第2章 12話
話さなくなった理由を気にする人が多いのだが、訊かれても困る。
特段の理由がある訳ではないのだ。
ただ、話しても、話さなくても、同じだというだけのことなのだ。
話したところで、何も状況が変わることはない。一方で、話したら誤解され、責任が自分に押し付けられることもある。だから、話さなくなった。本当に、それだけのこと。
「あなたは間違ってると思う」
ルチルが記憶している限り、自分が発した最後の言葉はこれだった。恐らく、今後、発することはないだろうから、人生最後の言葉になるかもしれないが。
ルチルが重い目蓋をゆっくりと開けると、真っ白な世界だった。
病院の一室だということは、少しすると分かった。身体を起こそうとしたところ、直ぐに制す声があった。
動くな、と静かな声で止めて来たのは、ウヴァロヴァイトだった。
ウヴァロヴァイトは、ベッドの隣に、金色で美しい装飾がされた椅子を置き、そこに座ってルチルを見詰めていた。
「目が覚めたか?」
ルチルは、手を握ったり開いたりした。感覚に異常はない。幸い、まだ戦えるようだ。
職業柄、怪我をすることは多い。実際、この顔も今は包帯が巻かれている。一年前に、マンションが焼かれる時、ウヴァロヴァイトとともに逃げるため、火傷を負ったからだ。それでも自分の身がどうなるかに関しては、何も感じなかった。
違うのは、ウヴァロヴァイトだった。
今回も、長い指を組んで恐ろしい顔をし、じっと一点を見つめている。
「もう、在庫処分をすることにした」
ルチルがじっと見つめる中、ウヴァロヴァイトは切々と語った。
「馬鹿なシマウマどもが、反乱を起こしていることが分かったからな……ルチル、お前にも怪我をさせてしまった。そういう馬鹿どもは一掃するしかない。但し、そんな簡単には死なせてやらないぞ。最も残酷な始末の仕方をして、私に逆らったことを後悔させてやる」
ウヴァロヴァイトが手を伸ばして来る。ルチルの指と指が重なった。
「だから待っていてくれ。ルチル」
彼の手だけは何時も、どんなに血で汚れていようが暖かいのだ。
「既に手は打ってある。入って来い」
ウヴァロヴァイトが引き戸に向かって声を投げる。
「はぁーい。お注射しますよー」
やたらと甘ったるい声を出しながら入って来たのは、オパールだった。
ピンクモカの髪をツインテールに束ね、ピンクのナース服からは巨大な胸が漏れ落ちそうになっている。
「あらぁ。夫婦水入らずで、いちゃいちゃタイムのところに私、入って来ちゃって良かったんですの?」
「相変わらず騒々しいな」
ウヴァロヴァイトは呆れて耳を掻いた。
「オパール。既にお前にはおおよその情報を渡しているが、文化祭でステージをするだけではなく、仕事が一つ増えた」
「あらっ」
オパールは手で口元を隠した。
「私に仕事を頼むのならば追加のお金が必要ですのよ」
「勿論、働いた分はきっちり払うさ」
「後払いの仕事はお請けしませんの。まぁ、まずは内容を教えてくださる?」
胸の谷間から注射器を取り出し、オパールは首を傾げた。
「我々が在庫確保の為に小学校に乗り込んでいることは伝えたな? 文化祭の混乱に乗じて、全ての生徒を始末する」
「それを、どうして私に依頼するのですか?」
「一番は、お前は金で確実に動くからともに仕事をやりやすいというのがある。それと、私は、弱い存在が当然に排除されるという世の中の風潮がとても退屈なんだ。女性、障害のあるもの、病気を持っているもの、意見の言えないもの、そう言う者が負けるのがつまらない」
「なるほど。そう言うことなら納得ですわ。でも、弱い存在と言うなら子供を守るのが一番では?」
「子供の何処が弱い? 彼奴等は親や教師や法律に命を守られていて、何があればすぐ可哀想がられる」
「それに、私、性別、見かけに関わらず、本当に弱い乙女なのですよ?」
力説するオパールだが、彼女が、自分にとって不要となったものを皆酸で溶かしてしまうのは有名な話だ。
その頃、ジェードはピンチに陥っていた。
