第2話ニートと神獣2


 白銀の毛並みを持つ虎が寝太郎を睨み続け、身動き一つ取れなかった。

 わずかにでも動けば、あの太い腕一つで、真っ二つに引き裂かれかねない空気感が漂っている。

 頼みの綱となる、パソコンは破壊され、以降うんともすんとも音沙汰はない。

 当然、握っている刀で敵う相手ではない。

 詰んでいるじゃないか、と悟る寝太郎。

 段々と、刀を持って握ることすら億劫になって、杖のようについた。

 白銀の虎から漏れる息遣いは、空気をわずかに震わせているかのようである。

『あ、うぅ、ぉ』

 口元を変化させ、工夫を凝らしている。

 まさかと思ったが、この白銀の虎には、期待するべき知性が備わっているように見える。

 久々に語るせいで帳尻がうまくいかないのか、白銀の虎は口元を動かし続けた。

『んぉ。お、お前、なんだ?』

 それまであった絶望的なプレッシャーが半減した。

 もちろん、相手の気分次第では、引き裂かれないとも言えないが、可能性が減っただけマシである。

「目が覚めたらここにいた」

 相手が片言だったので、思わず同じような口調になってしまった。

 ニート歴の長い彼にとって、まともに話せるか不安だったこともある。

 白銀の虎は、前フリもなく顔を近づけてきた。

(おいおい!)

