ミッション4:幼馴染に犯した罪を分からせろ!

「そろそろ黙れよ、お前」


 俺は柄にもなく、冷たい目で幼馴染を見下ろす。

 起伏の少ない落ち着いた声色で、吐き捨てた。


「と、トシ君……?」


 以前、幼馴染に罵詈雑言を浴びせた際とは違う。あの時は、突き放す目的があった。


 だが今回は、なにか目的がある訳じゃない。

 胸の内に溜まった苛立ちを、純粋に表に向けていた。我ながら似合わない言葉遣いに、少しハッとする。けれど、このまま黙る気はない。


「この期に及んで何が悪いのか、まだ理解してないの?」

「り、理解してるよ。あたしが簡単に身体を許す女なのが悪かったんだよね……で、でもねもう二度とあんな事しない! トシ君以外に身体を許したりしないから! 絶対に! 絶対、絶対だから」

「本当に理解してないんだな……」

「え?」

「前に言ったはずだよ。俺と付き合う前に誰と何があろうがそれを咎める気はないって。今回、問題なのは俺と付き合って以降アイツと関係を持っていた事だ。雰囲気的に、他にもそういう仲の相手がいるんだろ?」

「……っ」

「どれだけ高尚な理由をつけても、誰に責任転嫁しようが、それはもう、全部言い訳にしかならないんだ。凛花に八つ当たりするな。全部、自業自得だ」

「な、なんでそんな女を庇う……の。だって、凛ちゃんが居なければ、あたし達はとっくに付き合えてたかもしれないのに……!」


 涙を目に蓄える。

 今にも泣きそうで、声は掠れていた。


「凛花に恋愛相談したのは俺の判断だし、そのアドバイスを受けたのも俺の意思だ。そもそも、俺から告白しなきゃいけない道理はない。そっちから告白してくれば良かっただけの話だろ。自分がやる事やらないで、文句ばっかり言うなよ」

「……っ。そ、それは……振られるのが、怖くて……」

「そんなのは誰だって同じだよ」

「……な、なんでそんなに冷たいのトシ君っ! あたしに、優しくしてよ。そんな怖い顔、しないで……そんなのトシ君じゃない……っ」


 幼馴染はボロボロと泣き始める。

 それでも俺はやめない。もうブレーキが効かない。


「さっきさ……俺の気持ちが分かるとかなんとか言ってたよな」

「……う、うん……あたしもトシ君に浮気されて辛く──」


 えづきながら、目の下を手の甲で掻く幼馴染。

 ちょうど目が合ったところで、俺は冷徹に突っ撥ねた。


「勝手に俺の気持ちを分かった気にならないでくれ」


 瞬間、幼馴染は目を見開き、小さく口を開ける。


「え?」

「もう別れてるんだ。俺が誰とどうなろうが、文句を言われる筋合いはないし、もちろん浮気にもならない」

「で、でも……あたしはトシ君と別れる気なんかない……。トシ君が一方的に別れるって言っただけ、だよ。あたしは合意してない!」

「そんな事言える立場にいると思ってるの? やっぱり、俺の気持ちなんてサッパリ分かってないよ」


 俺は力強く手を握りしめる。

 苛立ちを押し殺しながら、尚も続ける。


「好きだった子に、小さい頃から付き合いのある幼馴染に、裏切られる。そんなの全然、生易しいものじゃない。しかも相手は親友だって思ってた人間だ。どんだけ、苦しいと……思ってんだよッ。簡単に……俺の気持ちが分かるとか、言うなよ。結局、お前もアイツも俺のこと下に見てたん、だろ?」

「……っ。そ、そんな事ない! あたしはトシ君の事下に見た事なんか……」

「じゃあ何で俺に嘘吐いたんだ。浮気のこと、猿にでも見抜けるようなひどい言い訳つけてさ……。結局、俺なら簡単に騙せるって思ってたんだろ? お前も、アイツも。だから、付き合った後も関係続けてたんだ。……俺のこと舐めてるから」

「ち、違うよ! あたしはただトシ君の誤解を解きたくて──」

「誤解? 俺が誤解した部分があった?」

「……っ。あ、いや……えと」


 幼馴染は声を詰まらせ、ゴニョゴニョと両手を合わせる。参ったな……涙が出てきそうになる。


 俺が泣いて、どうすんだ……堪えろって。


「俺、人を疑うの得意じゃないんだ。簡単に信じちゃう……。だからさ、凛花がいなかったら多分、そのクソみたいな言い訳を信じてたと思うよ」

「トシ君……」

「そういう意味では、凛花がいなければって言う言い分も一理あるのかもな」

「…………」

「本当に寒気がするよ。凛花が居なかったら俺のこと騙して……ずっと騙して隠れて裏切り行為を続ける気だったんだろ」

「……っ。ち、違う……そんなこと!」


 幼馴染は前のめりになって、否定する。

 ……この期に及んでまだ、嘘を吐く気でいるのか。もはや病気だな。


「もう、黙ってくれないかな。お前の嘘をこれ以上聞きたくない」

「……と、トシ君……」

「その呼び方もやめろって言ったよね」

「……ほ、本当に全部……全部直す。直すから! トシ君のそばに居させてよ……。カノジョじゃなくていい。ただの友達でも、知り合いでもいいから、だからトシ君との繋がりが欲しい……の」


