これから①

 時が経つのは早いもので、大学一年生になった。

 県内では知名度を誇る大学に進学し、現在十一月。


 存外、キャンパスライフを満喫している。

 凛花との交際も順調そのものだ。そりゃ喧嘩をする事もあったし、色々と大変な事もあったけれど、別れる兆しはまるでない。本当にこのまま結婚まで行くんじゃないかと、そんな気がするくらい順調だった。


 当然だが、俺が大学一年生という事は凛花は高校三年生。俺が浪人していれば別だけれど、幸いにも躓くことはなかった。

 高校時代に比べれば凛花と一緒に居られる時間が減ったものの、事あるごとに一緒に居るから寂しいとは感じない。今日だってこの後デートする予定だ。


 付き合ってから二年が経っているのに、未だにラブラブである。……自分で言ってて恥ずかしくなってきた。惚気はやめよう。


 そして至極順調で、大した事件も起きないまま、平穏に日々を過ごしている頃。


 三限の共通教養科目の講義を終えて、帰り支度の準備を進めているときだった。


 ガサッと近くでスマホが落ちた。

 落とした当人は気がついていないらしい。周囲も誰も拾う気配がないため、俺がスマホを拾い持ち主に声を掛ける。


「あの、落としましたよ」


「え……あ、すみませ……」


 彼女は俺を視認した途端、その場で放心状態になった。


 ただでさえ大きい目を見開いて、立ち尽くしている。


 腰まで長かった髪は、うなじの辺りまで短くなっている。光沢を帯びた綺麗な黒髪。枝毛一つ見当たらない。前より少しだけ大人びてみえる。


 彼女は盗み取るように俺からスマホを取ると、踵を返して急ぎ足で歩を進めた。

 そんな彼女の後ろ姿に向けて、咄嗟に声を掛ける。


「ま、待って」

「…………」


 彼女の歩みがパタリと止まる。


「少し話せないかな」

「……っ。……うん」


 コクリと首を縦に下ろすと、ゆっくりとした足取りでこちらに戻ってきた。

 四限に、この講堂を使う講義はない。彼女──月宮愛里は、俺の座っていた席の隣に腰を下ろす。


 周囲はまだ講義が終わったばかりでガヤガヤしている。しかし俺たちの間だけは、静寂に落ちていた。


「この授業、受けてたんだ」

「うん。楽に単位もらえるらしいから」

「俺と同じだ」

「……っ。そ、そうなんだ。友達も一緒に受ける予定だったんだけど、抽選落ちちゃってあたし一人」

「俺もそう……てか、同じ大学だったとは思わなかった」

「あれから勉強ばっかしてたんだ。まぁ文学部だから、あんまりかもだけど」


 お互いに目は合わせない。なんとなく黒板の方を見ながら、


「……ごめん。呼び止めといてなに話したらいいのか分かんないや」

「う、ううんっ。嬉しい……。でも、あたしとは終わりなんじゃなかったの?」

「あの時はカッとしてて……とにかく冷静さを欠いてて……俯瞰的に見れてなかった。愛……月宮さんはあれで終わりよかった? それなら、俺はもう何も言うことはないんだけど」

