第2章 第2話
グレーのスーツなんて生まれて初めて着た気がした。
小脇に書籍を抱えながら、ジェードは校門の前に立ち尽くしていた。そう言えば書籍なんて手に持つのも何年ぶりかもしれない。
ぼーっと呆けていたせいか、降り頻る桜がうっかり口に入ってしまい、吐き出す。ジェードはそこで、二週間前のウヴァロヴァイトとのやり取りを思い返していた。
二週間前、ジェードはウヴァロヴァイトに呼び出された。
待ち合わせ場所がウヴァロヴァイトの執務室、いわば組織のトップの部屋というので、何度入っても緊張するなぁと思いながら、ドアの前に五分前に行って立って待っていて、待ち合わせの時間の五秒前にノックをし、「入れ」とウヴァロヴァイトが言う声に伴い、待ち合わせの時間ぴったりに入室した。
別段、ジェードが時間に几帳面な人間である訳ではないが、ウヴァロヴァイトにはこれくらいの気遣いをしなければならない。それくらい、権力を持った上司だった。
ジェードが管理していたマンションが、クンツァイトの罠でなくなり、一年が経った。
ジェードはあの時、真珠に気圧されて、消火剤のスイッチまで駆けて行き、無事に皆の命を助けたのである。しかし、マンション自体は使い物にならなくなったし、ウヴァロヴァイトたちの日頃の行いが悪すぎて警察は勿論入れられなかったし、クンツァイトは上手く何処かへ逃げおおせて見つからなかった。逃げ切った住人たちとも再会はしていない。皆、蜘蛛の子散らしたみたいに散り散りになって、それっきりだ。
ジェードは、一応、ウヴァロヴァイトを助けた人物として処刑を免れ、またこつこつウヴァロヴァイトに尽くす日々に戻り、十か月後にはチームの中でマンションの管理人以外の別の、再び中間管理職的な役職に就いた。
悪いことをするなら上に取り入る才能が、通常のサラリーマンより倍は必要だと、ジェードは思う。
こうしてジェードは、また、食うには困らなくなった。
それで、ウヴァロヴァイトはと言えば、主に金貸しをして、その借金の代償、または敵のチームを壊滅させた後などに、女を敢えて生かして連れ帰り、どんどん子供を産ませるという商売に戻っている。結構高値で取引されるらしく、相変わらずウヴァロヴァイトについて行けば、楽で金が入るのだ。彼の部下はやめられない。
「それでジェード、新しい仕事だが」
ウヴァロヴァイトは新たに届いたプリンを突きながら言った。
「我々は教育に手を出す。小・中一貫校を一校買い上げた。おまえには其処の教師になってもらう」
「教師とは」
ジェードは思わず直立不動になった。
「今述べたとおりだ。おまえは私達の買い上げた学校の教師となって、生徒の指導をする」
「教師と言っても。学校にすら通ったことのない人間ですからね」
「だからそこをうまくやれと言っているんだ。期待している」
指示はそれっきりだった。
「何だって教育になんて手を出したのです?」
思わず質問する。恐らく回答は無いかと思ったが、意外な反応があった。
「それがなぁ……需要と供給がな……」
「需要と供給」について詳しく問おうとすると、ウヴァロヴァイトは面倒になったのか、資料を投げて寄越し、プリンを食べることに集中し始めた。
資料に依ると、需要があるのは、生まれて数年までの赤ん坊の内臓だけではないらしい。もうちょっと、中学生くらいまでの内臓や、大人の内臓を欲しがる人だっている。
しかし、今ウヴァロヴァイトが用意できるのは、みんな生後一年程度までの乳幼児なのだ。それを、中学生程度まで育てるとなると、
「エサ代が嵩むんだよな、人間って」
とは、ウヴァロヴァイトの常日頃の口癖だ。
なら、そのくらいの年頃の子を学校から連れて来てしまった方が早くて安い。長年売りさばけそうも無いようなら、中学生くらいになれば子供も充分産ませられるし、其方の役割につかせればいい。学校を経営することで子供たちの隙を見計らい、一気に在庫を手に入れようという腹のようだ。
