幼馴染が執念深い回

「どういう……こと、トシ君……」


 長い黒髪を靡かせた幼馴染が、わなわなと身体を震わせていた。彼女はすぐさま俺に駆け寄ると、焦燥感たっぷりに口を開く。


「なに、今の……。今の凛ちゃんだよね⁉︎ なんで凛ちゃんとキスして──どういうこと、トシ君!」


 俺の制服をシワが出来るくらい強く握りしめ、問い詰めてくる。俺は小さく息をもらした。


「なんでここにいるんだよ」

「あ、あたしが先に質問してるの!」

「別に月宮さんには関係ないことだよ」

「や、やめてよそんな他人行儀な呼び方。いつもみたいに愛里って呼んで!」


 涙を目に浮かばせ、今にも泣きそうな顔をしている。

 よく見れば、まぶたの下が赤くなっていた。すでに泣いた形跡がある。


「言わなかったかな。もうこれっきりにしようって。……もう俺に関わらないでくれないかな」

「……っ。ヤダ。ヤダよ……。なんでそんな悲しいこと言うの……」

「俺だって言いたくなかった。けど原因を作ったのはそっちだろ」

「ち、違うの! あたし、浮気なんてしてない。してない……から。トシ君は何か悪い夢を見たんだよ」


 まだ言うのか。

 そのしつこさに、辟易としてくる。


「いい加減にしてくれ」

「あ、あたしは許すよ。今、凛ちゃんとしてた事見なかったことにする! だから、トシ君もその悪い夢忘れよ。もう一回、ちゃんとやり直そうよ」


 自分の事を棚に上げて、本当に何を言っているのだろうか。

 悪い夢、そんな言い訳が通じると思っているのだろうか。


「やり直す気はない。もう全部遅いよ」

「ヤダ。ヤダってば! あたしにも、キス……してよ」

「は? 何を言ってんだ。そもそもキスはまだ早いとか言ったのそっちだったろ」

「それはタイミングを待ってただけなの! そろそろあたしの誕生日だったし……その時に記念としてしたかった」


 一応彼女なりに理由はあったらしい。

 アイツとは普通にキスをするくせに、何が記念だって感じだが。


「とにかく、俺はもう月宮さんと関わる気はない。もう話しかけないでくれ」

「……っ。なんで、やだ……やだよそんなの! メッセージに返事してよ、せめて既読くらいつけてよ……」

「ブロックしたからそれは出来ない」

「なんでよ……そんなのひどいよ……」


 ボロボロと泣き崩れる。

 哀愁を込めた声色は、彼女の心情をひしひしと語っていた。


 だがそれでも容赦はしない。彼女がどんな精神状況にあろうが、優しい言葉をかける気はない。


「酷いのはどっちだよ」

「え?」

「もういい。話しても時間の無駄だ」

「と、トシ君!」


 幼馴染の手を振り払うと、俺の家を目指して歩き始める。しかしそれでも、彼女はしつこく付き纏ってくる。


「帰ってくれないかな」

「ヤダ。あたしもトシ君の家に行く!」

「どんだけ勝手なんだ。……俺はもう気持ちが冷めてるんだ。もはや嫌いとかですらない」


 俺はもう彼女への関心がない。

 好き嫌いの次元ではなくなった。


「だから金輪際、俺とは関わらないでくれ」


 そうして最後にそう一言吐き捨てると、幼馴染の足取りは止まった。唖然と、その場で立ち尽くしている。そのまま重力に引かれるように、地面に腰をついていた。


 そんな彼女に目もくれず、俺は帰路に就くのだった。




 ★



 ウチに帰宅して、数学の宿題をさっさとこなしている時だった。


 ──ピンポーン


 聞き馴染みのある機械音が室内を木霊した。

 そろそろ二十一時になろうかという時間帯。俺は重たい腰を上げると、インターホンの前に立った。


 俺の住んでいるこのアパートは、まだまだ設備が充実していない。そのため、インターホンを介して来訪者の顔は見えない。声だけで応対する。


「はい。どちら様ですか」

『あ、トシ君。あたし』

「……関わらないでって言ったよな」

『あたし、ちゃんとトシ君と話したいの。中に入れてくれないかな』

「もう話す事なんかない。帰ってくれ」

『開けてくれるまで待ってる。ずっと待ってるから』


 俺は受話器を戻す。

 これ以上話していても無駄だ。生産性がない。


 もう十一月も半分を過ぎている。

 夜は十分に冷えるし、彼女の限界が先に来るだろう。


 俺はちゃぶ台の前に腰を下ろすと、再び、宿題に取りかかった。





 時刻は二十四時を回った。

 風呂などを済ませ、凛花とのビデオ通話で時間を使っていたら、あっという間に日付が変わっていた。


「おやすみ」

『おやすみです』


 スマホ越しに手を振って、通話を切る。

 さて、あとは眠るだけ。今日は久しぶりに快眠できそうだ。スマホのアラームを設定して、寝る支度を整える。


 そこでふと、幼馴染の言葉が脳裏によぎった。


 ── 開けてくれるまで待ってる、から。ずっと待ってるから


 念のため、確認だけしておくか。

 俺は電気を消す前に、玄関へと向かった。


 ガチャリと扉を開ける。


「……っ! なに、してんだよ……」

「と、トシ君。あはっ……やっと開けてくれた」


 するとすぐそこに、座り込む幼馴染の姿があった。

 寒さからか手も顔も真っ赤になっている。吐く息は白く、少し外に出ただけでもブルッと来る寒さ。


「こんなとこに居たら身体壊す。何考えてんだよ!」


 あれからずっと、三時間以上ココに居たのか? 

 いくらなんでも度を越している。


「だ、だって嫌なの……こんな形で、トシ君との繋がりが消えちゃ……イヤ」

「だからって……もう帰ってくれ」

「もう終電行っちゃったよ」

「それならタクシーがある」

「そんなお金ないよ。それにあたし、トシ君と話さずに帰る気ない」

「俺はもう話す気はない。タクシー代なら渡す。だから帰ってくれ」

「ヤダ。あたし、トシ君が家の中に入れてくれるまで待ってるから」

「……っ。勝手にしろ」


 俺は玄関を閉める。

 ふざけてる……全部、あっちの責任じゃないか。


 俺にバレなければいいって甘い考えで好き勝手して……今更、なにを言っているんだ。


「──はぁ」


 俺は重たく息を吐く。

 乱雑に頭を掻いた後、再び玄関を開けた。


「トシ君……?」

「……入れよ」

「いいの?」

「そんなとこにずっと居られたら、ご近所さんの迷惑だ。それに何かあった時、責任を負わされたくない」


 このまま夜が明けるまで、あんな場所でずっと座り込んでいたら風邪を引く。いや風邪どころの話では済まないかもしれない。とにかく、放っておける問題ではなかった。


 パアッと目を輝かせると、幼馴染は腰を上げる。

 長い間座っていたせいか、身体が揺らめいた。反射的に彼女の手を取る。


「だ、大丈──」


 ……なに心配しようとしているんだ俺は。

 すぐさま、手を離し視線を逸らす。彼女の手は、驚くほど冷たかった。


「ありがと、トシ君」


 俺は小さく嘆息すると、やむを得ず幼馴染を家の中に入れることにした。

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