私くしの実話奇譚
@7241
第1話
信じるか
信じないかは
あなた次第の
奇妙なお話しでございます。
私くしが
生まれ育った
お家は
岐阜の飛騨地方
世界遺産の白川郷が
ある地域、
深い雪と山々に囲まれ
清流が美しき
小さな田舎町
先祖代々
受け継いだ 広き土地に
築100年の
時を刻んだ
お家は
宮大工の祖父が
自らの手で幾度も
修繕、増築され
山々と
田園風景に溶け込み
風情ある
佇まいだった。
その頃は
いくら田舎といえど
電気、ガス、水道
ライフラインは整い
一世帯に
ブラウン管カラーテレビと
愛車を2台所有
どこの家庭も
便利さを求め
電化製品や娯楽を
愉しむ
快適な生活様式が
普通の時代に
祖父母は
生きる力
暮らしの知恵を手放ばなす
ことをしなかった。
自然の資源、恵みに
恩恵を受け
季節や天候に
左右されながら
食べるために
生きるために
自給自足する
時間がかかる
手間が多い生活を愛し
山岳信仰から
山や川、あらゆる自然には
神様が宿っていると
信じ感謝と祈りを捧げ
大昔より受け継いできた
田舎の伝統生活を
慎ましく営んでいた。
生活用水は
庭の深井戸から
お風呂は山水を引き
洗濯は祖父、手作りの
たらいと洗濯板を持ち
近所の湧水場へ足を運ぶ。
食事の煮炊きは
「土間の釜戸」で行い
薪風呂だった為
毎日の暮らしに
欠かせない日課は
薪を燃やし
火を起こすこと。
祖母から教わり
お風呂を沸かしている間
何度か薪をくべにいくのは
私くしのお手伝い仕事だった。
薪火の湯温度は高めで
強烈に体の芯から温まる。
お手洗いは
家の中にはなく
庭の離れたところに
汲み取り式の
ボットン便所小屋があり
落とし紙を使った。
夜中は
怖いので必ず祖母を呼んだ
冬の飛騨は
凍てつく
寒さが嫌だったけど
冬空は 降ってきそうな
満天の星が輝き
祖母と一緒に
星を眺め 数えた記憶が懐かしい。
隣近所といっても
離れているが
同じ集落、農家の人々は
お米、旬の採れたて野菜を
収穫すると
何も言わず 裏口に「お裾分け」で
置いてゆくのも
田舎の日常的な
光景で
大きくなるまで
野菜や柿、栗などは
家の庭にある
畑や木から採るか
お米は
ご近所から貰えるもの。
卵は鶏小屋へ
取りに行くもので
祖母は
時々、鶏を絞めていたし
マタギの親戚爺が
鹿、イノシシ肉をくれたり
年中、渓流釣りの匠
お隣の爺様が
しょっ中
釣ったばかりの新鮮な
鮎や川魚を
お裾分けしてくれたし
町内で
代々、家族で営む
自家製
味噌、醤油蔵の醸造所があり
なくなる頃を見計らい
家へ配達してくれる環境が
普通だったため
「食材」を お店で
買うものだという認識が
私くしにはなかった。
そして、祖母は
日本の四季折々、美しい習慣
年中行事を大切にしており
「飾って形に表すのが礼儀
ご先祖さまに想いを馳せ
自然に目を向け
目に見えないものに対し
祝い感謝の心を
季節のものに託し
神様に供え感謝や祈願をせにゃいかんなも」と
口癖のように云っていた。
年末年始は
正月から松の内まで
来客に出すための
おもてなしと新年を祝う
「お節料理」
我家は5段の重箱を
二つ分作るため
祝い肴と口取り
「焼き物」「根菜」「煮物」「酢の物」etc
祖母と母は
てんや わんやで
台所に立ち
元旦の朝は
家族全員、必ず着物を
着ることから始まり
神社や山神様を祀る社へ
初詣へ訪れ
一族全員が集まり
新年の挨拶が終われば
お餅つきが
始まるのです
蒸籠の4段重で
餅米を
釜戸で蒸しあげ続けるが
この日の釜戸の炎は
いつもと違い
清らかで
激しく轟々と燃え
清々しい炎を眺めるのが
気持ち良く感じられ好きだった。
広い土間で
臼と杵で
皆で「餅つき」をする
一族全員、ご近所へ配る分の
お餅、鏡餅をこさえる
親族総出の作業は
活気と幸せな空気に満ち
つきたてのお餅は
とびっきり美味しく
きな粉、あんこをまぶしたり
味噌の甘いタレ、磯部焼き
お雑煮で食べ
子供らは
祖父手作りの凧揚げ、羽子板
かるたとりで遊ぶ
岐阜は雪深き地域
よく降り積もった年は
雪遊びで
かまくらや
雪兎、雪だるまを作り
かまくらの中で
お汁粉を頬張ったり
お年玉を貰い
七草粥やら
愉しみ過ごすのが
毎年の年末年始の
一族恒例行事だった。
私くしは
物心がつき
記憶がある時から
