第3話 剣閃
「……ふう、これで仕舞いよ」
真下に突き立てられた刀は、しっかりと胸を貫いていた。
横たわる九十九は、目を見開いて虚空を見つめ、その瞳は光を失っていた。事切れているように見えた。
「ったくてめえは。すぐ殺しちまいやがる」
忠吉は、弥七を見ながら呆れたように半眼で顔を
弥七は九十九の身体から乱暴に刀を抜き、刃先に付いた血を払った。
「遊んでるんじゃねえよ阿呆が。てめえに付き合っとったら夜が明けちまう。カシラに殺されるわ」
「カシラが近くにいるとは限らねえだろうが。少しくらい遊んだって罰は当たらねえよ」
忠吉は吐き捨てるように言うと周囲を見渡す。
「こりゃあ橋か?こんなもん見た事ねえぜ。道も走りやすいしよ」
「ああ、何で出来とるんか気になる所じゃが後じゃ。さっさとこれ持ってカシラ探すぞ」
弥七が冷淡に九十九の亡骸を見下ろす。そして右手に手を伸ばした。
「おわぁっ!」
弥七は、素っ頓狂な声を上げると、上体を仰け反らせながらじりじりと後退った。
「な、なんじゃあっ、こいつ」
忠吉も同じように
「おいおい、まだ生きとんかっ」
弥七が九十九の右手に握られている物を取ろうとした時、九十九の身体が身じろいだのだ。
そして、ゆっくりと上体を起こした。その顔に表情はなく、呆然と右手を凝視していた。
(……い、生きてる?いや俺は刀で身体を……)
「弥七!死んでねえぞおいっ」
「どうなってんだ……確かに心の臓を……」
弥七と忠吉は恐慌状態に陥っていた。心臓を突き刺された人間が起き上がったのだから無理もない。そんな二人を無視して、九十九は右手に視線を注ぎ続てていた。
確かに刀が胸を貫いた瞬間、九十九の生命活動は終わりへ向かっていたはずである。少しずつ五感が失われていき、その命が消えるのを待っていた。しかし、辛うじて残った触覚から身体中に響き渡る鼓動が伝わってきた。この謎の金属からまるで生きているかのように。
その時、何が起きたのかは分からない。その鼓動を感じ取った瞬間に、生命活動は再開した。視力も取り戻し、気付くとその瞳は
「糞っ、この化け物がぁっ!」
弥七の声に振り向いた。
弥七は、正眼に構え此方に切っ先を向け、続くように忠吉も刀を抜いた。
九十九は、今の状況を思い出した。生き返ったは良いものの、奴らに対抗する手立てはないままだ。それに次致命傷を負った場合、また蘇生できる保障などない。しかし悠長に考えている時間はなかった。
弥七は、既に刀を振り被りその刃を振り下ろすそうとしていた。九十九は、腕をクロスさせ頭を守るように掲げた。
(だめだ、またっ……)
二度目の死を覚悟したが、刀が降り降ろされる事はなかった。
背後から強烈な突風が吹いたかと思うと、目の前に人が躍り出た。一瞬にして空気が張りつめ、音が消えた。
一拍置いて、弥七の身体から鮮血が噴き出した。九十九の眼前に現れた時には既に抜いていたのだ。腰に下げられた刀を。
後ろ姿だが着物を着ているのがわかった。背に描かれた、上下に二つずつ並ぶ四角のマークが目を引く。その風貌から、弥七や忠吉と同類と推察出来た。
上空に勢い良く流れ出た血が九十九の顔を汚す。生温かい血に吐き気がこみ上げてくる。
九十九は、口を覆い吐き気を堪えながら、眼前の人物を呆然と見る事しか出来ない。動けずにいると、その人物が口を開いた。
「やはり貴様らもここに来ていたか。
聞こえてきたのは女性のものだった。
その声は、はっきりと聞き取りやすく、凛とした透き通るような声音だった。しかしその声色には
「弥七……!やってくれたな、てめえ」
先ほどまでの嘲笑に歪んだ忠吉の表情は消え失せ、憤怒の顔に変わった。眉間に皺を寄せて目を細め、怒りをぶつける様に歯嚙みしている。しかし、九十九から見ても分かるほど、道路照明に照らされた忠吉の額には汗が滲んでいた。
「安心しろ。お前もすぐに後を追わせてやる」
忠吉の怒りを物ともせず、右手に持った抜き身の刀の切っ先を忠吉に向けた。忠吉も構えるが、刀を持つ手が震え、刀身が小刻みに揺れていた。
「くっそっ……なんでてめえまでっ、しつこい女だっ」
「黙れ。虎の威を借る狐に集る狼藉者が。頭領共は何処だ。来ているのだろう?」
「知るかっ!糞、糞っ」
忠吉は、唾をまき散らしながら喚いた。女剣士と一定の間隔を保ち、落ち着きなく右へ左へ移動を繰り返している。その動作は忙しく、まるで暴風の中に晒されているようだ。
対する女剣士は、刀を忠吉に向けたまま微動だにしない。風は凪いでいるようで静穏としている。
両者の間に漂う空気がまるで違った。素人目に見ても彼我の力量差は一目瞭然だった。
「来ないのか……ならば」
「ひゃっ……」
女剣士が一歩、足を踏み込んだ瞬間、忠吉は情けない声を上げた。かと思うと踵を返し、忠吉は吾妻橋を雷門通りへ向けて、来た道を引き返すように駆けだした。剣を交える事無く遁走したのだ。
「愚かな……」
女剣士は追わなかった。
慣れた動作で鞘に刀の切先を滑り込ませると、流れるように納刀した。それと同時に脇差を引き抜くと振り被り、忠吉目掛けて短刀を放った。
放たれた短刀は空気を切り裂きながら進み、ぶれる事無く忠吉の後頭部に吸い込まれる様に突き立った。忠吉は一瞬静止し、やがて前のめりに倒れた。皮肉にも、九十九にした事と同じ様に脇差によって忠吉の命は断たれた。
九十九を死に追いやった死神とも言える二人の侍は死んだ。呆気なく、それもこの数分の間に。
九十九は、目の前に立つ女剣士に声を掛けるでもなく、ただ見入っていた。
二人の命を奪ったこの剣士は何者なのか。着物を着て帯刀しているのだ。とても現代人には見えず、忠吉や弥七と同種の存在と見るべきなのだろう。しかし、この剣士には奴らと同じ雰囲気は感じない。刀を持っているのに恐怖も無かった。たった今、目の前で人を殺したというのに。
先ほどまでの恐怖や焦燥、怒りといった負の感情は見る影もなく、心は平静を取り戻して、ただその後ろ姿を見つめていた。
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