「ち、違う! あれで終わりじゃヤだよ」


 幼馴染は勢いよく席を立つと、前のめりになって俺との距離を詰めてくる。

 講堂に残っていた学生が少しビックリしていた。


 俺はクスリと笑みをこぼすと、手荷物をたぐり寄せた。


「明日って、また大学来る?」

「う、うんっ。来る!」

「じゃあ明日の昼休み、そこの学食の角席に座ってるから来てくれないかな。渡したいモノ……渡さなきゃいけないモノがあるんだ」

「……っ。絶対行く!」


 力強く拳を握って活気をみせてくる。


 俺はリュックを背負うと、


「じゃあ明日また話そう。今日はこの後予定があってさ」

「予定……」

「どうかした?」

「ううんっ。ま、また明日ね……トシ……苗木くん」


 ヒラヒラと手を振って俺を見送ってくれる。

 俺はリュックを背負い直すと、講堂を後にした。



 ★



「……月宮さんと会った、ですか?」


 大学帰り。

 ファミレスにて。凛花はポテトをつまみながら、眉間にシワを寄せた。


「同じ大学だったみたいなんだ。学部は違うけど」

「大学生になって半年以上経つのに、気付かないもんですか。そういうの」

「人が多いからな大学は。教室って概念もないし。別の学部……いや学科が違うだけで顔も名前も知らないヤツばっか。同じ学科でも半分以上は知らないよ俺なんて」

「そういうものですか。でも学部が違うのに同じ授業受けるって変じゃないですか?」

「学部関係無しに受ける授業もあるんだよ。まぁ凛花が大学生になったら分かると思う」

「ふーん。なんか偶然にしては都合良すぎてムカつきますねそれ」


 凛花はツンケンした態度で、ポテトをウサギみたいに食べ進めていく。


 頬杖をついて不満げだった。


「都合良すぎ?」

「はい。同じ大学ってのもそうですが、同じ講義を受けてるってトコです。落とし物拾って声かけて再会ってのも、ベタベタで癪に障ります」

「ベタって……」

「で、先輩はこれからどうしたいんですか?」


 凛花は俺にポテトを突きつけながら、聞いてくる。

 俺はパクリとポテトを頬張ると、


「取り敢えず、面と向かって話したい。今は……素直にそう思えるよ」

「普通、浮気した元カノと会いたいとか思いませんからね」

「うっ……そう、だよな」

「でもそこが先輩と言えば先輩ですが。やれやれ、こんな女々しい彼氏は困りますね。カノジョの前で元カノの話とか禁句ですから。実刑判決されても文句は言えない悪行ですからね」

「ご、ごめん」

「全くです。言っときますけど、先輩のカノジョは私ですから。そこは揺るぎませんし、揺るがせません」

「分かってる。恋愛的な意味で言えば、とっくに凛花しか興味ないんだ」


 真っ直ぐ彼女の目を見て告げる。凛花はピクリと肩を跳ねると、一瞬で頬を紅潮させた。


「い、いきなりなんですか、もう……これだから先輩は……」

「でもアイツとは兄妹みたいに過ごしてきたからさ。特に子供の頃は。だから、このまま終わっちゃうのはやっぱり寂しいなって。自分から終わらせようとしておいて矛盾しているんだけど、まぁそんな感じ……今度どこかで会ったら、その偶然は逃さないようにしようって決めたんだ」


 上手く言語化はできない。

 浮気されて、俺も彼女に対して酷い振る舞いをして、一度は完全に終わった。


 でもやっぱり、ふとした時に思い出す。

 それだけ彼女と過ごした時間は濃密で、幼少期に限ればほとんど彼女との思い出しかない。


 どうしたって惜しいんだ。元の関係には戻れないだろうし、戻るべきじゃないとも思う。ただ、もし可能ならゼロからやり直したい。やっぱり嫌だよ。唯一人の幼馴染と、あんな形で終わりなのは。


 時間が経って落ち着いた今なら、冷静にそう思える。


「甘すぎますねホント。先輩って一見自分に厳しいですけど、よくよく見ると自分に一番甘い気がします」

「……い、痛いとこ突いてくるな」

「まぁ月宮さんと仲直りすると、私にとっても都合がいいのである意味が歓迎ではあるのですが」

「え? どういうこと?」

「おっと、口が滑りました。忘れてください」

「いや忘れるの無理なんだけど」

「あ、くれぐれも注意は怠らないようにしてくださいね。反省してても、いつ牙を向くか分かりませんから」


 ピンと人差し指を立てて、注意喚起をされる。


「じゃあ凛花も一緒に来てよ。明日土曜だから学校休みでしょ」

「いいんですか? 私がいても」

「当たり前だよ。まぁ受験勉強で大変だろうから、無理は言わないけど」

「いえ行きます。行かせてください! ……あ、でも勝手に大学入っちゃっていいんですかね?」

「あんまりよくないけど、凛花の場合はオープンキャンパスって感じで言い訳つくし大丈夫だよ。実際大学って部外者入っても分からないからな」

「うわ、適当だ! そういうの煩い人もいるんですからね!」

「じゃあ来るのやめる?」

「行きます」


 凛花は即答で答える。

 かくして明日土曜日。俺たちは幼馴染と会う事になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る