幼馴染(ビッチ)が正妻に勝てるわけがない①
「さい。──……ださい。起きてください先輩」
その日の目覚めは、一風変わっていた。
甘ったるい声と一緒に、左右に身体が揺らされる。
ぼやけた視界に移るのは、明るい髪色をした──
「凛花、ちゃん?」
「あれ、もう忘れたんですか。呼び捨てにしてくださいって言いましたよね」
「ごめんクセで……え、なんで居んの!?」
尻尾を踏まれた猫みたいに、勢いよく上体を起こす俺。
パチリと目を見開いて、寝起きの冴えない頭をフルで回転させる。
「先輩が言ったんじゃないですか。月宮さんが泊まることになったって。昨日、あの後すぐ寝ちゃったんで、気がつけませんでしたが」
「え……あー……」
昨日(正確には二十四時を回っていたから今日だが)、俺は凛花にメッセージを送った。その際、返事はこなかったが、朝起きてそれに気がついたのだろう。
周囲を見回す。時計は、六時を半分ほど回ったところだった。
「急いで準備してきたんですよ。ホント、困った彼氏ですね」
「ごめん。でも、さすがに夜中にあのまま放置しておくワケにいかなくてさ」
「放っておけばいいじゃないですか。何かあっても自業自得ですし」
「そう、なんだけど」
「まぁそこで見捨てられない辺り先輩って感じしますが」
「うっ……てか、どうやってウチに入ったんだ?」
「いや、普通にカギ開いてたので」
「開いてた?」
コクンと首を縦に振る凛花。
閉めるのを忘れたのだろうか。
俺はベッドから起き上がると、眠たい目をゴシゴシ擦る。カーテンを開けて、陽の光を室内に入れた。
「というか先輩」
「ん?」
「昨日は何もなかったですよね」
「当たり前だよ。ほらそこに……」
そう言って、指を差す。けれどそこには誰も居なかった。
丁寧に布団が畳まれているだけ。周囲を見回すも、幼馴染の姿はない。
「居ませんけど」
「あれ……帰ったのかな」
考えられるのは、俺の知らないうちに帰宅した可能性だ。
もう電車も動いている時間。カギが開いている事を考慮すれば、帰った可能性が高い。
「まぁ月宮さんの所在はどうだっていいんです。先輩と月宮さんが何もなかったという確証がほしいわけで」
「本当に何もない。それは断言できる。……けど、確証か」
期せずして、幼馴染をウチに泊めることになった。
けれど、何か言えない事をしたわけじゃない。しかしそれを証明する方法がなかった。
「私は心配なんです。結局先輩は、まだ月宮さんのこと好きなんじゃないかって……。私の知らない間に一晩過ごしてたとしたら、気が気じゃなくて」
動画でも回していれば何もなかったことを証明してあげられた。
けど、そこまでは頭が働かなかった。自責の念に駆られる。
「ごめん。心配させて……でも本当に何もなかったから」
「本当、ですよね?」
「うん。もう二度とこんな事起きないようにする」
「絶対ですからね。先輩は……俊哉くんは、私のなんですから」
俺の服をギュッと掴んで、力強く抱きしめられる。
俺もそっと彼女の背中に手を回した。
そうしてしばらく抱き合うと、彼女はスンスンと鼻を鳴らし始める。
「えっと、なにしてるの?」
「匂いをチェックしてます。先輩が何もしてないといっても、先輩が寝ているうちに何かされたかもしれないじゃないですか」
「でも昨日は結局二時間以上まともに寝れなかったし……平気だと思うけど」
「けど、私が来た時は寝てました」
確かに、俺が認識していない時間は存在する。
その時間に何もされていないという保証はない。
「どう、かな……大丈夫そう?」
「まぁ平気ですかね。先輩に別の女の香りがついてたら気が付きますし」
「すごいセンサーだな……」
「なので、そんな簡単に浮気出来るとは思わない事です」
「そ、それはホント絶対ないから! 凛花に嫌われたら俺、正気でいられる自信ないし……」
「大丈夫です。私が先輩のこと嫌うわけないですから」
凛花を抱きしめる力を、一層強める。
そうして彼女の温もりを再確認していた時だった。
ガチャリ、と扉が開く。
「え……何して──るの……」
レジ袋右手に、玄関に上がる幼馴染の姿を発見した。凛花とハグしている場面を、バッチリ目撃される。
少し遅れて、凛花が首だけ振り返る。
「それはこっちのセリフですよ、月宮先輩」
いつになく冷たい声色で、凛花が呟いた。
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