すてきなステッキ(ノベルバー2021)

伴美砂都

すてきなステッキ

 磐田さんのことが苦手だ。いつも窓口に長々と居座って、あれやこれやと文句を言う。髪はもじゃもじゃで、ギョロ目で眼光が鋭い。小柄なおじいさんだけど雰囲気も口調もこわいからしどろもどろになってしまって、そうするとよけい話が長くなる。


「すみちゃん、びびりすぎ」


 ベテランの井本さんは厳しい。厳しいぶん仕事も速い。わたしが磐田さんの相手をしている間にお客さんを五人ぐらいさばいている。


「ああいう人はこっちがどう言ったってグダグダ言うんだから、はいはいって流してさっさと切り上げればいいの」


 さっさと切り上げ方がわからない。磐田さんが座ると、くさいとはちょっと違うけど独特の香りがする。隣の窓口に座ったお客さんが、少し嫌な顔をすることもある。そのたび、ああ、早く帰らせろって思われてるんだろうなあ、あの窓口の人無能だって思われてるんだろうなあ、という暗い気持ちになる。


「すみちゃん若いんだから、こんなとこでこんなバイトなんかずっとしてたらダメになるよ」


 井本さんは保険会社で営業をしていたけど出産を機に辞めてここに来た。こんなとこのこんなバイトにしか受からなかったのだと言えずにわたしはあいまいに笑うだけだ。

 駅前だけどテナントがすっかすかの謎の建物の三階にある行政サービス窓口。住民票は当日出せるけど、戸籍謄本は本庁から送ってもらわないといけないから「数日かかります」。なんじゃそりゃ。うん、なんじゃそりゃ、って顔をされるときもある(言われるときもある)。すみませんとつい言ってしまうけど、わたしのせいじゃない。井本さんはどうやっているんだろうと、隣を覗き見る余裕もわたしにはない。


 磐田さんはいつも杖をついてくる。鈴がついているようでシャンシャンというから、角を曲がってきたぐらいでもう気配を察知することができる。そのとたんにわたしの心臓は早鐘のようになってしまって、逃げだしたくても全方向から丸見えのつくりだ。見ればわかるのだけれど脚がわるいのだといって、待つための椅子が空いてなかったりなんかするとすごく怒る。空いていても、待つ場所が遠いといってそれはそれで怒る。

 「クレーマー対応研修」は正職員だけなのでわたしや井本さんは対象ではない。というか、ここの窓口の人、全員対象じゃない。資料だけ本庁から回ってきた。毅然とした対応をしましょう、しか書いてない。でも、それは、相手が圧倒的にまちがっているときしか使えないやり方なんじゃないかと思う。磐田さんの言う文句は、ぜんぶまちがっているというわけでもない、と思うときもある。でも、わたしにはどうすることもできない。せいぜい日誌の「お客様からのご意見・苦情等」の欄に書くぐらいだ。書くのも下手で、これはどういう状況だったのかな、と、チーフに訊かれては口ごもる。



 外は灰色でもう冬みたいだ。この窓口にはチーフと井本さんとわたししかいなくて、だれかが休みの日はひとりずつ留守番をして交代で休憩をとる。チーフは本当は今日、休みの予定ではなかったのだけれど、娘さんが保育園でもらってきた風邪をうつされたのだという。予定していなかったからよけいに、井本さんが先にお昼に行ったその一時間が恐怖で、時計ばかり見ていた。でも、そうなのだ。こうならなければいいのにと思うような出来事こそ、わたしには起きてしまう。

 そういうことあんまり言うのよくないよ、と言ったのは、大学時代の友人で唯一いまも連絡をとっているゆっちゃんで、わたしのためを思って言ってくれたのだろうに、なんだかいやな気持ちになって一瞬黙ってしまった。そういうことを繰り返していくたびにわたしはいつしか独りぼっちになって、そうして、磐田さんみたいに、窓口でずっと怒る老人になってしまうのかもしれない、と思うときが最近ある。ひとは独りぼっちなほど怒るのだと思う。そう思っていなければ、やってられないだけかもしれないけど。


