギーが含まれてるかを見分けられないのだから、空腹が満たされなかったのだろう。

(もしかしたらさっきの小さいの、あいつを助けろ、て言ってきたのか?)

 リスみたいな生物を探したが、そばには居ない、隠れてしまったようである。

(まさかな)

 寝太郎は、そこにある分だけ集めて、白銀の虎のもとに戻った。

 喉を鳴らして寝ているが、具合が悪そうに見える。

 このまま餓死させ、自分だけ残る姿を思い浮かべる。

 微かに苦笑した。

(いや、さすがにやめよう)

 一人ぼっちは、もう勘弁だ。

 例え、彼が元気になって、自分を引き裂く羽目になっても、餌を分け与えてくれた事実を、寝太郎は忘れていなかった。

 同じものとして扱ってくれたやつを、見捨てるわけにはいかない。

「おい飯だ」

『あーうー』

 寝言を言うだけで、起きようとしない。

 鼻にある髭を引っ張った。

「起きろって」

『うーあー』

 髭の方を、前足でぐりぐりと触る。くすぐったかっただけのようだ。

 困ったことに、草はエネルギーがだんだん減っているような気がした。

 このままでは草が無駄になると思い、寝太郎は思い切った手段に出ることにした。

 分厚い口元を強引に、両手を使いながら、全身の筋肉でもって開く。

 この肉体は幸いなことに、もとの自分よりも力があるせいか、口を開くことができた。

「頼むから噛むなよ」

 牙と牙のあいだより草を放り込んだ。

 白銀の虎は、寝ながらぐちゃぐちゃと食べると、草を飲み込んでしまった。

 心なしか、寝息からしても、穏やかになっているように見える。  

 心配ごとが消えたせいか、寝太郎もまた、再び彼を背中にして眠ることにした。



 *


「――ちゃん」


 声が聞こえていた。

 高い声。女の子の声だ。


「――お兄ちゃん。朝だよ」 


 寝太郎が目覚めると、空に光がのぼっていた。

 もちろん、そこはベッドなどないし、天井などない。可愛い妹が、朝起こしに来たわけでもなさそうだった。

 あれはゲームで良く聞く幻聴だったのだろう。

 背伸びしつつ、首を軽く左右に振ると、すこぶる調子がいいことを理解した。

『おい』

 ずいっと目の前に顔を覗かせてきたのは、白銀の虎であった。

 目覚めに獣とは、衝撃の事態であるが、さすがに慣れた。

「妹がお兄ちゃんとか言ってくれたらな」

 寝太郎も散々プレイした、美少女恋愛シミュレーションゲームでは、朝起こしに来てくれる幼馴染がいた。

『にーちゃん』

「は?」

 見れば白銀の虎がこちらを見つつ言っている。

『にーちゃん』

「俺のことか?」

『お前が言えって言ってたぞ。にーちゃん、て』

 白銀の虎は、先程寝太郎が愚痴るように述べた、お兄ちゃんという単語を、にーちゃんと約して、名前と勘違いしているようであった。

 これが本当に妹だったら可愛いものであるが、剛毛の巨躯と、ギラリとした双眸に見つめられても、楽しくはならない。

 今更、呼び名を変える必要性はないと思った。

 一方、白銀の虎の名前があるのか、とも考える。

「お前には名前があるのか?」

『コロナ』

「ぶっ」

 寝太郎は、思わず吹いてしまった。

『どうした?』

「いや、こっちの話しだ」

 ある意味馴染み深くもあるし、これならこれで、覚えやすいとも言えた。

「ま、いっか」

 危機は脱し、生きている。

 今は、それだけで十分だ、と寝太郎は考えた。

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