 かぶりつかれるかに思えたが、白銀の虎は鼻先をスンスンと嗅いでから、鼻先を寝太郎の肉体に押し付けてくる。

 こうしてから再び顔を上げると言った。

『変な匂いがする』

「わ、悪かったな。臭くて」

 白銀の虎は、きょとんとした顔をしてこっちを見ている。

 表情の変化が乏しく、何を考えてるか、わからない。

 諦める選択肢はない。強いられた背水の陣によって、会話を続けていくよりないのだ。

「お前は何が望みだ?」

 とは言ってみたものの、「腹が減ってる」と言われたらどうしよう、と寝太郎の頭に夜切り、ドキドキした。

 白銀の虎は片手の甲で、顔をこすりつつ考えてから言った。

『外に出てみたい』

 出る、とはこの部屋のことなのか、それとも別の空間を示しているのか、確認する必要性があった。

「どこから入ったんだ?」

『向こうから』

 白銀の虎は、首を振って、後ろを示す。

 この部屋からは入ってきた。

 つまり外に行きたい、とは、部屋の先にある場所に秘密があるようである。

 先を見ないことには何も対処しようがないわけだが、ここは白銀の虎の希望に沿う形にしなければならない。

「わかった、外に出られる方法を探そう」

『ほんとか? お前いいやつだな』

「ま、まぁな」

 人に言われたなら嬉しいが、獣に言われても、今すぐ卒倒したくなりそうだ。

 いかにオタク知識が高いとは言え、状況の受け入れやすさというのがある。

 こちらの何倍もありそうな獣に、仲間になりたそうにこちらを見ている、とリアルで言われたら怖い、という当たり前の感情を、肌身で実感していた。

 途中、白銀の虎は、『遅い、乗れ』と言って、体を落として背中に乗るように促してきた。

 乗る、乗らない、の選択肢すら用意されていないようであった。

 馬に乗るためにあるような、馬鞍などないので、毛を掴んでよじ登るのだが、毛を抜いたら殺されないか不安になった。

 実際に掴んでみると、かなり強い毛であり、つるりとしている。

 そのせいで、なかなかコツが掴めず上れなかったのだが、ぐんっと上に引っ張り上げられ、空に投げ捨てられたかと思ったら、くるんと一転して、白銀の虎の背中に落っこちた。

 すごく繊細で器用な芸当に、仰天していられる状況ではなく、立ち上がった獣は早速走り始めた。

 振り落とされたら死んでしまうと思い、伏せながらも白銀の虎の背にしがみついた。

 早さがどれほどなのか、掴むことに必死な寝太郎にはわからなかったが、体全体に風が来ることは理解できていた。

 ひとしきり走り続けたあとところで、先にまばゆい光りが見えた。

 光に向かい、躊躇なく飲まれていくと、目が慣れた頃には、別世界が広がっていた。

 鬱蒼とした森だ。

 主に、常緑っぽい、青々とした高木が並んでいる。

 樹齢何年もありそうな太い木も見えることから、深そうな場所に思えた。

 枝葉のあいだから光が差し込み、顔に当たって、生きてる実感を感じた。

 大昔、小学生の頃に登山で山に入ったことはあるが、これほど深そうな場所には入ったことがない。

 緑に包まれた美しい自然は、空気まで澄んでおり、肺の奥にまで行き渡るような、エネルギーに満ちていた。

『行くぞ』

 自然を堪能している暇もなく白銀の虎は、駆けていく。

 目の前に木が迫っては、軽やかにかわす虎であるが、上下左右に振られる方は、たまったものではない。

 暴れ馬のごとき状況で、全力で毛を掴まないと、振り落とされかねなかった。

 白銀の虎が急に止まったので、なし崩し的に、ごてん、と地面に転がり落ちた。

「いてて」と漏らしながら、怪我もなかったので、嘆息する。

 到着した場所は、おかしな話しだが、最初に目にした光の入り口付近の場所であった。 

 あれだけ走ったはずなのに、一周しているだけなのか、推察できる材料が少ない。

『どうした?』

 白銀の虎は、様子を伺ってくる。

 憶測に過ぎなかったが、寝太郎は考えたことを行動に移した。

「ちょっと待っててくれ」

 小太刀の刀を使って、木に向かって傷を三本ほどつけた。

 人為的な模様にするため、横二本と縦一本だ。

 寝太郎は、小太刀を鞘に納めると、白銀の虎に向かって言った。

「さっきと同じルートを案内してくれ」

『乗る?』

 乗っても、わけがわから無くなるだけだろう。

「今度は確認したいから」

 こうして、白銀い虎のあとを追いながら、寝太郎は森の中を歩いた。

 白銀の虎の上から走れば一瞬だったが、人間の足だと時間と労力が、それなりにかかった。

 やがて、先行していた白銀の虎の歩みが止まる。

 木目を見ると、見覚えのある木と傷跡が三つ揃っていた。

 光の入り口も確認し、一周したことを理解する。

「あ、あのさ」 

『ん?』

「ぐるぐる回ってるだけなのか? 俺たちは?」

『そうだな。だから何だ?』

「いや、そうじゃなくて、森がぐるぐるしててだな」

『何言ってるんだお前?』

 白銀の虎が理解できずに腹が立ったが、寝太郎も、自分の思考を言語化することに困難を覚えた。

 獣に過ぎない存在に対し、ある種の高度な概念を説明することは難しいのだ。 

 言語が通じるからといって、認識が共有できるわけではない。

『どうするんだ?』

 追い打ちをかけるような言葉である。 

「今度は別ルートで行こう」

 次の手というより、詰みの手に近いが、食われるよりマシだと思うと仕方なかった。

 今度は、マークを付ける木を変えて、別の方角から進むことにした。

 ルートを変えたかいがあって、森の風景が変わって見えた。

 途中に新鮮な川があり、白い虎も飲んでいるので、水を飲み込んだが、喉から胃にかけての染み渡るようである。

 思えば何も食べていなかったのだ。

 それまでは気にしなかった空腹感が、やはり戻ってきたように思える。

 これまでは緊張感で意識していなかっただけで、空腹はあったようなのだ。

 このまま体力切れになるのか、それとも白銀の虎の気まぐれで、食料にされてしまうのが先か、状況としては、ますます詰みの様相を高めつつあった。

 可能な限り生きのびるための思考に割いて考える。

(川をたどるか? いや確かそれって危険だったような)

 寝太郎も、どこかの情報で、遭難すると川をくだりたくなるが、逆に滝に落ちて危険である、と目にしたことがある。

 白銀の虎に尋ねることにした。

「ここから先の川はどこに繋がってるんだ?」

『さぁ?』

「それは、見たことがない、てことか?」

『うん』

 滝があるなら、滝があることを指摘できるが、見たことがないと言っている。

 それはとどのつまり、先にたどりついたことがない、と言っていることと同じなのだ。

 寝太郎は念押しで確認する。

「お前はここにどれくらいいるんだ?」

『ずっとここにいるぞ』

「ずっとってのは?」

『生まれてからずっと』

 寝太郎は内心、だからいつだよ、とツッコみたくなったが、外界を知らない獣に期待することでもなく、だいたいの推理でいくしかないとして冷静に考えた。

 これほどの巨体がすぐさま育つわけがないので、十年二十年ぐらいは想定してもいいだろう。

 森を熟知している白銀の虎が、川の先を見たことがない、というからには、本当に先が無いのだ。

 シンプルな答えが見えてくる。

 ここに出口はない。

 なぜなら、出口にたどり着けないからだ。

 ゲームではよくある話しなのだ。

 一度立ち入ったら、どんなに歩いても、先に進めない森。

 その森の中では、正解のルートをたどらないと、出口にたどりつけないわけだが、この森に果たして正解などあるだろうか。

 脱出ゲームも苦手な寝太郎に、ノーヒントではさすがに無理がある。

 最初出会ったパソコンの存在に尋ねることができれば、何とかなったかもしれないが、白い虎に無邪気に破壊されてしまった。

(……やっぱり詰んでるか)

 頭には、「諦め」という二文字が、克明になりつつあった。

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