ミッション5:元親友をぶん殴れ!
「そうだろうか。オレも、そして月宮さんも気がついていた。家族のオレはともかく、月宮さんが気がついていた以上、凛花は自分の気持ちに蓋をしきれてはいなかった。そう解釈されても仕方がない」
「……っ。それは……」
凛花が押し黙る。
元親友は、再び俺へと視線を戻した。
「そして高一の終わり頃だったか。月宮さんが男と一緒に居る場面を偶然にも目撃した。月宮さんはトシヤを好いていると思ったから、意外だった」
「…………」
「そして向こうもオレに気がついて”トシ君には言わないで欲しい”ってお願いされたんだ。今にして思えば、この出会いが悪かった。……トシヤは凛花の気持ちを奪った。じゃあオレも月宮さんの気持ちを奪ってやろう。そんな思考が浮かんで。……まぁ結局、月宮さんに懇願される形でトシヤとの間を持つ事になったが」
元親友は話しながらも、淡々と駒を進めていく。
俺の歩兵が奪われる。と言っても、まだ序盤。歩兵の一つ取られたくらい、問題はない。
「……最低。そんなの……先輩、何も悪くないのに」
ポツリと呟くように吐き捨てる凛花。
冷たいその声色に、元親友の表情が強張る。
「あぁ。そう思うよ。本当に……」
空気が重たく落ちる。俺は歩兵を一つ奪い取ると、小さく嘆息した。
「今更遅い……。謝罪なら聞く気はないからな」
「あぁ……分かっている。……ちなみに月宮さんの貞操観念が低いのは、トシヤに起因している」
「は? なに、言ってんだ」
「ある時、月宮さんは、トシヤと凛花が一緒にいる場面を目撃して、付き合っているものだと誤解をしたんだ。そのすぐ後に、口の上手い男に優しく慰めらたのが発端だそうだ。そして後になって、月宮さんは凛花とトシヤが付き合っていない事を知った」
淡々と、幼馴染の過去を簡素に語る。
以前、幼馴染から聞いた話を付け加えれば、俺と凛花が一緒に居る場面を目撃したとき、彼女は家庭の問題に悩まされていた。母親の浮気による離婚だ。精神状態が不安定だった可能性は極めて高い。
「当たり前だが、月宮さんは後悔で押しつぶされそうになった。だから思考を転換することで乗り越えることにしたんだ。気持ちがない身体だけの関係なら問題がない。これはセーフってな」
「い、意味わかんない……。頭おかしい……。そもそも先輩は何も悪くない……」
凛花がポツポツと呟く。
声が漏れ出る。そんな感じだった。
元親友は凛花の声に耳を貸さず、そのまま続ける。
「その上、彼女は極度の寂しがり屋。かまってちゃんとでも言えばいいか。誰かに求められるというのは、彼女の欲求を満たしてくれたんだろうな。トシヤが、月宮さんだけを見て、月宮さんだけに構ってあげれば、変わった未来もあったのかもな」
「…………」
押し黙る俺。
将棋盤を駒が叩く音だけが、この場を支配する。
「ち、違いますからね先輩。先輩は、何も悪くないんです。勝手に自分を責めたりしないでください」
「……わかってる。今の話は、彼女が勝手に勘違いして、勝手にやらかしただけ。そもそも問題なのは、俺と付き合って以降の行動だ。俺が責められる謂われはないよ」
元親友は微かに笑うと、眼鏡越しに俺を見つめる。
「あぁ。責めてるわけじゃない。ただキッカケはトシヤにあるという話だ。……そもそもトシヤ。お前はまだ、月宮さんのこと好きなんじゃないのか?」
「は? 急になに言ってんだ。そんなことあるわけねぇだろ」
「そうか。オレの勘違いならいいんだが」
「大体、凛花と俺が接点を持つようになったのは──」
「オレが相談したから、だな」
俺の言葉を遮って、元親友が続ける。
彼は俺の角行の駒を取ると、小さく吐息をもらした。
「父親の仕事の都合で引っ越すことになって、知り合い一人居ない中学に進学することになった。元々人付き合いは得意じゃないし、一人で居るのも嫌いじゃなかった。だから、オレに話しかけてきたトシヤを鬱陶しく思っていたんだ」
「…………」
「勝手にオレとの共通点を見つけて、親交度を深めようとする。一人で居る人間を放っておけない……良いことをして気分良くなろうとする偽善者だと思った。オレの一番嫌いな人種だ。だから家庭の事情を話して凛花の現状を話せば、コイツは困ると思った。お前の偽善は結局誰も救えないんだって。……けど結局、凛花と母親との間に生まれた溝を修復させることにトシヤは成功した。その上、凛花の気持ちまで、いとも容易く……」
「容易くなんかじゃ……ない。先輩は、私に親身に寄り添ってくれた。誰にでも出来る事じゃないっ」
凛花がピシャリと言い放つ。元親友は特に動じる事もなく、
「語弊を生んだな。なんというか、オレに出来ないことを簡単にできる……そう見えたんだオレには。だから、コイツと一緒に居れば、オレも変われるんじゃないかって、少しは凛花に認めて貰える人間になれるんじゃないかって思った。だから、トシヤと本格的につるむようになった」
「別に、そんな昔話どうだっていい。誰もお前の自分語りに興味はないよ。話を変な方向に進めるな」
「あぁすまない。悪い癖だな」
将棋盤へと視線を落とす。
ここから先は、淡々とした静かな対局だった。
特に何か話すわけでもない。そうして終盤。
俺の優勢だった。あと数手で決まりそうな盤面である。
