第13話 湯浴み

「ふぅ……いい湯だ」

「……」

 狭い浴槽の中二人。向かい合って湯に浸かっていた。

 九十九は、心許ない小さめのタオルで下半身を隠しているが、累の肢体を隠すものは何もない。実に男前なことだが、本来は逆だろうと九十九は思った。昔の女性でも恥じらいはあったろうに。

「ふう……はあ……」

「……くっ」

 累が息を吐く度に、豊かな双丘が上下する。

 九十九の印象では、長身で着物に起伏はなくスレンダーな体型だと思っていた。しかし、ただ単に着瘦せしている訳でもない。累は着物の下、胸の辺りにさらしを巻いていたのだ。相当窮屈に押し込んだようで、きつく巻いているようだ。

 その晒を徐々に外していくと、押さえられていた乳房が、零れんばかりに膨らんで柔らかく揺れた。

 九十九は、なるべく見ないように……などと頭では考えていたが、そんなものは綺麗事でしかない。視線はばっちり胸を捉えていた。男などそんなものだ。


「おい……せめて隠してくれ」

 入浴前に渡したタオルは、九十九の意に反して累の頭に乗せられている。

「まったく……何を赤くなってるんだ。女子じゃあるまいに」

「晒なんて聞いてねぇぞっ……」

「阿呆。言う訳ないだろう」

 累は、深く溜息を吐いて呆れ顔で言った。

 溜息を吐きたいのはこっちの方だと九十九は内心毒づく。いくら累がいいと言ったとしても、九十九にそんな気がなくても、どうしても見てしまうし健全な身体は反応してしまうのだ。主にある一部分が。

「言っておくが……現代じゃ、男と女は別れて入るもんだからな」

「そんなことは知らんなぁ……古い人間だからなぁ」

 にやりと、からかうように笑った。九十九は、遊んでやがるな、と眉根を寄せた。

「くっそー」

 そう言いながら、九十九は勢い良く立ち上がった。

「なんだ、出るのか?」

「身体洗うんだよ」

「おおっ」


「……何してんだよ」

 何故か、累も一緒になって浴槽から出てしまった。九十九は、少し顔を背けながら咎めるように言う。

「洗ってくれ。頼む」

 ばっと累は両手を広げた。

「なんでだよ!?」

「勝手がわからんと言っただろう。ここに並ぶものも何が何やら……という事で、頼む」

「という事でじゃねぇ……って」

 厳しく突っ込んでやろうと思ったが、累の表情を見て二の句が継げなくなった。あまりに屈託のない笑顔を向けてくる。にこにこして、催促するように身体を揺らしている。昨日の見惚れるほどの剣捌きをみせた剣豪は、どこに行ってしまったのだろうと思わずにはいられない。

「……はぁー……座れ」

 足元にあるプラスチック製のバスチェアに座るように促す。

「違う。そうじゃない。背中を向けるんだ……頭を揺らすなっ」

 向かい合うようにして座る累の肩を持って、クルっと回転させた。待ちきれないのか、左右に振る頭を鷲掴みにして止める。まるで子供を相手にしているみたいだと思いながら、シャワーから湯を流して髪を濡らす。

「おおっー、この管から湯が出るのだな。髪を洗うのか?」

「そうだよ」

「久しぶりだな。有り難い」

「まじかよっ、毎日洗うもんじゃねぇの?」

「洗うが月に一、二度程度な。日々の習慣にはない」

「……そのわりには」

 そのわりには綺麗な髪だと九十九は思った。

 さらさらとしなやかで艶もあり指通りも良い。てっきり髪のケアに気を使っているのかと思ったぐらいだ。

 九十九は、シャンプーを手に取って髪に馴染ませ、泡立ててゴシゴシと洗い始めた。


「うおっー!なんだこれはっ、泡?す、すごいっ!何を付けたんだ?」

「シャンプーって髪を洗う……洗剤?薬?かな」

「なるほど……これは良いな!あっ……い、痛い!目、目がぁっ!」

「……はしゃいでないで覚えてくれよ?」

 目に泡が入り、その目を擦ってまたもがいている。残念ながら、シャンプーハットは十年以上前に処分してしまっている。悲鳴を無視して洗い続けた。髪が長く、量も多いのですぐには終わらない。

