平穏は訪れないし、彼女はまだ懲りない

 地獄のような夕食タイムが終わり、現在、店の裏口を出たあたり。

 ようやく、帰宅が許可された。


 ちなみに、質問攻めを受けた結果。

 凛花がウチに泊まっている事がバレた。……まぁ隠し通すべきではないから結果的に良かったと思うが、バレたくなかった気持ちもある。


 母さんも、珍しく親父も動揺した様子を見せていたが……それでも、美香さんから許可を得ている事が決定打となり、最後には納得してくれた。「後で凛花ちゃんのお母さんと話さないと……」だなんだと、母さんはアタフタしていたが。


 何はともあれ、凛花と二人で帰路に就こうとすると、母さんが呼び止めてきた。


「俊哉」

「ん?」


 ひょいひょいと手招きして、耳を貸すよう指示される。


 母さんは俺の耳元で、そっと呟いた。


「明日は仕事手伝いに来なくていいからね。カノジョがいるなら、全然そっち優先してくれていいから」

「……うん、ありがと母さん」

「それと、あんま無理させちゃダメよ」

「は?」

「くれぐれも人様の娘さんに粗相はしないこと。わかってるわね?」

「あ、あぁ……分かってるよ」


 母さんは微笑を湛えると、ひらひら手を振ってくれる。親父は店の中で仕事をしているから、この場にはいない。


 俺は軽く手を振り返すと、踵を返した。凛花は何度もぺこぺこ頭を下げては、愛想良く笑みをこぼしていた。




 ★




 電車と徒歩を合わせて一時間近く。

 ようやくウチに戻ってきた。日も落ちて、空が暗くなっている。

 寒空の下、身体を寄せ合いながら歩く。


「なんかすみません。結局、お金貰っちゃって……そんなつもりなかったのに」

「いや働いたんだし、お金貰うのは当たり前だって」


 当然ながら今日のアルバイト代は出ている。

 凛花は日雇いみたいなものだから、直接封筒に入れて現金を手渡されている。


「あ、そうだ。先輩、何か欲しいものありますか」

「俺? いや、特にないかな。……てか凛花が欲しいものを買いなよ」

「でも先輩はプレゼント買ったみたいじゃないですか」

「……っ。そ、それは……」


 ここにきて、母さんの失言を拾われる。

 悪いことをしたわけじゃない。何もやましい事はないが、どことなく胸を締め付けられる。


「あ、別にいいんですよ。大体、察しはついてますし」

「……時間かかるかもだけど、いつかちゃんと凛花のために渡すから、待っててくれる?」

「はい。なんだか催促したみたいですみませんね」

「ううん。そんなことない」

「じゃあ代わりに私は先輩が喜ぶコトしてあげます」

「こほっ、ごほっ」

「大丈夫ですか。最近先輩よく咳き込みますけど。私なにか変なコト言いました?」

「いや言ってない、と思うよ。うん、……言ってない」

「夜まで我慢してくださいね」

「変な事言ってんじゃねぇか!」


 良くない。こういう流れは本当によくない。

 俺は赤くなった顔を隠すようにそっぽを向きながら、アパートの階段を上っていく。


 カギ穴にカギを入れる。

 すると、そこで異変に気付いた。


「どうかしました? 先輩」


 凛花がきょとんと首を傾げる。

 俺は顔に集まった熱をすぐに急冷させ、頬をわずかに引きつらせた。


「カギ、開いてる」

「閉め忘れたんじゃないですか?」

「かもしんない。……けど念のため、凛花はそこで待ってて」


 部屋の中に入らないよう指示をする。

 一旦、俺だけで中の様子を見るとしよう。


 玄関扉を開ける。室内は暗い。ぱっと見では、何も起きてなさそうだ。

 室内の電気をつけ、中を物色していく。ワンルームの間取り。キッチン周辺、トイレや風呂をまずは確認する。大丈夫そうだ。


「先輩、私も中に入っていいですか?」

「もうちょい待って」


 まだ肝心の部屋を覗いていない。

 ゆっくりと慎重に、室内をぐるりと見回す。


 大丈夫、そうかな。目立って物色された形跡も──


 と、一安心した矢先だった。

 不自然なまでにベッドの布団が盛り上がっている事に気がついた。


 それとほぼ時を同じくして布団がひとりでに動く。のっそりと起き上がり、そこから登場したのは、腰まで届く長い黒髪。


「んぁ──あ、おはようトシ君。待ってたよ」


 幼馴染、月宮愛里だった。

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