第28話 囚われの空間

二人は、黙って折り返し階段を降っていた。しかし、どこかおかしい。九十九は、すぐにその違和感に気付いた。

 一向に一階に辿り着かない。階段を降りてから、何度踊り場を通り過ぎただろう。校舎の三階から一階へ降りるだけのことだ。そう時間が掛かる筈がない。だが、もう何度も階段を折り返し降っている気がする。周囲の暗さと、階段踊り場の上部の窓から微かに聞こえる異形が蠢く異音によって、九十九の心には影が差し込んでいた。

 この終わりがないかのような階段を降りていると、校舎の構造自体が変わってしまったかに思えてくる。一体、ここは何階なのか、自分はどこに向かおうとしているのか、そんな疑問が頭の中に渦巻いた。

「紫乃……これは、どうなってんだ」

「……明らかに異常ですね……降りても降りても終わりが見えない。でもこれは……」

 紫乃と九十九は、踊り場で立ち止まって顔を見合わせた。

 紫乃は上階、下階とスマートフォンのライトで照らして窺っている。何者かがいるような気配は感じられない。

「結構、時間経ってるよな。今、何時だ?」

「……十三時、四十六分……」

「えっ?」

 九十九は眉間に皺を寄せて、間抜けな声で聞き返した。紫乃は、踊り場上部に取り付けられた窓に目を遣った。

「……時間が止まってます。恐らく、あれが現れてから」

 窓には、おびただしい数の異形が張り付いているのが分かった。

「おいおい……んなことあんのかよ。スマホ壊れてんじゃないのか?」

「……いえ、腕時計も止まってるので」

 紫乃は、左手首をライトで照らしながら九十九に見せた。紫乃の言った通り、腕時計の針は十三時四十六分を指し示している。

「マジかよ、止まってる……そもそも、あれは何なんだ?近くで見たけど……何だか身体の中のもん、ぶちまけたみたいな。全然分かんねぇ」

 九十九は、踊り場の窓を上目で睨みつけるように見ながら紫乃に聞いた。

「……近くで見たんですか?」

「うん。教室前の窓から」

「……あまり、見ない方がいいです。当てられますから」

「当てられるって?」

「正気を保てなくなったり……」

 外で見た累の顔。表情は蒼白で冷や汗を垂らし、唇に色は無かった。

「気がおかしくなっちまうってことか。確かに、累もどこかおかしかったな……」

「……累さんって、刀を持った女性の方ですよね?」

「あぁって、昨日見てたんだったな」

「……はい。累さんは、外にいるんですか?」

「そうだ。あと……槍を持った侍がいた。多分、あの仮面野郎の仲間だ」

「……なんだが大変なことになっちゃいましたね」

 紫乃は、また首を下げて地面を見つめている。ライトが二人の足元を照らした。

「そこら辺のことも、知ってるんだよな?」

「……おおよそは」

「そっか。まあ、それは後で聞くとして。とりあえず、そこ。見てみないか?」

 九十九は、身体を捻って顔を上階に向けて言った。

 恐らく体感では十階分近く下へと降りてきたはずだ。これまで脇目も振らず、一階を目指して進んできたが、辿り着かないなら仕方ない。どこに出るかは分からないが、途中の階でも調べて出口を探す他ないだろう。

「……そうするしかないですね」

 紫乃はそう言うと、足元を照らしながら階段を昇っていく。九十九もそれに続いた。


「はぁ?」

 九十九は、溜息交じりに困惑の色を含ませた声を上げた。

「……ここ、三階ですね」

 紫乃は、ライトで教室扉上部の教室札を照らした。

 二年A組。階段を昇って、すぐの教室のクラス札には、そう表記してある。その先には二年B組、九十九のクラスがあり、その中には紫乃の術によって閉じ込められた靄がいるはずだ。

「……俺達、下にずっと降りてたよな?」

 二人は暫し言葉を失って立ち尽くしていたが、九十九が沈黙に耐えかねて言った。しかし、その声は僅かに上ずっている。

「……はい。少なくとも十階近くは降りた筈です」

「くっそ、どうなってんだよ。大体、何でそんなに階段が続いてるんだ。ありえねぇだろっ」

 九十九は、声を張り上げて言った。この暗闇に覆われた空間の閉塞感と、出口の見えない恐怖心が苛立ちを呼んだ。

 その声に驚いたのか、九十九の腕に抱かれた黒猫がにゃ、と一鳴きして首を上げた。

「……つ、九十九先輩、落ち着いて下さい」

 紫乃が、おずおずといった様子でなだめるように言った。

「くっ……はぁ……悪い」

「……いえ、この状況では仕方ないです」

「ははっ、情けねぇな……紫乃は落ち着いてるってのに」

「……そんなことありません。強いて言えば、私は今何が起きているのか、なんとなくですが分かるから……自信ないですけど」

「えっ、どういうことだ?」

 九十九は、紫乃に向き直って近寄った。紫乃はスマートフォンを両手で持って、もじもじとしながら顔を俯かせた。


「……多分、学校全体がまじないによって縛られています」

「呪いによって……縛られている?」

 九十九は、オウムのように紫乃の言葉を引用して聞き返した。

「……はい。幻術って知ってますか?」

「あぁ、言葉くらいは――って全部幻なのこれ!?」

「……そうだと思います。校舎全体に幻術を掛けて、中の人間はそれに魅せられているんですよ」

 紫乃はそう言うと、階段の方へ向かった。

「おい、どこ行くんだっ?」

「……付いてきて下さい」

 九十九は言われるがまま、紫乃の後ろに続いた。

 階段を降り、すぐ下の階に着くと紫乃はライトで教室札を照らす。進路相談室と表記されている。その先に放送室、校長室、職員室と続く。

「二階だな……」

「……もう一つ下、降りましょう」

 二人は、さらに下の階へと降りて同じように教室札を確認する。

「何でだっ、何でまた二階なんだよっ」

 階段を降りてすぐの教室を確認すると、放送室、校長室、職員室の並び。二階だった。二人は、二階から二階へと降りてきていた。

「……下はずっと同じでしょうね」

 紫乃の言葉を聞いた九十九は、駆け足で上階へと昇って教室札を見た。二年A組。三階だ。

「……恐らく、どこまで昇っても三階が続いていますよ」

 歩いて九十九の後を追ってきた紫乃が言った。

「はぁ……はぁ……二階と三階しかねぇ」

「……上下左右、どこまで進もうがそこにある場所がどこまでも終わり無く続いていく。呪いに閉じ込められた人間は、そうやってまやかしにはまる――と先生が言ってました。ここの場合は、屋上もしくは一階。外に繋がる階には行けないようですね」

「でも、実際に俺達は歩いて降りたり上がったりしてるぞ。どういう理屈だ?」

「……そもそも、ここは現世うつしよ――さっきまでいた世界とは違うんですよ」

「……?」

 九十九は、片方の眉尻を上げて首を傾げた。紫乃の言っている意味が良く解らない。

「……えっと、現世というのは普段私たちが認識している世界のことです。で、今この学校は現世から切り離されている状態です。幽世かくりよに限りなく近い領域を魅せられているんですよ」

「……」

 九十九は、紫乃の言葉を嚙み砕くのに必死だった。

「……幻術は、現世と幽世の境界を曖昧にして、幽世の表層に被術者を閉じ込めるんです。その幽世の表層を『幻界げんかい』と呼びます」

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