第27話 識神マロン

白檀紫乃びゃくだんしのと名乗った少女の声は、消え入りそうなほどにか細い。やはり顔は伏せて、九十九には紫乃の頭頂部しか見えなかった。

「陰陽師って……えっ?マジで?」

「……マジです。はい」

 陰陽師――勿論その存在は知っている。映画や漫画など、フィクションの題材として良く用いられているから、誰でも聞いたことぐらいはあるだろう。かつての日本では官職の一つであったが、現代で陰陽師を名乗る者がいるとは、と九十九は面食らった。それに、紫乃は陰陽師見習いと言った。それを生業としている者に師事しているということだ。

「見習いって言ったよな?師匠――みたいな人がいるってことか?」

「えぇ、まぁ……あっ、歩きながらにしましょうか」

「そ、そうだな」

 紫乃が言いながら振り返って歩き出した。九十九は黒猫を抱えたまま、小さな背中を追って先に進んだ。


「階段を降ります。足元、注意して下さい」

「ああ、分かった」

 先ほどの場所から進んで二年A組の教室を通り過ぎ、二人は階段に差し掛かっていた。九十九の師匠がいるのか、という問いには紫乃は答えなかった。

 階段は廊下に比べると、より一層暗かった。階段の踊り場にも窓は備え付けられているが、一つしかない上、異形がびっしりと張り付いている。元々、日当たりが良くないこともあって、真夜中のような暗さだった。

「あっ」

 紫乃が声を上げて立ち止まった。

「ど、どうした?」

「何で気付かなかったんだろう……」

「え……あっ」

 紫乃がポケットからスマートフォンを取り出した。九十九もそこでようやく気付く。スマートフォンのライト機能だ。紫乃が、スマートフォンを操作してライトを点ける。周囲が照らされて、下に続く階段の先をはっきりと見ることができた。

「ははっ、そうだよな。スマホがあるじゃんな」

「はい……すっかり忘れてました。すみません」

「謝んなよ。俺なんかパ二くり過ぎて、紫乃と会わなかったらずっと暗闇彷徨ってたぜ?」

「……ふふっ、そうですか」

「……おう」

 紫乃が吹き出した、ように九十九には見えた。ただ、息が漏れただけかもしれなかったが、声は柔らかくなっていたように聞こえた。九十九は、紫乃が笑ったと思うことにした。そう考えると、九十九の心も少し晴れるようだった。

「し、紫乃……」

 紫乃は、立ち止まったまま動かず、下を向いて自分の名前を呟いた。

「ん?……あっ」

 九十九は、先の自分の発言を思い返していた。ごく自然に、下の名前で呼んでしまっていた。馴れ馴れしかったかもしれない。

「わ、悪い……名字、何だっけ?」

「……白檀です」

「白檀な、白檀……ごめん、言いなれなくてさ」

 九十九がそう言うと、紫乃は小さく首を振った。

「いえ、いいんです。紫乃で」

 紫乃はさらに下を向いて、真下を見るように俯いている。

「年が近い人に名前で呼んでもらうのって……あまり無くて……だから、紫乃って呼んで下さい」

「……分かった。俺のことは好きに呼んでくれていいからな。さぁ、紫乃!先に行こうぜっ」

 九十九は、努めて明るく言った。紫乃に先導を促す。一言はい、と言って階段を降りていく。

「ところでさぁ、ちょっと聞いていいか?」

「何でしょう」

「この猫って、紫乃の……か?」

「えっ?あっ、マロン!」

 紫乃が振り向いて、九十九の方を見た。九十九の懐には、黒猫が抱えられている。先の廊下で靄を追い払った時に飛び込んできてから、ずっと抱えられていた。黒猫は、腕の中で饅頭のように丸まって身体を小さく上下させている。このように、両手が塞がれてしまっていたため、九十九はスマートフォンを取り出すことができないでいた。

「何か寝ちまってるみたいだけど……」

「むぅ……本当ですね。珍しい……」

 紫乃は黒猫にスマートフォンを向けて、まじまじと見つめている。

「ど、どうする?」

「……寝かせておいてあげて下さい。落ち着くみたいですから」

 紫乃は優し気にそう言うと、振り返って階段を降りて行く。九十九もその後に続いた。

「この猫って、あれか?式神ってやつ」

「……はい。私の識神・・です」

「さっきのバカでかいやつも?」

「バカでかい……ふふっ。そうですよ。大きな猫です」

「ぶっ飛んでんな……」

「……九十九先輩も負けてないですよ?」

 紫乃がからかうように言った。最初に会った時と比べて、大分固さが無くなってきたようだ。

「どういう意味だよ……この黒猫。俺見覚えがあるんだよな」

「……」

 紫乃は黙ったまま、正面を照らしながら歩いていく。

「紫乃。昨日、あの場所にいたのか?」

 九十九の腕の中で眠る黒猫。首輪には、小さな鈴が付いている。昨夜の黒猫にも同じように首輪が嵌められ、鈴を鳴らしていた。思い返せば、累の元にも黒猫が現れたという話をしていた。学校まで案内してくれたと。その猫は、まるで幽霊かのように現れては消え、車や自転車に轢かれても無傷で、周囲の人間には見えていないようだった、と累は云っていた。黒い野良猫などそこら中にいるのかもしれないが、こう何度も九十九の周りで黒猫が頻繁に現れることはそうないはずだ。

 目の前の陰陽師見習いという少女と、彼女の呼び掛けに応えて出現した式神。紫乃と会ってからの出来事で、符号が合った気がした。

「……はい。いました」

 紫乃は、立ち止まって前を向いたまま言った。

「けど、遅かったです。私が吾妻橋に着いた頃には、あの男の人が九十九先輩に切り掛かる所で……咄嗟にマロンを呼んで、助けてって……」

 あの男、水野のことだ。

「そうだったのか」

「……ごめんなさい。私、怖くて……あの、仮面を付けた人が」

「いやいや、謝んないでくれよ。マジで助かったんだから。こいつが来てくれなかったら死んでたぜ」

 九十九は、黒猫に目を遣った。自分のことを話されているとも知らずに、呑気に寝息を立てている。

「……マロンは、役に立ちましたか?」

「そりゃあもう。感謝してもしきれないぜっ。紫乃もありがとな」

「……いえ、良かったです」

「……?」

 九十九には、心なしか紫乃の声が震えているように聞こえた。

「それにしても……紫乃はなんであの場所に?」

「……先生から言われたので」

「先生?」

「はい……私が話せることは、あまり多くありません。ここから出たら……会いに行きましょうか」

「……あぁ。そうだな」

 紫乃は、先生について多くは語らなかった。九十九も、ここで長話も無いか、と思い至って口を噤んだ。

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