祖母の
田舎伝統生活が日常で
普通のこと
それしか
知らないため
便利な暮らしをする
同級生との違いに
ストレスなど感じなかった。
大人になり
日本昔話しの生活環境は貴重な体験で
豊かな暮らしだったと
祖母に感謝しかない
しかし
先祖や祖父母が守り続けた暮らしが
崩壊する出来事が訪れるのであります。。。
両親の先祖代々、受け継いできた
伝統の田舎生活様式を
反面教師に
6人の子供達は
街の進学高校へ通うため
街で新聞配達や住込下宿しながら
猛勉強と努力の末
東京の難関大学や国立大へ進学。
それぞれが家を巣立ち
東京や都会で
地位&高給取り
弁護士、医者、企業者と成功し
家庭を持った。
父親(祖父)が亡くなった時
母親(祖母)が 1人暮らしとなる事を
一番、案じたのは
東京の大学卒業後
そのまま
都内の大手企業に就職、結婚していた
「四男の父」だった。
他の兄弟妹達は
仕事都合や
子供の
学校問題、同居に難色の嫁等の理由から
転居が困難。
母の父も
娘や初孫が
岐阜の山奥へゆくなど
こんな事になるなら
結婚などさせなかったと
猛反対した。
ちなみに
母の実家は地域で
長く続いている
家系の旧家。
それなりの社会的地位を
古くから維持してきたようなお家柄、本家3人姉妹、母は次女。
実母は結核を患い
母が5歳で他界。
すぐに、後妻がきて
異母妹が生まれ
父は代々続く
商いを手広くやっており
不在が多く、時代的に
芸者遊びも派手なもので
家庭を
まだ若い継母に
任せっきりの環境は
ネグレクトになり
継母は実子だけを溺愛。
歳の離れた姉と妹(母)には
他人行儀の無関心
愛情を与えることもせず
夫の前だけ良き妻を演じ
姉だけが
妹を守ったが
実母の死は
まだ、幼き5歳の母には
受け入れられず寂しさと
継母の冷たさに
心を閉し
壊れかけたそうだ、、
そんな環境背景から
母の実家へ里帰りすると
祖父は溺愛、心から可愛いがってくれるも
継母と母は
お互いが他人行儀な感じだったし
叔母さん(異母妹)と
母の扱いの違いは
子供の目からも
明らかで
継母(義祖母)の冷たい感じが
いつも苦手だった。
本家の屋敷庭には
大きく 真っ黒い
ドーベルマンが放し飼いで
二頭、飼われ
嫌らしいぐらい
継母に懐ついており
母と私に対し
低い
警戒の唸り声を
ウゥ〜と上げ
強烈に怖かった記憶が
今も鮮明に残っている。
母は 東京の大学卒後
就職、結婚、目黒に新居を構え
結婚式は
松田聖子と神田正輝が
後に挙式した事でも有名な
カトリック碑文谷教会(サレジオ教会)
という、とても素敵な教会で挙げ
母いわく、人生で最高に
幸福を味わえた瞬間だったわと
聞かされた事がある。
しかし、、
突如、夫から故郷で同居暮らしを懇願され
その時、迷いはあったが
母のお腹には
初めての子供を身ごもっていたし
継母と長年の確執は
実家との関係を気薄にさせ
離れる寂しさはなく
生まれる新しい命と愛する夫に
ついてゆくしかないと思った。
夫の母親とは
遠距離もあり
結婚の挨拶、結婚式ぐらいしか
交流がなく
よく知らない姑と突然の同居と
当時の
山間の田舎暮らしは
スーパー、娯楽施設等
街頭、公共施設すらなく
バスもなく
駅は遠く本数も少ない
車がなければ
生活困難地、、。
閉鎖的で
独自文化も根付く
田舎の集落、村社会は
都会育ちの
よそ者
自ら田舎生活スタイルなど
望んでいない
母にとって
その慣れない環境への不安は
大きかった。
現代になっても
釜戸で火を焚く
事が生活の中心
先祖代々の伝統田舎暮らし
生活様式などは
とても、馴染めず
初産の母には辛いだろうと
父は家の敷地内に
ガス、水道、電気が
完備された
小さな家(1LDK)を
建ててから
会社の岐阜支店へ
異動願いが通り
一家は転居した。
私くしの生まれる
うんと前のお話し。
そして
祖母のお家には
我が一族が
表向き
世間様には知られたくない
ひっそりと守ってきた
人物が
おりましてね
政治家や
著名人らが
密かに足を運び
その「世界」と岐阜県内では
名の知れた
真の力のある
霊能者であった
「曾祖母様」が生きていた時代。
「奇譚②」へ続く〜
私くしの実話奇譚 @7241
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