第2章 8話
ジェードとルチルが生徒宅で働いている間、ウヴァロヴァイトは休み時間に生徒たちを遊ばせていた。
何度も繰り返すようだが、在庫の健康管理は大切なのだ。死なれては使い物にならない。楽しみも与えておかなくてはならない。
校庭から出ないように部下の女たちに見張らせつつも、自由に走り回らせていた。
とにかく大人しく従っていれば、死ぬことはないかもしれないと、思わせておく。これがパニックを防ぐ工夫だ。
なお、一人でも風紀を乱すようならこうなるんだぞというその姿を、ちゃんと見せておくのも重要である。
ウヴァロヴァイトの視点で風紀を乱したと感じる者たちを集めさせ、校庭の真ん中に集合させる。もうこの時点で、集められた子らは泣いている。他の子たちは教室に返し、教室からその様子を見させる。
此処で、呼び出すのがクンツァイトだ。
「やぁ、生徒の諸君。我はキュートな王子、クンツァイトである」
クンツァイトはマントを翻して胸に手を当てて礼をした。
「子供たちに命がけとはどういうことかを学ばせるよう指示があった。故に、このクンツァイトが鬼ごっこを提案しよう」
クンツァイトが手を叩いて子供たちを囃し、後ろ足を蹴り出した。校庭の砂は乾いていて、クンツァイトの軽い走り方に巻き上げられて、辺りが砂埃になる。もうもうと上がる砂埃と、泣いて逃げ回る子供たちの姿を、ウヴァロヴァイトは頬杖を突き、上の階から笑って見ていた。
ここは校長室。学生たちの今の執務室である。
クンツァイトは上り棒に掴まって簡単に飛び上がったり、まるで羽のような重力を感じさせない動きで、子供たちに追いつくと、袋にぽいぽいと入れて行く。
「折角、あの子たちには走って逃げられる足があるのに、あれでは足の意味が無いな」
ドアが開く音がして顔を上げる。四回ノックの音がして、武器を構えたところで入れと命じる。ややあって、ルチルが、白い皿に魚の形のケーキを載せて入って来た。
「ポワソン・ダブリルか。其処においておいてくれ」
ルチルが静かに皿をテーブルに置く。切ったリンゴがうろこ状に並んでいる。ウヴァロヴァイトは手を打った。
「良いじゃないか。三月に試作を食べた時は、まだまだだと思ったが、あれから練習したんだな。知っているか、ポワソン・ダブリルの魚はサバ、フランス語でサバには淫売宿の主人という俗語があてはめられているらしいな」
フォークを手に取り、ルチルの目を見て微笑む。
「私にぴったりだと思うか?」
ルチルは勿論、ウヴァロヴァイトの問いに答えない。顔色一つも変えない。呼吸の一つも乱さない。ウヴァロヴァイトもそれを知っていて、ポワソン・ダブリルをナイフで切りながら、声掛けを続ける。
「出席していない生徒の家に行ってみて、首尾はどうだった?」
こうやって帰って来ているということは、問うまでもなく、首尾は良かったのだろう。ウヴァロヴァイトは、そう確信しつつも、話を続ける。首尾が悪かったら、いくらルチルだろうと、どの面下げて状態になるし、戻っては来ない。それなら死を選ぶのが彼女だ。
それでも問うのは、彼女が話を黙って聞いている、この時間が結構、ウヴァロヴァイトのお気に入りだからである。同業者には、お喋りなやつらが多すぎる。
「ジェードをつけて正解だったろ? あいつはああ言うのが得意なんだ」
ルチルは無言でコーヒーを出して来る。ウヴァロヴァイトは、そのカップに四つの角砂糖を放り込みながら、話を続けた。
「我々のような仕事の者は、大概皆、この状況になったら感情が止められないというトリガーを持っているものだ。ジェードは子供がトリガーポイントとなりうるのさ」
恐らくそれはルチルにもあるはずだったが、それが何なのかは、ウヴァロヴァイトも知らないことだし、知らなくて良いことだった。
「だが、お前は勘違いしているかもしれないな、ルチル……」
ルチルが涼し気な瞳を向けて来る。