ルチルが入院している間に、もう一人、今迄のばらばらにされた生徒と同じように、生徒が死んだ。死体が放置されても、最初に殺害された人の右後ろの席である。
其処に文字を探すようになってしまった。胴の部分を転がすと、またアルファベットの文字列があった。
「C」「a」「p」「e」「l」「l」「a」
顎に手を当てて考え込んでいたジェードに、体当たりするように少年がぶつかって来た。ジェードは耐えきれずに前に倒れた。
「いたっ」
思わず全く芸のない言葉を漏らしてしまう。
ジェードがぶつかったところを押さえながら振り返ると、あのくるくるの髪の少年が、涙目で突っ立っているではないか。
「お前は……」
そう言えば、何度も会っているが、彼の名前すら知らないことを今知った。
「何の用だ」
「せっ、先生……」
「先生、とは随分だな。俺が本当の教師で無いことなんてとっくに知っている癖に」
まぁ、他に呼び名が見つからないのは事実だろう。
黙ってしまったくるくる頭の少年を睨んで、ジェードは仕切り直した。
「で、何の用だ」
「先生、助けてください!」
「助けるだと? 俺はお前たちの命を奪いに来ているのに」
「ちがっ、違うんです。ちが……」
少年の口からツバが飛ぶのをため息交じりに眺めた。
ジェードは、むすっと眉根を寄せながら少年を見詰めた。
「僕は、校長先生の支配から助け出して欲しいわけではない、です。それは、先生だって、手伝えないでしょう、から。はい」
たどたどしく喋る少年の目は、真っ赤に腫れあがっている。
「僕は、六花美織ちゃんの支配から、皆を助けて欲しいんです。先生に、です。はい」
「六花美織だと」
ジェードが急に前のめりになったものだから、少年は高く飛び上がって、とうとう泣きだした。
ジェードの口から舌打ちが出る。
「矢張り、六花美織は、この学校の中にいるのか……」
「美織ちゃんは僕たちのクラスにいますよ」
僕たちクラスメイトが美織ちゃんにどんなことをされてきたのか、到底口にするのもおぞましい、僕の日記を見てくださいと、少年は両手で、抱き締めていた日記帳を差し出してきた。
六花美織を始末する指示なら、ウヴァロヴァイトから既に受けている。この少年に加担することに特に問題は無いだろう。逆に、少年に協力することで、六花美織の素性に近づくチャンスになるかもしれない。
自分が担当しているクラスにいるというのは、非常に面倒だが。
「六花美織がクラスを支配している……? 六花美織っていうのは、どんなやつなんだ?」
「美織ちゃんは、真っ白いおかっぱの女の子です」
額を押さえる。クンツァイトと同じ感想を持つなんてどうなっているのだ。
「外見の説明は良い。どうせ姿を変えてるんだ。そいつの行いを教えろ」
「美織ちゃんは、学校の中にチームを作っていて、しかも、そのチームメンバーを殺しています」
少年に渡された日記に目を通す。
其処には、「ダイヤモンド」を名乗る六人の子供の日々が書かれていた。
「ダイヤモンド、ねぇ……この中の一人が六花美織ということか」
「美織ちゃんの狙いは、この学校を乗っ取ること。あの変なライオンの校長先生が現れて、その計画が狂ったのは僕たちがちゃんと働かないからで、だから、僕たちの命を全部奪って、王国を作り直そうとしているんです、と思います」
一先ずこれは、ウヴァロヴァイトに渡さねばなるまい。
急いで踵を返すジェードの着慣れぬスーツの裾を、少年が掴んだ。
振り返るとその眼は真剣そのものだった。
「お願いします。先生しか頼れる人はいないんです。美織ちゃんを止めて」
「……日記によれば、お前は六花美織が好きだったんじゃないのか?」
「これは美織ちゃんに拾われてしまっても良いように書いた嘘です。先生みたいに信用できる人を見付けたら渡そうと思って、大事に持ってました」
その眼差しはジェードに、幼い兄弟たちのことを思い出させるに充分であった。
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