「トシヤ。この二週間ちょっとだが……オレは分かったことがある」
「…………」
「凛花と接点がないことよりも、トシヤと話せない事の方がオレは辛かった」
「……今更、何言ってんだ」
「お前の事、密かに恨んでいたはずなのにな。オレもよく分からない」
「仲直りなんて無理だし、する気もない。調子のいい事言うなよ。……全部そっちが悪いんだ」
「分かっている。オレはそれだけ酷い事をした」
「じゃあなんでそんな事言うんだ」
「さぁ、なんでだろうな……。王手」
俺の優勢で進んでいた盤面だったが、一転して俺に不利な状況に変わる。
ここまで活躍を見せていなかった桂馬が、上手に俺の退路を塞いでいる。
「相変わらず、素直だな。勝てると思ったら、すぐに攻めすぎだ」
「……要求は何だよ」
俺の負けが確定して、要求問う。
だがこの要求を俺が吞む必要はない。あくまで聞くことが条件だ。
元親友は眼鏡を外すと、真っ正面から俺を見据える。
そうして要求を、ハッキリとぶつけてきた。
「一発、殴ってくれないか」
彼の口から漏れて出た要求に、俺は僅かに目を開く。
「許してもらおうとか、贖罪って訳じゃない。ケジメとして殴って欲しい」
俺は椅子を引き、席を立ち上がる。
荷物を持ち、凛花の手を引いた。
「せ、先輩……いいんですか」
リビングを出ようとする俺に、凛花が問いかけてくる。
「俺が殴ったら少し気持ちが楽になっちゃうだろうから」
「……バレてたか。あぁ、少し楽になりたいんだ。罪の意識ってのは後からやってくるらしい。自分がどれだけ酷いことをしていたか、理解すればするだけ、良心が呵責を起こす」
ダイニングテーブルに両肘を置いて、うつむく元親友。
俺はリビングの扉に手を掛けたところで、ぱたりと動きを止めた。
ドアノブから手を離すと、踵を返す。
「──いや、やっぱりムカつくから殴っていい?」
「……っ。あぁ。でもいいのか?」
「お前の気持ちがどうこうとかじゃない。俺がスッキリするため。ただそれだけだから」
「そうか。じゃあ思う存分、殴ってくれ」
元親友は椅子から立ち上がると、少し場所を移動する。
周囲に物はない。ここなら二次被害を起こすことはないだろう。
「先に言っとくけど、加減はできないから」
「あぁ中途半端に手を抜かれても困る」
目を瞑り、殴られる姿勢を整える元親友。
俺は親父に格闘技をいくらか教わっている。俺の弱いメンタルを鍛えるために始めたことだ……結局メンタル向上にはならずに終わったが。
それでも多少は力には自信がある。
それは元親友も承知の上だ。
じゃあ、容赦なく本気でいくとしよう。
俺は右の拳を握ると、彼の頬──ではなく、みぞおちに拳を入れた。
「……ぅぐッ!?」
腹を押さえて、膝からその場に崩れ落ちる。
顔を殴られる前提でいたのか、この展開は予期していなかったらしい。
「結構、スッキリするな」
「……そ、そうか。ならよかった。……さ、最後に一つだけいいか」
「なんだよ」
床にうずくまった姿勢になりながら、俺たちを引き止めてくる元親友。
彼は目を眇めながら、
「オレ、近々一人暮らしすることになっているんだ」
「……は?」
「自分のしたことを洗いざらい父さんと母さんに話したら、殴られて叱られて……結果的に、一人暮らしってことになってな。後日、凛花には母さんから電話で連絡が来ると思う。だからまぁ……なんだ。オレに怯える必要はないというか……」
元親友が一人暮らしをするなら、凛花がこの家に戻ってきても安心ではある。が、
「どうだかな。一人暮らししただけじゃ安全って事にはならないだろ。外では遭遇する機会があるんだ」
「オレは凛花に危害を加える気はないし、そこまで堕ちる気もないんだ。それは本当だ」
「嘘つきの言う事は信じられない。今日だって、お前に騙されて呼び出されたし」
「フッ……自分のやった事ってのは、ちゃんと自分に返ってくるんだな。騙していたオレが言っても信用がない──その通りだ。まぁそんなに心配なら、トシヤが凛花を守ってあげてくれ」
「初めからそのつもりだよ」
元親友は微かに笑みをこぼすと、床に腰をついた姿勢のまま右膝を立てた。
俺は踵を返すと、この場を後にしようと今度こそ、リビングの扉に触れる。
「やっぱり甘いなトシヤは……」
「……なんだよ」
俺に向けてというよりは、独り言に近い声量とトーン。
咄嗟のことで、つい振り返ってしまう。
「オレのこと信用していないくせに、将棋を勝負を受けたことだ。もしトシヤが勝った際、オレが要求を一つ吞む。そう約束していたが、オレを信用していないなら相手にせず帰るべきだった。違うか?」
「…………。俺は信じやすいからな。破格の条件を出されて、そのまま口車に乗せられただけだ」
「……オレの言い分を聞くために──いや、そうか。そうだな。時間取って悪かったな」
「ああ」
リビングの扉を開き、一歩足を進める。
去り際、彼のこぼした一言が俺の耳によく届いた。
「その甘い性格直さないと、いつか足を掬われるぞ。オレが言うなって感じだと思うが」
「……ホント、余計なお世話だよ」
俺は呟くように一言こぼすと、凛花の手を取る。そのまま、中条家を後にしたのだった。
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