この次からざまぁ回

「……なんとか戻れましたね」

「嫌な汗掻いた……」


 無事、トイレから帰還して元のテーブル席に戻ってきた。

 一時はどうなるかと思ったが、愛里がスマホに夢中になっていてくれて助かった。


 四人用のテーブル席。

 本来向き合って座るところだが、俺と凛花ちゃんは横並びで座っている。身バレのリスクを減らすためだ。


「先輩」

「ん?」


 凛花ちゃんが距離を詰めてくる。

 ピトッと肩が当たると、それに続いてコツンと頭を乗せてきた。シャンプーの甘い香りが、鼻腔を刺激する。


 凛花ちゃんは、そのままゆっくりと俺の肩から膝の上へと滑り落ちてくる。気づいた時には、俺が凛花ちゃんに膝枕する形になっていた。


「頭撫でてください」


 甘えた声色でお願いされる。……こ、この子、ちょっと大胆すぎないですか。


「……これでいい?」

「はい。私がいいって言うまで辞めちゃダメですよ」


 優しく、一定のリズムで頭を撫でてあげる。サラサラでずっと触っていたくなる病みつきの感触。


 何をしたらこの髪質になるのやら。

 後ろの席の愛里に聞こえないよう、小さな声で問いかける。


「凛花ちゃんって、甘えたがりなの?」

「そうですよ。だからいっぱい甘やかしてください」

「仕方ないな」

「私だけ、ですよ。私だけ……甘やかすんですからね」

「分かってるよ」

「えへへ」


 幸せそうに破顔する凛花ちゃん。なぜかこっちまで嬉しくなってくる。


 と、左ポケットが唐突に震え出した。


 ブルッと短い振動。間近にいた凛花ちゃんも気が付いたようだ。

 スマホを取って、通知の中身を確認する。


「……どうかしたんですか」


 凛花ちゃんが上体を起こす。口で説明するよりも先に、スマホを見せることにした。


『ひまー』

『トシ君構って』

『まだバイト休憩じゃないかな』


 愛里からのメッセージだ。

 小分けにして、メッセージが届いている。


 ……なにが暇、なんだろな。

 絶賛、真太郎と仲良くファミレスにいるくせに。


 凛花ちゃんが心配そうに俺を見つめる。

 俺はフッと小さく笑うと、愛里からのメッセージに既読をつけた。


「俺、今からすごい性格悪いことするけど……いいかな」

「いいですよ。他の誰が批判しようと、私が許可します」

「ありがと」


 凛花ちゃんの許可の有り無しは、実の所関係ない。

 ただ、彼女にだけは幻滅されたくない。だから事前に許可を取っておきたかった。


 俺は慣れた手つきで愛里にメッセージを送る。


『ちょうど良かった。バイト早く終わったんだ。今から会える?』


 すぐに既読がつく。


「……っ。今から、か」


 後ろの席から声が聞こえる。愛里が独り言だ。


『うん。会えるよ♪』

『よかった。じゃあ、駅前のサ◯ゼでいい?』


 今、俺たちがいる場所を目的地に指定する。


「っ。ど、どうしよ……」

「なに慌ててるんだ?」


 パタパタと慌て始める愛里。

 ちょうどトイレから帰ってきた真太郎が言及する。


「今からトシ君と会うことになったの。でも待ち合わせ場所、ここがいいって。早く身支度整えて一回出直さなきゃ。あ、あと私服に着替えないと」

「……相変わらず身勝手だなお前。先に約束していたのはオレだろう」

「は? 物事に優先順位があるの分かんない?」

「まあいいか。元々今日は時間潰しに付き合わされているだけだしな。その常に誰かと一緒にいないとダメな性格、早く治すといい」

「余計なお世話。真太郎こそ、その病的なまでのシスコン治しなよ。マジキモいから」

「世の中の女が、総じて凛花の足元にも及ばないのが悪い」

「うわ……マジきも……」


 険悪なムードが立ち込める。

 凛花ちゃんがそっと耳打ちしてきた。


「作戦通りですか? 先輩」

「いやここまでなるとは思ってなかった」


 再び、スマホが振動する。


『大丈夫だよ』

『ちょっと遅れるかもだけど、すぐ行くね』


