第9話 大根役者
「拙者、武蔵国浅草聖天町にて剣術道場を開いております、佐々木累と申します」
累は正座して両手の指先を床に付け、頭を下げて深々と平伏した。折り目正しく、美しい所作に感動すら覚えるが、現代の一般住宅の中ではその違和感が凄まじい。
「ちょっと……頭上げてよ!累……ちゃん?」
律が慌ててそう言うと累は頭を上げる。背筋はこれ以上ないくらいに綺麗に伸びている。律の困り顔をみてクスッと微笑した。
玄関からリビングへと場所を移していた。
累は、あの後すぐに目を覚ました。恐らく二人が余ほど
あの時、律は九十九の胸倉を掴み頬に平手を打ちながら「あんたって奴は!」とか「このド阿呆!」などと散々に喚き散らしていた。もはや九十九に抗うすべはなく、姉に揺さぶられ頬は腫れあがっていた。
何故かこの姿に強烈な既視感を覚えた。もう少し累が起きるのが遅かったら、顔面が二回りほど膨れ上がっていたかもしれない。
九十九は
「自己紹介は後よ。累ちゃん、血が……あぁもう、ごめんねっ。馬鹿な弟が……病院行かなくちゃ」
「テンパり過ぎだろ」
「ぶっ殺すわよ……あんたが連れまわしたんでしょう」
キッと、まるで般若のような顔で九十九を睨む。
「連れまわしたとかじゃねぇって……」
説明したいのだが、どう説明したらいいか……説明したところで信じてもらえないだろう事を考えると、何故だか泣きそうになる。九十九は涙目で無実を訴えた。
すると、累が間に入って律を落ち着かせるように言った。
「姉殿。こんなもの、掠り傷に過ぎませぬ故、ご心配には及びませんぞ……放っておけば治ります。所で姉殿、名を聞いても?」
家に置いてある救急セットにガーゼや包帯がある。応急処置をしようとしたのだが、たいしたことはないと累は断った。確かに傷は浅いようで、顔を拭うと流血は止まっているようだった。
「えっ?あっ、私?私は律よ」
「律殿……良い名ですな。それにしても九十九殿と律殿は、とても姉弟仲が宜しいようで、微笑ましい限りです」
「どこがだよ……」
九十九としては、つっこまざる負えない。弟の苦労を小一時間語ってやりたいくらいだ。
「累ちゃん?残念だけど仲は良くないわ。この馬鹿には手を焼いてるんだから」
睨み合う二人を交互に見て、ぷっと吹き出した。くすくすと笑う累に、律も多少安心した様子で笑顔を覗かせる。
「で……あんたと累ちゃんはどういう関係なわけ?」
吊り上げた目をぎょろっと動かして九十九に視線を送る。しかし、とても昨夜のチャンバラ合戦について説明する気も起きず、渋い顔でただ唸るしかなかった。
「別にー……何でもねぇよ……たまたま会っただけでさー」
「……あんたねぇ……」
再び眉間に皺を寄せて九十九に詰め寄ろうとした時、乾いた音が鳴った。音の方へ顔を向ける。累が手を打ち鳴らしたようだ。
「いやー、昨夜はすまなかったなぁ、九十九よ」
「へっ?」
「昨日、こちらへ来たばかりで右も左も分からぬ私に付き合ってもらって!」
累は、妙に平坦な棒読みで一気に話すと九十九を横目に見て、パチパチと瞬きを繰り返している。律はきょとんとしているが、九十九は流石に察した。
明らかにサインを送っている。話を合わせろという事だろうが、演技が下手すぎる。わざとらしい喋り方に硬い表情。もっと自然に出来ないものだろうか。以外にもこの剣豪は、どこか抜けているのかもしない。そんな事を考えて数瞬、律と共に沈黙している間も
「ああ!本当だぜっ、スマホも持って無いんだからよー」
「ん?……あぁっ!そうだ、持って無いんだ!あっはっはっ」
九十九も累の事は言えなかった。二人の大根役者をジト目で交互に見遣る律。
「さっき……浅草で道場がどうとか言ってなかった?」
「えっ!?あっ、これから!これからですよ、律殿!昨日江戸へやってきて、これから道場を開きたいと……そう思っているのですよっ」
「江戸……?」
「全く、古風だなー!最近流行ってるんだよなー!東京に決まってるじゃんか!」
「ふーん……女の子一人で?」
「いやいや、律殿。これでもこの佐々木累、今まで試合で敗れた事は一度としてありませぬ。一角の武士として……」
「モノノ……フ?」
「一人前の社会人として!田舎から出てきて働こうなんて立派なもんだぜっ」
「昨夜は不逞の輩と出くわしましてな……全く、武士の身でありながらいつもいつもあのような無頼を働くなど……」
「もう黙れ!累!」
「黙れとはなんだ、黙れとは!さっきから横から五月蠅いのは九十九ではないか!」
もう、これ以上のフォローは出来ないと泣く泣く
このまま続けさせたら怪しいなんてもんじゃない。やはりというか何というか……。昨夜の戦いを見て分かってはいたが、累は現代人ではないのだ。江戸。すなわち、徳川将軍家の下で世が治められていた時代からやって来たのだ。忠吉の発言から考えると、およそ四百年前になる。それが事実だとしても、この二十一世紀でそれをベラベラと話させる訳にはいかない。
しかし、それをまだ理解仕切れていない累と口論になってしまった。二人で難局を乗り越えようという時に何をしているのか。
「私に任せろという合図を理解したんじゃなかったのか!」
「お前に任せてたらややこしくなるんだよ!」
言い合いを初めてしまった二人をよそに、律は部屋を後にしようと立ち上がった。
「……うん。まぁ、元気ならいいわ」
去り際に呆れたように言うと、自室に向かうため階段を上っていくのであった。
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