 次に待っている人がいたら「お待ちの方がいらっしゃるのでお引き取りください」と絶対に言おう、と、シャンシャンが聞こえ始めてからずっと脳内でシミュレーションしていた。でも、というかやはりというかフロアは閑散としていて、次の人どころかわたしと磐田さんしかいないぐらいの勢いだ。磐田さんは窓口の椅子に座り、わたしはしょんぼりと下を向いた。

 しばらくいつものように、市役所のサービスが悪いとか、道路が壊れているのになかなか直らないとか、自宅の隣人がうるさいとか、そんな話が続いた。磐田さんはいつもだあだあと水が流れるようにしゃべる。人生でこんなにしゃべったことが、わたしにはあるだろうか。しかしわたしがあんまりにもしょんぼりしていたせいか、ついに磐田さんの声が途切れた。ちゃんと話を聞いていない、と怒られるのかもしれない。やっと顔を上げると、磐田さんはぎょろりとした目でこちらを見ていた。


「今日はひとりかね」

「ひ……ひとりです」

「……」

「……、」


 沈黙が続いた。こいつに話しても無駄だ、と思われたのだろうか。それならそれでうれしいことのはずなのに、役立たずだと思われたみたいで悲しくなって俯いた。そうしたら磐田さんの手が見えた。ごつごつした手だ。

 磐田さんの手は杖にそえられている。よく見ると杖は、クリスマスツリーに飾るステッキみたいに、持ち手がまるっとなっているタイプだった。何重にも布が巻かれているのは知っていたが、その布は、意外とぼろくもない。そして、持ち手のまるっから直線に入るあたりに、カラフルなテープが巻かれていることに気が付いた。さらに、ゴムのようなもので、りんごの形のマスコットがくくりつけられている。何のキャラクターなのかはわからないが、ふくっとした頬に赤みがさして、にっこり笑うりんごだ。シャンシャンと鳴っていた鈴は緑色で、おそらく、りんごの葉をかたどったのだろうと思しき位置についている。

 まじまじと、見てしまった。これを磐田さんが自力で入手してここにくっつけたとは、どうしても思えなかった。でも、同じぐらい、杖の持ち手にきれいな布と(おそらく)目印のテープをきちんと巻き、かわいいマスコットをくっつけてくれるような家族あるいはそれに類する存在のある人が、こんなすっかすかの行政コーナーで毎日くだを巻くようにも、思えなかった。


「すっ……てきな、ステッキですね」


 言ってしまってから猛烈に後悔した。磐田さんにもそれ以外のクレーマーにも、言われるがまま言われ続けても、こちらからよぶんに話しかけることだけはしないように気を付けていた。最後の矜持だった。もういやだ、と思った。そういえば建物のエントランスにはもうクリスマスツリーが飾られている。無駄に大きなツリーに、トナカイやサンタクロースや天使、そしてステッキのオーナメント。電飾。泣きそうになると関係ないことを考えるのは昔からだ。そうやって逃げ続けて生きてきたんだ。

 おそるおそる磐田さんのほうを見ると磐田さんはびっくりしたような顔でこちらを見ていた。目が合うと、少し口を開いてすっと息を吸った。怒鳴られると思ったが、磐田さんはなにも言わなかった。ふん、といま吸った息を吐いた。呆れたようにも、少し笑ったようにも見えた。そのまま立ち上がり、シャン、シャン、と、すてきなステッキ、を鳴らしながら去って行った。

 転職しよう、と思った。でも、もう少しあとだ。もうしばらく、ここで働いてみよう。時計を見るともうすぐ一時で、もうすぐ、井本さんも戻ってくる。相変わらず何の匂いかわからない、磐田さんの残り香が、少しあった。


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すてきなステッキ(ノベルバー2021) 伴美砂都 @misatovan

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