 左目からこぼれた涙が線を引く。

 目の下はすでに赤く腫れ、声は掠れている。


 これだけ言っても、幼馴染は諦めない。

 まだ、俺を苦しめる気かよ。もう、辛いんだよ。忘れたいんだよ。顔も見たくない。声も聞きたくない。


 好きだった子に、初めて出来たカノジョに、物心ついた頃から知ってる幼馴染に、裏切られる。


 それが俺の精神に与えたダメージは、決して柔なものじゃない。

 凛花という精神的支柱がなければ崩れていた。あるいは、自分自身を騙して何も見なかった事にしていた。そのくらい、心の弱い俺には大きいダメージだったんだ。


 もう掘り返さないでほしい。


 もう……掘り返さないで……ほしい……。


 そう、視線を下に落として、項垂れそうになった──その時だった。




 ──パシンッ



 乾いた打撃音が室内を木霊した。

 それは実に唐突に、一瞬の出来事だった。


 さっきまで俺の背後にいた凛花が、気付けば目の前にいる。



「いい加減に、してください!」



 幼馴染は、左頬をそっと押さえると、唖然とその場で硬直する。

 数秒ほどの沈黙を経てパクパクと金魚みたいに口を開いた。


「な、なに……するの凛ちゃん……」

「お願いですから、これ以上……先輩を苦しめないで、ください! 先輩が辛い顔してるの、もう見たくありません。元の関係になんか戻れるわけ……ないじゃないですか。アナタはそれだけの事をしたんです」

「……っ。だ、だから直すって言ってるじゃん。……心入れ替えるから……だから!」

「人間、そんな簡単に変わりません」

「変わる。変わるよ! だから……」

「じゃあせめて変わってから、先輩の前に現れるべきなんじゃないですか。先輩を傷付けたことを死ぬほど反省してからじゃないと、筋が通ってません。今のアナタに先輩に会う資格ない、です」

「……っ。でも、それじゃ、凛ちゃんとトシ君が……」

「それが何か問題ありますか? 私と先輩はお付き合いしてるんです」

「……ヤダよ……そんなの……」

「やっぱり、これっぽっちも反省なんかしてないじゃないですか。ホント、いい加減にしてくれませんか」

「……っ」


 幼馴染は僅かに目を見開くと、下唇を強く噛み締めた。しばらく静寂がこの場を支配した。


 何秒だったか、何分だったか、よく分からない。

 時計の秒針の音だけがする静かな世界で、最初に動き出したのは幼馴染だった。


 彼女は俺の前に来ると、長い黒髪が床につくくらい深く、頭を下げた。


「……ごめんなさい」


 彼女はそれから、しばらく俺に頭を下げていた。


 謝れば済む問題ではない。客観的に見れば、凛花に正論吐かれて謝罪しただけ。それに過ぎない。ただ、自分の犯した事を認めるのは簡単じゃない。それは分かるから、彼女の謝罪に対して何か言い返すことはしなかった


 幼馴染はポケットを弄ると、俺の部屋の合鍵をちゃぶ台の上に置く。


「なんで、それ」

「この前泊めてもらった時に、魔がさして……」


 予備の鍵を盗んでいたらしい。

 だから俺の家に入れたのか。タネとしては単純なものだった。


 そういえば以前、家の中で鍵を無くした事があった。そのままどこに行ったか分からず、探すのを諦めていたが……それを偶然にも発見したのだろう。

 幼馴染は何度か頭を下げると、玄関へと踵を返した。重たい足取り。けれど、その背中は少しだけ変化の兆しを感じた。


 凛花の言葉が響いたのだろう。結局また、俺は凛花に助けてもらったらしい。


 去り際、幼馴染は一度こちらに振り返る。


「最後に一つだけ、聞いてもいいかな……」


 首を縦には振らない。だが横にも振らなかった。

 凛花は黙ってジッと俺たちの様子を見守ってくれている。


「そっか。じゃあ独り言。……昨日が何の日か、わかる?」


 俺は親指を隠すように拳を握ると、一言だけ返した。


「知らない」

「…………。そっか」


 幼馴染は一瞬下を向くも、すぐに顔を上げる。

 無理矢理にも笑顔を作って玄関を後にした。


 見送ることはしない。

 幼馴染が消え、俺と凛花の二人だけになった室内。凛花が俺の元に寄ってくる。


 そっと、俺の背中に手を回し抱きしめてきた。


「……頑張りましたね先輩。今日は思う存分、私に甘えていいですよ」

「今日だけ?」

「先輩が望むなら、いつでもどうぞ」


 彼女の温もりが彼女の気遣いが、少しだけ荒んだ心を癒してくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る