ミッション中断?

 HRの時間が近づき、教室へと戻ってきた。

 窓際の一番前の席に座ると、俺に近づいてくる人影があった。


「おはようトシヤ」

「……お、おはよ」


 人影の正体は親友──元親友の中条真太郎なかじょうしんたろうのものだった。

 眼鏡越しにも分かる眉目秀麗な容姿。少し近寄りがたい怜悧な顔つきをしている。


「どうした? なんか元気ないな」

「え、あ、あぁ睡眠不足だからかな」

「ちゃんと寝たほうがいいぞ。睡眠時間を削っていい事はないからな」


 ……誰のせいだと思ってんだ。


「でも、中々寝付けなくてさ」

「ふむ。では俺のオススメの睡眠法を伝授してやろう」

「オススメの睡眠法?」

「ああ。凛花を数えるんだ」

「は?」

「だから、凛花を数えるんだ」


 いきなり意味の分からない事を言われる。

 ポカンと空いた口が塞がらなかった。


「要領は羊を数えるのと同じ。羊をオレの妹、凛花に置き換えるだけだ。脳内で何人もの凛花が現れる。そんな幸せな事はないだろ? まぁ弊害として幸せすぎて眠れないのだが」

「相変わらず頭おかしいなお前……。てか、凛花ちゃんが聞いたら鳥肌モノだから絶対言うなよ」

「それならもう手遅れだ。前に一度言ったことがあるのだが、全力で軽蔑と侮蔑の視線を受けた。二週間くらいは一切口を聞いてくれなかったな。ただでさえロクな会話がないというのに……凛花のツンデレには困ったものだ」

「それをツンデレとは呼ばねぇって……」


 彼の、重度のシスコン性能は健在のようだ。

 真太郎は眼鏡のブリッジに中指を置くと、クイッと持ち上げる。


「なんだ、せっかく優良情報を教えてやったというのに。まぁアレだ。月宮さんとカノジョになったから、浮かれているんじゃないのか? どうせ夜遅くまで通話でもしていたのだろう」

「そうだったらよかったな……」

「ん?」

「いや、なんでもない。ああ、そうだ。真太郎に聞いてみたいことがあったんだ」


 俺は作り笑顔を浮かべると、ジッと目を見つめる。


「なんだ?」

「真太郎って愛里のことどう思ってる?」

「どうって、トシヤのカノジョだと思っている。オレにも気軽に話しかけてくれるしな。明るくて可愛い子と言った感じだ。ああ、安心しろオレは凛花一筋だ。月宮さんに恋愛感情は抱かない」

「そっか」


 俺の質問の意図が読めない。

 そんな風な表情と言動だった。


 妙な沈黙に落ちると、真太郎は口角を僅かに上げた。


「まあ、可愛いといえど凛花には敵わないがな」

「ホント、シスコンだなお前」


 チャイムが鳴る。

 その音に続いて担任が教室に入ってきた。「じゃあな」と真太郎が自席に戻っていく。


 いつもと変わらない朝の風景。

 けど今だけは、少し違って見えた。



 ★



 結局、今日はこれといって何か行動を起こすことはなかった。


 授業の合間に、愛里が俺のクラスにやってきて軽い談笑を交わし、昼休みには一緒に昼食を取った。

 真太郎とも、いつも通り会話を重ねた。客観的に見れば、何も変わらない日常風景。


 けれど、心に穴が空いたような空虚感があった。


 愛里と真太郎が接触する機会もあったが、特に不自然な様子は見られなかった。

 いつもと変わらぬ距離感。男友達と女友達。まさにそんな距離感だった。


 でも、昨日見た映像が脳裏に焼き付いて離れない。



「──い。……先輩。先輩ってば! 聞いてます?」


「あ、あれなんだっけ?」



 ボーッとしていると、ぷにっと頬を指で突かれる。

 顔を上げれば、目の前に凛花ちゃんの顔があった。


 現在。俺の家にて。

 昨日と同じく、ちゃぶ台を挟んで俺と彼女は対面している。


「私と先輩がどうやってバレずにイチャイチャするかって話をしてた最中じゃないですか」

「そっか。そんな話をしてたっけ」

「大丈夫ですか? 先輩」

「大丈夫……うん、大丈夫」

「一旦、休みましょうか。私、なにか作りますよ」

「いいって。ホント大丈夫だから」


 腰を上げてキッチンに向かおうとする凛花ちゃんを引き止める。


「でも」

「あのさ……自分でもバカだと思うんだけど、ちょっと聞いてもらっていい?」


 今日一日を経て、実際に愛里と真太郎と接してみて思ったことがある。


「はい。なんですか?」

「昨日、俺が見た浮気現場は見間違いだったんじゃないかなって、思うんだ。きっと、他人の空似。似ている人を愛里と真太郎だって見間違えたんだよ」

「え?」

「だって改めて接してみて、どこにもそんな気配がなかったんだ。あいつらが俺に隠れて付き合ってるとか、そんな風にはとても見えなかった」

「な、何言ってるんですか先輩! 浮気現場については私も目撃してます。それに、怪しい行動はあったじゃないですか! それこそ、朝一緒に登校してる確率が高いこととか、きっと隠れてイチャついてたりもしていたはずです」


 ちゃぶ台に両手をついて、説き伏せようとする凛花ちゃん。

 彼女の言い分が正しい。そもそも俺はこの目で、浮気現場を目撃している。


 俺の言い分に、筋が通っていない。完全な感情論だ。


「でも、そんなに簡単に嘘って吐けるかな。俺、あいつらが嘘吐いているように見えなかった。自分でもバカだって分かってる。でも、信じたい気持ちが芽生えてきてて」

「先輩……」

「きっと何かの間違いだったんだよ。あいつらが、そんな事するわけがない。……凛花ちゃんには悪いけど、仕返しの件は白紙に──」


 そこまで言いかけて、俺は声を詰まらせた。

 凛花ちゃんが右手開いて、俺の顔の前に突きつけてきたからだ。


「その判断は待ってください。私に提案があります」

「提案?」

「はい。確実な浮気現場の証拠を押さえましょう」


 前のめりになって、俺との距離と詰めてくる。


「親しい人に裏切られて、その現実を飲み込めない。当たり前だと思います。でも、ダメです。このまま見過ごして良い問題じゃない。見過ごしていたら、先輩がもっと傷つくことになるから。……辛いと思いますけど、私が一緒に居ます。だから現実を見ましょう」

「凛花ちゃん……」

「よし、そうと決まれば、すぐ決行です。今から行きましょうか先輩!」

「え、まだ決まったわけじゃ──ってか今から行くの?」


 凛花ちゃんが俺の腕を引っ張る。


「当たり前です。探偵に休んでいる暇はありませんから」


 ニコッと口角を上げる彼女の連れられるがまま、俺たちは浮気の証拠集めを始めることにした。

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