第14話 メッセージ

「ふおおぉっー」

 ゴォーというドライヤーの動作音。それに負けない累の感嘆の唸り声が洗面所に反響している。艶やかな黒髪が小躍りするように風に舞う。

「……」

 九十九は、しかめっ面で累の後ろに立ち、風を当てながら髪を掻く。

 風呂に入ったのに、さっぱりというよりもぐったりと疲れていた。その疲れは、言わば子供と戯れる際のそれに近い。

 現代の産物を初めて目にする累は、童心に帰ったように驚き、関心し、はしゃいでいた(洗面所の磨き上げられた硝子の鏡には特に驚いていた)。その上、悪戯っ子のように九十九をからかったりする。この悪戯による心労が大半を占めていて、無駄にドギマギさせられた心臓は音を上げそうになっていた。

 男の性を煽ってにやりと笑ったりする女。妹のような一面を持ち合わせた意地の悪い姉。ぞっとする話だ。しかし、どこか幼さを感じさせる笑顔を曇らせる気は起きなかった。


「うっし、乾いたな」

 累の黒髪は長く、量も多いので五分近く風を当て続けてようやく水気が無くなる。ドライヤーを止めて、頭にポンポンと軽く手をバウンドさせて知らせてやる。

「どうよ?」

「うむ……その小さな絡繰り一つで突風を生み出すとは……恐ろしいな……」

「いや、こっちじゃなくて髪だよっ」

 別にドライヤーを得意げにどうだと聞いたのではない。

 累の髪は、シャンプーとコンディショナーの効果で潤いと艶を持って、照明の光が反射して輪ができている。元々綺麗な黒髪に磨きがかかっていた。

「あぁ……確かに各段に良くなったな。有難う」

「お、おう」

 物に関して、ほどのはしゃぎようはなかった。あまり関心がないようだ。女性の自分よりも、剣士としての自分の方が大きいということなのだろうか。

 まだ、そこまで深く踏み込める段階になく、ぼんやりと考える。気になりつつも口には出さず、洗面所を後にした。


 リビングに戻ると、累は先と同じように椅子の上にちょこんと正座して座った。

「なんか飲むか?」

「ああ、頂こう」

 冷蔵庫を開いて麦茶をコップに注いで渡した。累はコップをまじまじと眺めている。

「なんとすんだ湯呑だ……ズズッ」

 右手で持って左手でコップの底を支えて飲む姿に、年寄り染みたものを感じて微笑する。

 ふと目の端がちらついた。

 キッチンの方へ向くと、カウンターに置かれたスマートフォンが点滅している。着信や通知を知らせるものだ。

 指紋認証でスマートフォンを立ち上げると、メッセンジャーアプリから数件のメッセージが届いている。


 秋川楓あきかわかえでからのメッセージ。一件。

「阿原くーん。また遅刻?雪先生怖いよー」


 飯束蒼いいづかあおいからのメッセージ。一件。

「ちょっと!こっちが怒られた。早く来い」


 菊池一輝きくちかずきからのメッセージ。四件。

「また遅刻か?さっさと来いや」

「なぁ……起きてる……よな?」

「早く来い!手遅れになる前に!!!」

「……雪ちゃんこわい……」


「……はぁ……」

 友人三人からのメッセージはどれも登校を急くものだった。メッセージの後には、ゴテゴテとスタンプが送られている。良く分からないキャラクターばかりだが、どれも怒り顔だったり拳を突き出したイラストだったりと送った者の心情が窺える。

 そして「雪ちゃん」「怒られた」「怖い」といったワードに辟易して肩を落とした。要するに担任教師が九十九に怒っていて友人達はとばっちりを受けた……ということだ。

「ん?九十九。どうしたんだ?」

「あ?んー、あー……くっそ」

 呻きながら時刻を確認すると、十時を少し回った所だ。

 急げば二限目が終わる前に学校に着く。そしてその二限は、担任教師の岡村が受け持つ日本史の授業だ。今急ごうが更に遅くなろうが、どちらにしろ職員室に呼ばれることは免れない。ならば担任の授業中に登校し、誠意を見せれば多少の温情は受けられるはずだ。そんな希望的な算段が頭の中を駆け巡った。