「……傷はしみないか?」

「そんなことより……め……あぁ!目が潰れるぅ!」

「……」


 目の前の累の背中。確かに刀を扱うだけあって筋肉質だ。肩から腕にかけて筋肉がほどよく付き、盛り上がっているのが分かった。その胴に余分な肉は無く、削ぎ落したように引き締まっている。

 女の小さく、繊細な骨格をしなやかな筋肉で覆い隠している印象だ。そして肌に刻まれた傷。古いものから最近付いたような新しいもの、短いものから長いものまで様々な傷が残されている。昨夜の戦いの傷も真新しくその肌を裂いていた。剣客としての歴史がそこに刻まれている。

 九十九は複雑な気持ちを振り払うように手を動かした。


「これで……仕上げだ」

 九十九は、泡を洗い流すと、もう一つ容器を取って液体を手にたっぷりと乗せた。累の髪に付け、前から後ろへと毛を流すように馴染ませていく。

「次は何を付けているんだ?」

「コンディショナー。髪がサラサラになる。姉貴のやつな」

「えっ、律殿の?使ってしまっていいのか?」

「ふん、いいんだよ。気にすんな」

 いつも姉にされていることだ。勝手に使われたり食べられたり。今回は累が使うのだ。一人が使うにしてはかなり量が多かったが構うことはない。

 髪全体に馴染ませ湯で流すと、滑らかな髪が肌を伝う。光沢のある艶がより際立っている。

「よし、終わりだ」

「有難う……何というか、自分の髪じゃないみたいだな。全然引っかからない」

 髪をかき上げ、後ろ髪を前に持ってきて指通りを確かめたりしている。

「そうか?元々綺麗な髪だったけどな」

 言ってから恥ずかしくなり、口の前を手で隠す。自分でも顔が赤くなっているのが分かった。

「ふふっ、そうか。気にしたことなど無いのだがな」

 そう言って困り顔で微笑した。

 九十九は、この笑顔は何となく良くないと思った。惹きつけられてしまうものがあるからだ。凛々しさとのギャップによるものなのか、九十九自身良く分かっていない。ただ単に何故かずるいと、それだけが心中を渦巻いていた。しかし、その表情の中に自嘲的な含みがあるように感じてしまうのは見間違いだろうか。


「後は……身体を洗うんだが……これは自分で……」

「頼む」

「お前なぁ……」

 バスチェアに腰を下したその居住まいは、一国一城の主が如く堂々としたものだ。立ち上がる気はなく岩のように微動だにしない。

 九十九は、額に手を当てて肩を落とした。深い溜息が不意に漏れる。壁に掛けてあるボディタオルを手に取った。

「身体を洗うやつは……この容器に入ってる」

 九十九がボディソープが入った容器を手に取ると、累は上半身をこちらに向ける。背中と前の左右、三方に別れた黒髪が上手いこと胸の辺りを隠していた。

 しかし、細い線一本で隠しているようなもので横の肉は素肌が見えている。山の稜線が呼吸するたびに浅く上下に揺れていた。薄い唇から艶っぽい吐息を漏らし、桜色に染まった頬が煽情的で、九十九の血液を沸騰させた。今や九十九の心臓は、踊っているかのように鼓動を繰り返している。


「このタオルに……洗剤を……取って……」

「……?どうした?」

 首を傾げて顔を覗き込む累。限界だった。恐らく耳までゆでだこのように真っ赤になっているに違いない。

「だあぁ!もう、自分で洗いなさいっ」

 立ち上がるとボディタオルを累に放り投げ、浴槽へダイブするように飛び込んだ。しばらく湯の中に潜り込む。林檎のような赤面を見られたくない。水面に浮上すると、きょとんとした顔の累と目が合う。

「……」

「……くっ……くくっ……あっはははは!」

 累は、けらけらと大声で笑いだした。

「笑うな!」

「ふっ、ははっ……すまん、すまん。少しからかいたくなってな」

「お前っ……はぁ」

 どうやらわざと身体を洗えと言っていたらしい。脱力して湯の中にズルズルと沈む。

(この女はっ……)

 してやられた……などと思うものの、悪戯っぽく笑う累を見ると怒る気にもなれなかった。

 湯の中で息を吐いた。ぶくぶくと勢い良く気泡が水面を揺らす。それがささやかな抗議だった。

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