幼馴染だって、やられたままじゃ終われない

「遅かったねトシ君。どこ行ってたの?」


 彼女──月宮愛里は、半開きの目を手の甲でクシクシ擦りながら、大きめのあくびをする。

 ベッドの上で女の子座りをすると、ジッと俺の目を見つめてきた。


「なんで、ここに──」


 鼓動が知らない速度で跳ね上がる。


 部屋の鍵を閉め忘れた? 

 いや、むしろ閉めた記憶があったからこそ、今回はかなり慎重に家の中を見て回った。


 ドクドクと激しい心臓の声色。

 口の中が乾いていくのが分かった。


「先輩? 何か話し声がし……」


 玄関の外で待っていた凛花が俺の元にやってくる。幼馴染を発見するなり、唖然としていた。


 俺は咄嗟に凛花を背後に隠す。

 相手は女。体格的に俺に分があるが、不法侵入しているあたり油断はできない。


 幼馴染は凛花を視認するなり、顔をうつむかせた。


「もう仕返しは十分じゃ、ないかな……」

「なに、言ってんだお前」


 幼馴染は壁に背を預ける。

 体育座りの姿勢になって、口元を膝で隠した。


「ゴミ箱見たんだ」

「は?」

「凄く辛かった……。あたしね、ちゃんと考えてたんだよ? いつキスしようとか、いつエッチしようとか……全部、全部あたしの中に予定があったの。ちゃんと記念になる日にして、あたしとトシ君の一生の思い出になるようにしようって考えてたの」


 ポツポツと無遠慮に呟く。

 俺と凛花が立ち尽くす中、幼馴染は更に続ける。


「なのに……その女のせいで全部台無しだ」

「な、何言ってるんですか。責任転嫁も甚だしいです。全部、月宮先輩が浮気したのが原因──」

「うるさいなぁ。あたしは浮気なんかしてない」

「ふざけて、るんですか……」


 凛花が動揺を覚える。俺の背中を握りしめてきた。


「だって、あたしの気持ちまでは許してないから。あくまで許したのは身体だけ。心まで許したつもりはないよ」

「そういう問題じゃないだろ」

「うん。そうだね、ごめんねトシ君。あたしの認識が間違ってた……うん。今なら分かるよ。あたしも凄く、本当に凄く辛かった……。トシ君と凛ちゃんの間で何があったのか考えるだけで吐きそうになったし、正直、死んじゃおうかと考えたくらい。トシ君も今のあたしと同じ気持ちだったんだよね? ごめんね……本当に。でも今ならやり直せると思うの。二人とも同じ痛みを知った今なら、やり直せるでしょう?」

「やり直せるわけ……ないだろ」


 俺は今、呆気に取られている。

 彼女が何を言っているのか、よく理解できない。どんな神経してんだよ……。


「どうして? トシ君はあたしに仕返しする為にその女と付き合ったんだよね? じゃないと、トシ君が凛ちゃんなんかの彼氏になる訳ないもん。もう十分でしょう」

「仕返しの為に、凛花と付き合ってる訳じゃない!」


 始まりは歪だったかもしれない。浮気相手になる、そんな凛花の提案を呑んでから関係性に変化が訪れた。


 だが俺は、幼馴染や元親友に仕返しする為に凛花と付き合ったわけじゃない。そもそも俺はもう、幼馴染や元親友とは関わりたくないのだ。


「……そっか。トシ君はその女に騙されてるんだねやっぱり」

「は?」

「だってトシ君があたしにあんな酷い事言うわけないもん。その女に変な事言われて……トシ君おかしくなっちゃったんだ……」


 幼馴染は体育座りの姿勢を崩すと、ベッドから立ち上がる。俺の背後にいる凛花へと、鋭い視線をぶつけた。


「凛ちゃん。あたしのトシ君返してよ。もう満足でしょう? 凛ちゃんにトシ君は勿体無いよ。全然釣り合ってないもん」

「……少なくとも、月宮先輩には言われたくないです」

「そっか。まぁそうだよね。トシ君の仕返しの為とはいえ、付き合えてるこの状態をそう易々と手放せないよね」

「先輩の言葉聞いてなかったんですか。先輩は仕返しのために私と付き合ってる訳じゃありません」


 凛花は臆する事なく切り返す。

 幼馴染は微笑を湛えると、再びベッドに腰を下ろした。


「あたし、気付いたんだよ」

「気付いた?」

「うん。どうしてトシ君があたしの事好きでいてくれたことを、高二になるまで気が付かなかったんだろうって。だってトシ君は中学生の時点では、あたしに好意を持ってくれてたんでしょう?」


 正確には小学五年生の中頃から。

 本格的に好きだと自覚したのは、中学生になってからだったと思うが。


 俺が無言を貫いていると、それを肯定と捉えたのか、幼馴染はフッと小さく笑う。


「普通に考えてもっと早くに気が付けたはずなんだよ。トシ君は素直で、分かりやすいから」

「……何が言いたい?」

「要するにさ、誰かが余計な画策してたんじゃないかなって」

「は?」

「例えば、凛ちゃんがトシ君への恋愛アドバイスと称して、あたしとトシ君をくっ付けないように動いてた……とか?」


 幼馴染の発言に、凛花の肩が僅かに跳ねる。

 目に動揺が走っているのが分かった。


「私は……そんな、こと……」

「凛ちゃんなら普通にするよね。だって凛ちゃん、すごく性格悪いし」

「……っ。あ、アナタにだけは言われたくない!」

「図星突かれたからってムキにならないでよ。美容に悪いよ」


 幼馴染は顎先に人差し指を置くと、口角を上げる。


「だとしたら、あたしとトシ君はもっと早く付き合えたかもしれない。あたしが他の誰かに身体を許す前に、トシ君と一緒になれたかもしれない。そうでしょ?」

「…………」

「全部、その女が悪いんだよ。あたし達の仲を引き裂くから。それにあたし知ってるんだよ。トシ君と凛ちゃんが二人で集まって公園のベンチで話してたの。あれ見てあたし、勘違いして──ちょうど離婚の事もあって自暴自棄になって……全部、全部、凛ちゃんが悪いんだよ。……凛ちゃんさえ居なければ、あたしはトシ君と今も幸せに──」



「──そろそろ黙れよ、お前」



 つらつらと、無遠慮に話を続ける幼馴染。

 そんな彼女を前に、俺は起伏の少ない落ち着いた声色で吐き捨てた。

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