「累」

 九十九は、椅子に正座する累の横に立つ。

「おう。なんだ?」

「俺はこれから……学校に行く」 

「がっこう……とはなんだ?」

 累は首を傾げた。まさか知らないとは思わず、九十九は閉口した。江戸時代に教育機関はなかったのだろうか。

「何って……あのー、教育を受ける場所……あっ!寺子屋か?」

「てらこやぁ?」

 累は更に首を傾げる。そろそろ九十度曲がってしまいそうだ。

「これも知らないか……とにかく勉強する所だ」

「ふむ……学問所や私塾のようなものか?確か江戸の儒学者がそのようなものをやっていた気がするな」

「あー!それそれ、そんなやつだよ」

 寺子屋が広まったのは江戸時代中期であり、隆盛は後期のことである。累の時代にはまだ浸透していなかった。江戸の林羅山はやしらざんという儒学者が将軍家光に土地を与えられて私塾を開いているが、江戸の庶民は自宅での学習が一般的だった。


「そんな所に通うような者は少なかったが……」

「今じゃ、毎日行かないといけないんだ。んじゃ俺は行ってくるから……累は家にいてくれ」

「いや、私も行くぞ」

 累はおもむろに椅子から立ち上がった。

「だめだ」

「何故だ!?」

「当たり前だろっ、そんなもん持って行けるわけないだろうが」

九十九は、顎で奥の椅子に立て掛けてある大小を指し示した。累はむっとして二刀を手に取る。

「そんなもんとはなんだ、そんなもんとはっ!」

「前にも言ったけど、刃物なんて持ってたら一発で捕まっちまう。それにそんな恰好してたら不審者だな」

「そんな恰好……言わせておけばっ、何処がおかしいというんだ。それにこの刀は私の魂と同義だ。置いて出歩くなど以ての外だ!」

「じゃあ、捕まって取り上げられてもいいのかよ?牢屋に入れられちまうぞ」

「むう……」

 累は不満気な顔で押し黙った。

 九十九の云うことは理解できるが、累にとって佩刀はいとうしないということの抵抗がどうしても払拭出来ない。刀を握る力が、知らず知らずのうちに強まった。


「……六方組の連中が何処にいるかもわからないんだぞ」

 昨夜の水野や忠吉、弥七の姿が脳裏に過る。

 二人が確認したのは三人だけだが、累の話ではその他にも現代に来ている者がいるという。身の震える話だが、九十九はそこまで深刻には考えていなかった。

「あの仮面野郎しか俺の顔は知らないんだ。この場所もバレてない」

「楽観視しているぞ、九十九」

「あんなのが昼間歩いてたらすぐ気付くぜ?」

「しかしだな……」

「大丈夫だって!累を連れてる方が目立つし……そんな遅くならないからさ。とりあえず大人しくしててくれよ」

「……致し方ない。だが、いつまでもこもりっきりというわけにはいかんぞ?」

「分かってる……まぁ、テレビでも見て……な?」

 九十九はローテーブルに近づき、置いてあったリモコンを手に取ってテレビの電源を入れた。瞬時にして朝の情報番組が映し出される。

「ええぇっ!?」

 累は、テレビにかぶりついた。

「箱に人が……入ってる……」

「はははっ、やっぱりそういう反応か」

 累の予想通りの反応に吹き出した。

「別に人が入ってる訳じゃないよ。映像だ」

「えいぞう……」

「んー、説明が難しいな……とにかく人は入ってないから。ぬあっ、やべえ!じゃあ、行ってくるからな!腹減ったら冷蔵庫……あの箱に入ってるもん適当に食っててくれ。じゃな!」

 テレビに表示された時刻は十時二十分を過ぎていた。窓を閉めて戸締りを確認しながら慌てて累に声を掛けたが、テレビの両脇を手でがっしり持って見入っている。

 一抹の不安はあったが、九十九はそのまま家を後にした。

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