寮でも狙えばチャンスはいくらでもある。虐待の疑いがあれば家庭訪問に行って何食わぬ顔で親ごと捕獲も出来る。
それにしても、教師をやらされるとは。
「子供を連れて来るのは簡単ですが、教師では無いとバレ無いようにする方が、難しそうです」
基本的にこう言った資料は、読んだら燃やすのが前提なので、ジェードは手近にあったライターで資料の角に火を点け、灰皿に放った。
「それで、その、俺の派遣される学校の名前はなんて言うんです?」
ウヴァロヴァイトは、ちら、と眼鏡の奥の目を上目にしてジェードを見ると、一拍おいて口を開いた。
「私立六花学園だ」
「六花学園って……あの六花学園?」
「あの六花学園だ。あの、忌まわしい」
六花学園と言う名前は、六年前にこの世に生まれていた人なら殆ど、ジェードのような仕事の者なら特に、良く知っている呼称だった。
そして、できればあまり聞きたくはない名称――
それは六年前に、六花学園小学部六年六組で起きた事件。
六年六組の生徒が、ある朝突然、たった一人を除いて全員惨殺された。
その一人と言うのが、犯人である少女、六花美織。
事件の朝、朝礼のために教室へ行った担任教師が、教室のど真ん中で突っ立って、けらけらと御機嫌そうに笑っている美織を発見した。
美織は、そのモスグリーンの制服に血をべっとりと着け、顔も血だらけだったが、それらは全て他人からの返り血であった。教室にはいくつもの首が転がり、捥がれた腕が花瓶に刺さっていた。凶器の鉈は美織が持っていた。
富豪であり、美織の祖父である当時の六花学園の学園長により、その年の国家予算を学園長が全て払い、遺族にはそれぞれ一軒につき一億円を支払うということで、事件はもみ消されたのだそうだ。
しかし、どうしても許せなかった遺族でもいたのか、インターネット上で噂は飛びかった。無論、当時の六花学園の学園長は、ジェードのような職の者には名の知れた人であった――要は後ろ暗い暮らしを彼もして、稼いでいたのだ――から、この事件の真相は周知の事実である。
曰く付きの学校だからこそ、安く買い取れたのだろうが。しかし、不安は募るばかりだった。教師をやるだけではなく、まして、そんな学園に放り込まれるとなれば。
ジェードが素直に不安を伝えると、ウヴァロヴァイトは右手を挙げた。
「安心しろ。一人で行動などさせないさ。私も潜入するし、ルチルも行く。そして、ジェード、お前には――」
ぱん、ぱん、と大きく拍手すると、執務室のドアが開いた。
そして、そのドアの向こう側から、一つの影が入って来る。
羽根付きの帽子に、真っ赤なマント。腰に差した長いサーベル。茶色い髪に黒のメッシュ。
彼は帽子を取ると胸に当て、深々と頭を下げた。
「クンツァイトとタッグを組んで行動して貰う」
「クンツァ……イト……」
未だ生きていたのかと、開いた口が塞がらなくなる。
「やぁ。お久しぶりだね、諸君。この王子・クンツァイトの登場であるぞ!」
クンツァイトはジェードやウヴァロヴァイトに手を振ると、鮮やかな紅のマントを翻し、身体をくるっと回転させ、胸に手を当てて頭を下げた。
「王子様は死なないのである」
「はぁ……」
「相変わらず設定を盛っているんだな」
溜息をついたジェードに続くように、ウヴァロヴァイトも呆れて肩を竦めた。
「まぁ、ツッコむのも疲れるからやめよう。もともと、今回の職務内容を考え、私達に依頼をしてきたのは、クンツァイトの方だったんだ。クンツァイトが言うには、最近は中学生の内臓が欲しい客が多いらしいし、それに……アルマンディンの死の謎にも六花学園が繋がっているらしいしな」
「アルマンディンの死が?」
ジェードが驚いたのは、未だ「アルマンディンの死」について調べているのか、ということに対してだった。
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