帰らずの森の住人

第1話ニートと神獣


 彼が目を開いたとき、あまりに状況が白いので、頭を回転させるのに時間がかかった。

 見慣れた天井の模様もなく、空気の感じ方も、温暖とも寒冷とも言えず、奇妙である。

 彼は上体を起こしてみることにしたのだが、体から何かが滑り落ちて、銀の食器の音がした。

 そばの床を見れば、鞘に収められた、刀と短刀が転がっている。

 長い方の刀を取ってみると、模造品のような軽さがなく、思わず「おもっ」と漏らした。

 声を出してわかった、馴染みのある、あの萎れた声ではなく、若さのある高い声が出ている。

 まるで別人であり、若く張りのある肌と、屈強そうな筋肉まである。

 お手製なのか、獣の皮を使った一枚の衣服を着ていた。

 刀を床に置くと、横になって、曲げた肘をついて、頭を支えて目を閉ざした。

 頭が冴えているわけではないが、彼は考える。

(夢じゃないとして、何なんだ?) 

 目を開いたが、白い部屋の状況は一切変わらなかった。

 座った状態で体を起こす。

 右手でもって、頭を軽く引っ掻いた。

 どうも、今現在の自分の髪は、そんなに長く無いようだ。

 もとの自分の髪の毛は、ボサボサとしており、デブではないにしても、無意味な脂肪のついた肉体をしていた。

 ふしだらな中年男性そのものであったはずである。

 それが気づけば、器ごと移動したかのように、肉体が変わっていたのだ。

 こういう状況に対し、彼には頭の中に浮かぶ概念というものがあった。

(死んで、異世界転生したのか?)

 転生という極めて理不尽で、意味不明な状況も、彼のオタク知識によれば、容易に理解できることである。

 何せ彼は無職の引きこもりニートで、趣味と言えば、漫画やアニメやゲームしかなかったからだ。

 とは言え、彼は自分が死んだ直前の記憶が無い。

 こんな状態を放置してる神様は、かなりいい加減なやつに思えた。

 いい加減移動するべきだと考えて、左右を見渡してみる。

 一点、遠くの方で、黒い四角が見えた。ドット絵に近いだろうか。

 考えるより先に、彼は立ち上がった。

 立ち上がったときに理解した。

(軽いなこの身体)

 生前の彼は、運動もせず、動きもせず、パソコンのモニターばかりを前にしていた。

 トイレや食事などで、短距離しか動かないまま、新陳代謝も落ちたおっさんだったのだ。

 最近は、座っている状態から立ち上がることすら、億劫に感じていたものである。

 それが今は、無駄なぜい肉もなく、若い十代の、成長期そのものに戻されれている。バカみたいに、小躍りしてはしゃぎたいところだが、彼はどこかで見ているかもしれない誰かの目を気にして、落ち着いたフリをしていた。

 一応、彼は刀は持っていくことにした。刀を扱うほどの心得は無いものの、護身用である。 

 握りの鞘の部分に、細かい石のようなものが、取り付いている。

 全体を見れば刀ではあるが、日本刀そのものでもなさそうだ。とは言え彼は刀に詳しく無いので、それ以上のことは理解できなかった。

 黒い四角として見えていた場所までやって来たのだが、随分見慣れたものが設置されていた。

 見慣れた液晶画面に、パイプが繋がっており、白い床に繋がっている。

(パソコンなのか?)

 もう少し近づいて調べると、キーボードがあり、打ち込んで入力できるようになっていた。

 彼は試しにキーボードに触れてみると、液晶画面から、ブーンっと何かが起動した電子音。

 画面に光が点灯し表示させようとした。

 どこかで見慣れた青緑っぽい画面が全面に出た。

 その中心に、入力フォームが現れる。

『名前入力』

 とある。

 考えたが、適当に入力することにした。


 永遠 寝太郎(とわ ねたろう)


 物凄く適当だが、多分自分は死んで永眠したし、寝るのが趣味みたいなものだからこれでいいだろう、と考えた。

 彼の名前は、”寝太郎”として確定する。

 ログインになったのか、画面が切り替わり、起動音が流れた。

 かといって緑色の画面には、特に何かするための、アプリケーションは入っている様子もない。

 マウスもないし、動かすためのポインタもない。

 そこに突如、画面の右下の端に、何かが出てきて、ぐるぐる回転し、ぽんっという軽妙な音を出して、イルカが姿を現した。

(こ、こいつ! 懐かしいな)

 パソコンの、W○○dowsに付属するアプリを起動すると、勝手に出現するオペレーターが、このイルカのキャラクターである。

「何か質問はありますか?」

 と吹出口で定型文を打ち込んでくる。


――お前を消す方法


 と入力したい衝動に駆られるが、そうしてる手間が惜しい。

『ここはどこだ?』

 質問の項目に書いて、確定でデータを送る。

 するとイルカは反応した。

『ここは保管庫です』

(保管庫?)