「気になるか? ジェードについて、何を勘違いしていると思うか」
ルチルは目を伏せた。彼女にとっては、ウヴァロヴァイト以外はどうでもいいことなのだ。恐らくは、ジェードに興味を持ったのも、ウヴァロヴァイトが狙われる要素の一端になっては困るという程度だろう。
ウヴァロヴァイトは、それを気分よく思い笑いながら、コーヒーを啜った。
「ジェードは、暴力を振るう父に嘗て復讐を試みた。兄弟が下にたくさんいた、そいつらを守るためにも、父に歯向かうべきだと考えた――それ自体は成功し、今、その父は死んでいる。それは、私達のような職業のものには、よくある話だろう? ありふれて、聞き飽きている。しかし、厳密には、ジェードは、復讐に失敗しているんだ」
ルチルが、チョコレートで汚れたウヴァロヴァイトの口の周りを布で拭いてくれた。
「親父の命を奪おうと、ジェードが襲い掛かった時、一度、親父が立ち向かってきたんだ。一発で、とどめを刺せなかった。彼奴の兄弟たちは、それで見せしめに親父にやられてしまった。ジェード自身も顔に傷を負った。最終的には、親父を始末し返したらしいがな」
ルチルは、ポワソン・ダブリルの食べ終えた皿を下げつつ、大きな手作りプリンと代えてくれた。それに大きなスプーンを通し、口に運びながらウヴァロヴァイトは、にこにこと頬を緩めながら話を続ける。
「ジェードは、未だにそのことを恨んでいる。自分を責める一方、油断して全ての責をジェードに背負わせる結果となった幼い兄弟たち、勿論親父のことも、死んでなお、決して許していない。だからこそ、こういう仕事が向いてるのさ。ジェードの恨みの炎は今も燃え盛っている。地獄に落ちた親父たちに対してだけでは飽き足らず、偶々知り合った同じ境遇の者にすら及ぶんだからな」
例え、その炎がジェード自身を焼いたとしても。
ウヴァロヴァイトがプリンを食べ終えると、ルチルは、その皿を黙々と下げ始めた。
ウヴァロヴァイトは執務の続きに入ろう、次は今月の売り上げを清算する執務が入っている、と、避けていたパソコンのキーボードを手繰り寄せる。
しかし、此処でルチルが戻って来たので、昼過ぎの眠い目を上げる。
「何をやっている。もう報告は終わっただろう。お前も執務に戻るんだ。ルチル」
ルチルは黙ってお盆を持ってウヴァロヴァイトを見下ろしている。
「執務に戻れ」
ルチルの身体が動く気配はない。
ここまで抵抗して彼女に利は無いから、何かを伝えようとしているのだろう。ウヴァロヴァイトはそう察し、姿勢を正してルチルに向き直る。
「与えた仕事、家庭訪問に対する報告は受けた。お前が、此処に来ていることが、何よりの成功の報告だ。それ以上に何かを伝えたいのか?」
ルチルが、グレーのパンツスーツの上着のポケットからスマートフォンを取り出し、両手で支えるような格好でウヴァロヴァイトに見せて来る。
ウヴァロヴァイトは両手の指を組み合わせて顎を載せるようにして、それを覗き込んだ。
そして、はっと息を呑む。
危うくさっき食べたプリンを吐き出すところだった。
胃袋が引っ繰り返る感覚がある。
それは、何処かの教室の何処かの机の上に乗った、一つの身体の写真だった。
大量の血が机上を満たし、その上にぽんと置かれた身体は、歪んだ顔の少年か、少女か分からない。何故かと言えば、首が無いからだ。
「ルチル! こんな写真何処で手に入れた」
襟元を掴んで引き寄せ、顔を近付けて尖った声で問うが、ルチルが返答しないことは分かっている。
別に死体を見たくらいで吐き気はしない。指示を出していないことが群れの中で発生している事実に虫唾が走るのだ。
だから、ルチルに出す指示は単純で良い。ルチルだから。何もかも互いに通じ合っているルチルだから、この一言で良い。
「ジェードを呼べ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます