第2章 第5話

 異様な校長の雰囲気を感じ取って、僅かにざわつき始める体育館内の教師の声に混ざって、いや、その少し離れたところから、金属音がしているのをジェードは聞き取っていた。

 かちゃん。

 かちゃん。

 恐らく、ジェードだけではなく、反対側の壁に寄りかかっているルチルも、この音を確実に聞き取っているだろう。こうやって、後ろ暗い仕事をしているものは感性が異なる。

 此処にいる教師や子供たちのように、のほほんと生きていない。

 俺の兄弟のように、手を汚した俺の恩恵で飯を食っていない。

 イライラする。

 そんな風に生きられたら良かったのに。何度も思う。

 だから、分かる。

 この小さな金属音は、クンツァイトが鍵を閉めて回る音だ。

 ウヴァロヴァイトが演説を打っているうちに、全てを閉じ込める音だ。

 此処にいる大多数にとって絶望の音だ。

 それなのに、みんな周りの様子を窺うように見る無意味な行動に必死で、逃げようとすらしない。

 一般人って馬鹿だなぁ。



「お前らに生きる価値があるから生き残れるのではない。存在価値がないから死ぬのではない。私は差別はしない。勉強が出来る子も、出来ない子も、恵まれた家庭の子も、被虐待児も、音痴も、運動音痴も、天才も、皆、平等に、目についたもの全てを獲物とする。教師に差別はまずいからな。ああ、でも、出来れば内臓は元気な方が良いから、差別では無く区別はするが……」


ウヴァロヴァイトは、チュロスの側面を真っ赤な舌で舐め回し、ざらざらの表面で削り取るように弄んだ後、ふっと頬を緩めた。


「騒いでいる場合か? ライオンに狙われたシマウマがするべきなのは、仲間の顔色窺いではない」


ウヴァロヴァイトが右手をさっと挙げる。


「一目散に逃げることだ」


指が鳴る。


これは、合図だ。

ルチルがぱっと、黒いパンプスを地面から離す。それは、羽が風に浮くように軽い、一瞬の動作だった。美しくて息を呑む。

そのまま、子供たちが整然と並ぶ列に駆け寄ると、最も近くにいた男児の制服の襟首をつかんだ。さっと、影のような動きだった。


捕まった男児は、両足が地面から浮いてなお、未だ意味が分からないというぽかんとした顔でいた。その顔のまま、皮の袋に放り込まれ、口を縛られた。

そうなってやっと、袋がぼこぼこと波打ち、中の男児が暴れているのが分かる。が、とっくに手遅れだ。

今更、どこからか割れんばかりの悲鳴が上がった。

パニックになって、散り散りに逃げる生徒を次々に、ルチルは手当たり次第に追い掛けて、ぱっぱと袋に詰め込んだ。


「流石ルチルは仕事が早いな」


ウヴァロヴァイトは手を組んでその様を眺めている。

通報しようとしている教師が、ジェードの目の端に映った。こうなれば、ジェードがする仕事は一つだ。

心拍数を上げる。アドレナリンが必要だ。アドレナリンを出すための蛇口をひねる光景を、ジェードは想像する。ジェードの同業者なら、いつでもできるように、そういうスイッチを必ず持っている。

ジェードは通報しようとする教師の黒髪を掴んで引き摺り倒した。

彼の顔は見ていない。見ているけれど、ジェードの目には、彼の顔はあの日の、父親の顔に見えているのだ。

あの、ジェードにこうやってやられた時の、化け物を見るような、見開かれた目を重ねて見る。どんな標的を倒す時も、ジェードはこうやってやって来た。

何の惜しげもなく、スーツのポケットからナイフを取り出し――顔の横に突き立てる。


「動くな。通報は俺のルールに反する。ルールに反すれば、次はこの刃先がお前の顔を八つ裂きにする。死ねるのはその後さ」


 あっという間に、その教師のスーツのズボンの前側の色が変わる。ジェードは顔を顰め、一度彼の顔を軽く刃先で突いた。

 自分と同じように顔に傷がつく。これは律儀なジェードのルール、いわば手順の一つだった。

 一般人は脅されると直ぐに漏らす。漏らすものは鼻水なり小便なり色々だが、排せつ器官も危機管理がなっていないようだ。

 ジェードは短い溜息を吐いて、ナイフを抜き、立ち上がる。

 他の教師たちも、みるみるクンツァイトに制圧される。

 ウヴァロヴァイトがチュロスを食べ終わる間に、体育館は阿鼻叫喚を経て、静かになった。


「お前たちはこの学園から出られると思うな」


 ウヴァロヴァイトがマイクに向かって穏やかに言う。


「安心しろ。お前たちの健康は保証する。健康でなくては、売り物にならないからな。丁度この施設には寮がある。今日から其処に教師含めて全員暮らし、授業もきちんと受けて貰う。では、解散」


クンツァイトや、ルチル含めウヴァロヴァイトの部下たちが腕を引っ張るようにして、教師や残りの生徒を外に追いやるのだった。

こうして、ジェードの教師生活は幕を開けた。


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