 空間には、この筐体以外には、何も見当たらない。

 たまたま、空っぽだけなのかもしれないなと、寝太郎は思った。

 寝太郎は続けていくことにした。

『俺はどうしてここに呼び出された?』

『質問の意味がわかりません』

「……ちっ」

 寝太郎は舌打ちしつつも、パチパチと再度打ち込む。

『お前が呼び出したのか?』

『質問の意味がわかりません』

 眉間にシワを寄せるほど苛立ったが、再度入力を試みた。

『お前は神様か何かか?』

『質問の意味がわかりません』

 イラッと来てしまい、寝太郎はキーボードに打つより早く声に出した。

「じゃぁ何ならわかるんだよ!」

『質問の意味がわかりません。他のことを質問してください』

 イルカは、くけけけ、と、特有の鳴き声を上げる。

 寝太郎は、顔を引きつって、思わず握った右拳を振り上げたが、我慢する。

(落ち着け……手玉にされてたまるかよ) 

 寝太郎は考える。おそらくこいつはプログラムされてる以上のことは言えない。

 不都合な質問に関しては、ゲームの住人みたく、定型文を繰り返されるだけだろう。    

(召喚した理由を言わないのは、ホスト側に、それなりの理由があるってことだ)

 これは一種のゲームである。

 ゲームであるがゆえにルールがある。

 つまり、自分がプレイヤーとして役割を果たせばいいはずだ。

 考えてから寝太郎は打ち込んだ。

『獲得できるスキルについて教えてくれ』

 イルカは一瞬沈黙するかに見えたが。

『あなたには送られたギフトがあります』

(よし、いいぞ)

 ホスト側の要求と、寝太郎のロールプレイが噛み合っているがゆえに、質問に答えた。

 ここを皮切りに、全体を把握できれば、ゲームを有利にすすめることができる、と彼は確信した。

『ギフトとは何だ?』

『それは』

 答えを見るよりも前に、寝太郎は、遠くから聞こえる、振動と、音に気がついた。

 とととん、とととん、という音規則正しい音は、四足の生き物に特有のものである。

 姿も見えなかったが急激に汗が出た。

 大きさを思わせたからだ。

 首位を見回し、物体をすぐさま発見する。

 確かに、遠くより、四足の虎? のような物体がやって来ている。

(に、逃げ)

 寝太郎は深く絶望した。

 どこに?

 このただ広い空間。逃げも隠れもできない。

 何より向かってくる相手のスピードと、推定される大きさも異様。

 広いだけで、逃げ場など一つ無い、袋工事にあるのだ。 

 足元に置いてあった刀に目を向ける。

 鞘から抜き出し、刀を見つめると、白光りする刀身が確かにあった。

(俺が勝てるわけねぇだろ?)

 クソニートが刀を振り回して、獣と大立ち回りをして活躍するなんて、ありえない。

 ネットで、熊に柔術で立ち向かう方法、なんて画像があったが、あんなことは妄想だ。

 無力感に支配される。

 刀を鞘に収め、身構えることすらしなかった。

(いくらなんでも無理ゲーだ)

 生きることを放棄したわけではない。思考も肉体も状況に追いついておらず、まったく動けなかったのだ。

 ただ、獣が近づくのを待つことになり、ついには目の前までやって来た。

 虎とは分類として違うとして、灰色か銀色に近い毛並みが、羽のように浮いている。

 稲妻のように走る黒い模様が、とても神秘的だ。

 ただし、寝太郎の背丈の2倍以上はありそうなほど、でかいのだ。

 白銀の虎は、寝太郎に近づいたが、足を止めていたわけでもなかった。

 口を広げたまでは見えたが、寝太郎は思わず体をより硬直させ、目を閉ざしてしまった。

(うっ!?) 

 牙が肉体に入った、と彼はイメージしていたが、そうはなっていなかった。

 代わりに、バキンッグシャッとした大きな音が鳴り、寝太郎は再び目を開いた。

 白銀の虎は、パソコンを、バキバキに破壊し、食べていた。

 何かスパークしたように電気が走るがお構い無しだ。

 食べ物でないと理解したのか、その場に、破壊されたパソコンの残骸を吐き捨てる。

(詰んだ)

 この異世界に来て、最大のアドバンテージである、ナビゲーションが潰されたのだから、寝太郎がそう思うのも無理はなかった。

 白銀の虎はパソコンに興味を失うと、寝太郎と向き合うことになる。

 あまりに現実離れした光景に、もはや笑いどころにすら感じられた。

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