 小分けにしてメッセージが送られてくる。

 真太郎との予定をキャンセルして、俺を優先してくれるらしい。


 愛里は慌ただしく身支度を整えると席を立った。


「じゃ、あたしもう行くから」

「待て。それならオレも行く」

「は? 万に一つ、あたしと真太郎が一緒にいる場面目撃されたらどう説明すんの。責任取れんの?」

「十分リスクのあることしておいて、よく言うな。実はとっくにトシヤにバレているんじゃないか」

「あたしは、トシ君にバレないよう細心の注意図ってる。そもそもトシ君はあたしに嘘つかないし、素直で分かりやすいんだから。もしバレてたら、あたしがそれに気付かないわけない!」


 苛立ちを含んだ声色で説き伏せる愛里。


 確かに浮気を知るまでは俺、愛里に嘘吐いた事なかったかもな。正直にバイトの日は報告して、早めに終わった時はその都度連絡していた。


 浮気を目撃した日曜日だけが例外だった。


 ……あの日は、別の用事を済ませていたからな。そのために愛里に連絡するのは怠っていた。


「じゃーね。真太郎は少ししたら帰って」


 愛里は吐き捨てるように言うと、そそくさと店を後にする。一人になった真太郎は、小さく呟く。


「……はあ。会計はオレ持ちか」


 真太郎は少しの間一人で過ごすと、レジへと向かっていった。




 少しずつ、周囲の空気が弛緩していく。

 いつもの声量で喋っても、もう大丈夫そうだ。


「ふう……バレずに済みましたね」

「ああ。なんか寿命縮まった気がする」

「ですね。さて、私達ももう出ないとですね」

「なんで?」

「だって先輩、これから月宮さんと会うんですよね」

「え? 会わないよ」


 呆気らかんと言う。

 凛花ちゃんは、眉をひそめて不思議そうにした。


「え、でも会う約束してましたよね」

「約束しただけ。折を見て適当な理由つけてドタキャンするよ」

「うわぁ……先輩、性格悪」

「いや先に断ったよね。今から性格悪いことするけどいいかって」

「それはそれ。これはこれです」

「げ、幻滅した?」

「幻滅しました」

「……っ」

「嘘です。そんな世界の終わりみたいな顔しないでください。このくらいで幻滅しませんよ私は」


 ふわりと微笑む凛花ちゃん。

 この子の笑顔は、何故だか俺を安心させてくれる。俺まで自然と笑顔になってきた。


 俺は頬を人差し指で掻く。


「ごめん、実は俺も嘘ついた」

「嘘ですか?」

「今言った愛里に会わないってのは、冗談。いや本気でそうしても良いかなとは思ったんだけど、それよりもしたい事があってさ」

「なんですか?」

「これから愛里に会って、別れ話を切り出そうと思ってる」

「別れ話って……えっ?」


 まぶたを瞬かせて、当惑する凛花ちゃん。


「まだ仕返しも出来てないのに、芯がブレブレだってのは分かってる。でも俺、すでに愛里に時間を割くのに嫌気が差してるんだ。もう、正直──愛里の事なんてどうだっていい」

「先輩」

「だから、さっさと愛里と別れて……凛花ちゃんと正式に付き合いたいって思ってる……じゃなくて、えと、愛里と別れたら俺と付き合ってください」

「……っ」


 恥ずかしさやら恐怖やら色々な感情が混ざって、俺の精神状態が混沌としていた。

 ただそれでも、ここで逃げたら男が廃る。勇気を振り絞って告白に一歩を踏み出した。


「……だ、大丈夫? 凛花ちゃん」


 凛花ちゃんは頬を紅潮させると、ポツポツと涙を落としていく。その反応に、俺は焦ってしまう。


 凛花ちゃんは制服の袖で、涙を拭き取りながら。


「ち、違うんです。嬉しくて──すみません。やだ、涙止まんない……はい。私でよければ、ぜひ先輩のカノジョにしてください」


 それからしばらく、凛花ちゃんは泣いていた。

 彼女の想いを間近で感じて、俺はより決意を固める。


 これから、愛里に別れ話を切り出そう──と。

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